アルジェリアの人質事件で、被害者の実名報道の是非をめぐって議論になった。政府ははじめ、報道被害を防ぐため、実名を公表することを渋った。

「報道被害」とは、被害者の遺族に報道関係者が、悲しい気持ちや憤りを根掘り葉掘り聞くことで、彼らの悲しみや憤りをさらに深くすることだ。マスコミはこれまで、被害者の遺族たちの心情に慮ることなく、彼らの悲しみや憤りを土足で踏みにじってきた前科がある。だから、ついには被害者の名前を公表しないという選択肢が関係者の間で生まれるに至り、今度の議論となったのだ。

今回は、結局マスコミもあらためて報道被害を起こさないと誓ったうえで、実名を報道することの意義を強く訴えたため、政府はこれを公表し、報道されるに至った。
ところで、その際マスコミは、実名を公表することの意義を、「事件の理不尽さ、悲惨さをリアリティをもって伝えるため」と説明した。あるいは、それによって犯罪の卑劣さ、残酷さを伝える目的もあるという。

この訴えに対し、ぼくは少し、疑問を感じた。そして、こうした訴えこそが、実は報道被害を生み出す温床になっているのではないか――とも思った。
そこで今回は、こうした訴えがなぜ報道被害の温床になるかということと、実名で報道するということの本当の意味というものを、あらためて考えてみた。