先日、建築の設計事務所で働く友人と働き方について話していた。
彼は、いまだに会社に毎日12時間以上いるのだという。出社するのは10時頃だが、帰宅するのもだいたい22時を回ってしまうということだった。
それだけの長時間何をしているかといえば、ずっと仕事をしているわけではないらしい。
特に、出社してから昼頃までは、だらだらとメールをチェックしたり、インターネットの記事を読んだりで、設計という設計をしていないそうだ。仕事に本腰が入るのは、お昼ご飯を食べてからだという。
夜は夜で、19時くらいに集中力が切れるので、ご飯を食べてから続きをしたりするらしい。
しかしおかげで、帰宅はどうしても遅くなる。だから、平日の夜に遊ぶことは滅多にないそうだ。
建築の仕事は、プロジェクトによって締切があるから忙しさに波があるのだが、それでも「寝る閑もなく働き詰め」ということは最近では滅多にないという。それなのに、どうしてもそういうふうに時間ばかりを食ってしまうということだった。
それを聞いたぼくは、「そういう効率の悪さで、この先の競争に勝ち残っていけるのか」と、つい心配になってしまった。
その設計事務所は大手で、有力な取引先をいくつも抱えているため、そうした悠長な仕事のやり方を今でも続けていられるのだろう。設計力もないことはないのだろうが、それ以上にコネの力というか、営業力で仕事を取ってきているのだ。
しかしながら、グローバル化がさらに進めば、他国から劇的に安く、しかもすぐれたデザインの設計事務所が競合として名乗りを上げてくる可能性がある。そうした事態に備えるなら、今すぐにでも体質を改善し、実力本位のやり方にシフトしなければならない。
ただ、建築業界は他の業種に比べるとグローバル化の波を受けるのが遅いので、しばらくはそうした状態が続きそうだとのことだった。
その話を聞いていると、20年前の出版業界とか、10年前のテレビ業界のようだと思った。みな、変化の足音はなんとなく聞こえているが、忙しさにかまけて、なかなか新しいやり方に手をつけられないでいる。そうするうちに、気がつくと巨大な荒波に飲み込まれていて、二進も三進も行かなくなってしまうのだ。
そうならないためには、それほど影響が大きくない今のうちから新しいことに着手する必要がある。
ぼくは、以前テレビの仕事をしていたのだけれど、たまたま自分の仕事が上手くいかなくなる時期が、テレビ業界が上手くいかなくなる時期より早かった。そのため、30代は否応なしに新しいことに着手させられた。
しかし、それが功を奏して、40代でなんとか新しい仕事にありつけることができた。30代のときは苦しんだが、今思うと、あのとき苦しんだからこそ今があるのである。
以来、ぼくは以下の2つのやり方を、仕事で実践するようになった。
1つは、既存の仕事の「効率を上げていく」こと。もう1つは、「新しい事業に着手する」ことだ。
これは、30代の苦労が40代に生かされた経験から、今もまた50代のために苦しんでおこう――という考えからだった。効率を上げることも新しい事業に着手するのもどちらも苦しいが、しかしそれをすることによって、50代が生きてくるのだ。
そんな今、最も懸命に取り組んでいるのは「仕事に時間をかけない」ということだ。これは、上記2つのやり方を兼ね備えたものである。
まず、仕事に時間をかけないことは、仕事の効率化につながる。なぜかといえば、やらなければならない「量」は決まっているので、時間を短くするとなると、自ずから効率を上げざるをえないのだ。
またこれは、ぼくにとっては新しい挑戦でもある。30代のときまで、ぼくは先述した友人以上に仕事に時間をかけていた。だらだらと会社に居残り、効率の悪い働き方をしていた。はっきりいって、ブラック企業の従業員のようだった。
しかし今、もうそうしたやり方は通用しなくなっている。
先日も、こんなニュースが流れてきた。
ブラック企業と陰口叩かれるワタミがレッド企業に転落 : 市況かぶ全力2階建
人手不足、企業が悲鳴 営業短縮や店舗の閉鎖:朝日新聞デジタル
ワタミが赤字に転落し、すき家には人が集まらないという。どちらも、ブラック企業としてさんざんバッシングされてきた会社である。
これらのニュースは、ブラック企業的な経営がある種の限界に来たことを象徴しているように思う。それはもはや、社会的な批判を浴びるのみならず、利益さえも上がらないのだ。
なぜ利益が上がらないかといえば、それは単に社会からバッシングを受けているからだけではないだろう。それ以上に、今のこのコンピューターが進歩した世の中で、仕事の総量は減っているにもかかわらず長時間働くということに、多くの人が「システム的な矛盾」を見出すようになったからだ。
経営というのは、そういうふうに人々からシステム的な矛盾を感じられると、とたんに回らなくなる。その意味で、今はブラック企業のモデルに替わる、人々がそこに矛盾を感じない新しい経営システムが求められているのである。
そのモデルの一つが、「働く時間を短くする」というやり方ではないかと、ぼくは考えている。
なぜならこれには、効率を上げていくことの知的な楽しみが伴うのに加え、新しいことにチャレンジするというやり甲斐も見出しやすいからだ。つまり、これまで以上に働きやすいうえに、成長も期待できるのである。
彼は、いまだに会社に毎日12時間以上いるのだという。出社するのは10時頃だが、帰宅するのもだいたい22時を回ってしまうということだった。
それだけの長時間何をしているかといえば、ずっと仕事をしているわけではないらしい。
特に、出社してから昼頃までは、だらだらとメールをチェックしたり、インターネットの記事を読んだりで、設計という設計をしていないそうだ。仕事に本腰が入るのは、お昼ご飯を食べてからだという。
夜は夜で、19時くらいに集中力が切れるので、ご飯を食べてから続きをしたりするらしい。
しかしおかげで、帰宅はどうしても遅くなる。だから、平日の夜に遊ぶことは滅多にないそうだ。
建築の仕事は、プロジェクトによって締切があるから忙しさに波があるのだが、それでも「寝る閑もなく働き詰め」ということは最近では滅多にないという。それなのに、どうしてもそういうふうに時間ばかりを食ってしまうということだった。
それを聞いたぼくは、「そういう効率の悪さで、この先の競争に勝ち残っていけるのか」と、つい心配になってしまった。
その設計事務所は大手で、有力な取引先をいくつも抱えているため、そうした悠長な仕事のやり方を今でも続けていられるのだろう。設計力もないことはないのだろうが、それ以上にコネの力というか、営業力で仕事を取ってきているのだ。
しかしながら、グローバル化がさらに進めば、他国から劇的に安く、しかもすぐれたデザインの設計事務所が競合として名乗りを上げてくる可能性がある。そうした事態に備えるなら、今すぐにでも体質を改善し、実力本位のやり方にシフトしなければならない。
ただ、建築業界は他の業種に比べるとグローバル化の波を受けるのが遅いので、しばらくはそうした状態が続きそうだとのことだった。
その話を聞いていると、20年前の出版業界とか、10年前のテレビ業界のようだと思った。みな、変化の足音はなんとなく聞こえているが、忙しさにかまけて、なかなか新しいやり方に手をつけられないでいる。そうするうちに、気がつくと巨大な荒波に飲み込まれていて、二進も三進も行かなくなってしまうのだ。
そうならないためには、それほど影響が大きくない今のうちから新しいことに着手する必要がある。
ぼくは、以前テレビの仕事をしていたのだけれど、たまたま自分の仕事が上手くいかなくなる時期が、テレビ業界が上手くいかなくなる時期より早かった。そのため、30代は否応なしに新しいことに着手させられた。
しかし、それが功を奏して、40代でなんとか新しい仕事にありつけることができた。30代のときは苦しんだが、今思うと、あのとき苦しんだからこそ今があるのである。
以来、ぼくは以下の2つのやり方を、仕事で実践するようになった。
1つは、既存の仕事の「効率を上げていく」こと。もう1つは、「新しい事業に着手する」ことだ。
これは、30代の苦労が40代に生かされた経験から、今もまた50代のために苦しんでおこう――という考えからだった。効率を上げることも新しい事業に着手するのもどちらも苦しいが、しかしそれをすることによって、50代が生きてくるのだ。
そんな今、最も懸命に取り組んでいるのは「仕事に時間をかけない」ということだ。これは、上記2つのやり方を兼ね備えたものである。
まず、仕事に時間をかけないことは、仕事の効率化につながる。なぜかといえば、やらなければならない「量」は決まっているので、時間を短くするとなると、自ずから効率を上げざるをえないのだ。
またこれは、ぼくにとっては新しい挑戦でもある。30代のときまで、ぼくは先述した友人以上に仕事に時間をかけていた。だらだらと会社に居残り、効率の悪い働き方をしていた。はっきりいって、ブラック企業の従業員のようだった。
しかし今、もうそうしたやり方は通用しなくなっている。
先日も、こんなニュースが流れてきた。
ブラック企業と陰口叩かれるワタミがレッド企業に転落 : 市況かぶ全力2階建
人手不足、企業が悲鳴 営業短縮や店舗の閉鎖:朝日新聞デジタル
ワタミが赤字に転落し、すき家には人が集まらないという。どちらも、ブラック企業としてさんざんバッシングされてきた会社である。
これらのニュースは、ブラック企業的な経営がある種の限界に来たことを象徴しているように思う。それはもはや、社会的な批判を浴びるのみならず、利益さえも上がらないのだ。
なぜ利益が上がらないかといえば、それは単に社会からバッシングを受けているからだけではないだろう。それ以上に、今のこのコンピューターが進歩した世の中で、仕事の総量は減っているにもかかわらず長時間働くということに、多くの人が「システム的な矛盾」を見出すようになったからだ。
経営というのは、そういうふうに人々からシステム的な矛盾を感じられると、とたんに回らなくなる。その意味で、今はブラック企業のモデルに替わる、人々がそこに矛盾を感じない新しい経営システムが求められているのである。
そのモデルの一つが、「働く時間を短くする」というやり方ではないかと、ぼくは考えている。
なぜならこれには、効率を上げていくことの知的な楽しみが伴うのに加え、新しいことにチャレンジするというやり甲斐も見出しやすいからだ。つまり、これまで以上に働きやすいうえに、成長も期待できるのである。
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