ハックルさんは今の原発の議論についてどのようにお考えですか?
原発問題に関しては知識人と言われる人たちまでもが、自分と反対の立場の人たちを御用学者と罵ったり、逆に放射脳と貶めたりと、かつてのイデオロギー対立の様相です。
なぜ、人は原発・放射能の問題になると極端に感情的になるのでしょうか?
[回答]
原発については、ぼくは反対です。原発は人類にとっての宿痾のような存在で、後々大きな厄災をもたらすと思います。
原発をなくすと、餓死者や困る人が多く出るという人がいますが、餓死者や困る人が増えるくらいの方が、よっぽど世の中は良くなるだろう、というのがぼくの考えです。
ただ、この考えはなかなか広まらないとは思いますが。
原発の議論が感情的になるのは、人間は「暇」に耐えられないので、それを回避するためです。かつてのイデオロギー対立が廃れたのに取って代わって、原発・放射能対立が隆盛してきたのですね。その意味で
コメント
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ハックルさんがおっしゃるように、確かに“暇”という時間は人間の感情を増幅させる力があるように感じます。以前書かれていたストーカーもそうですが、街頭でヘイトスピーチに明け暮れる人々、ネット炎上を熱心に煽る人たちも暇を持て余してるからなのでしょう。
しかしながら、古代ギリシャ人のように暇は優れた哲学や芸術を生み出す原動力にも成り得るのも事実ではないでしょうか。
ハックルさんは暇が生み出すこのような差はどこから生まれるものだと思われますか?
(著者)
>>2
そうですね。それは結局暇を肯定的にとらえるか、否定的にとらえるかの違いではないでしょうか。いうならば、暇は「スター・ウォーズ」におけるフォースのような存在で、それを肯定的にとらえると、暇で居続けようとします。そうして、暇の暗黒面に落ちてしまう。一方、事を成し遂げた人は暇を否定し、することがなければすることを作り続けた――そうすることで、暇の暗黒面に落ちるのを防いだのです。
その意味で暇は麻薬にも似ていますね。ちょっとの服用では快感だけれども、服用し続けると副作用で地獄の苦しみが待っている。結局「勤勉」であるということが、暇にとらえられないためにはだいじなのかもしれません。