だが、その評価は難しい。
なぜ難しいかを、これから説明する。
だけど、見た方がいいのは確かである。
「風と共に去りぬ」の評価が難しいのは、その面白さが「原作小説そのまま」だからである。小説と全く同じ面白さなのだ。
だから、もし原作を読んでいたら、映画を見る必要はないのかもしれない。しかしながら、映画は、小説を読むよりはずっと短時間で物語を味わうことができる。また、目で確かめることもできるので、その意味では違った楽しみもあるだろう。
ところで、原作の小説なのだけれど、これは文学史に残る金字塔だ。もはや永遠に廃れることはなく、格付けでいえばトリプルAの作品である。「ハムレット」や「ドン・キホーテ」と、ほとんど同列といって差し支えない。実際、書かれてから90年近くが経つけれど、いまだに読み継がれている。
この原作小説は、マーガレット・ミッチェルという女性が書いた。少し話は逸れるが、女性というのは文学が得意だ。文学史に残る傑作小説は、しばしば女性が書いている。これは、有名な数学家に女性が少ないのとは対照的だ。女性は、文学がとても得意なのである。
女性がなぜ文学が得意かといえば、想像力がすぐれているからだろう。現実とは別の世界を空想し、そこで起こるさまざまなことをありありとイメージできるのである。「源氏物語」や「赤毛のアン」、「第九軍団のワシ」「ゲド戦記」「ハリー・ポッター」などは、そうして書かれた。いずれも、女性のすぐれた想像力のたまものなのである。
「風と共に去りぬ」も、そうした女性の想像力によって生まれた。
この作品の第一の魅力は、なんといっても主人公の人物造形にある。この主人公が、現実には存在しにくいが、しかし強烈なリアリティを感じさせるキャラクターとなっているのだ。
「風と共に去りぬ」の主人公、スカーレット・オハラの強烈なキャラクターは、小説の冒頭にすでに表れている。ここに、その有名な書き出しを書き写してみたい。
「スカーレット・オハラは美人というのではなかったが、双子のタールトン兄弟がそうだったように、ひとたび彼女の魅力にとらえられると、そんなことを気にするものは、ほとんどいなかった」
美人だが魅力的――そんな矛盾する要素が、スカーレットにはあるのだ。
さらに、彼女の個性を際立たせているのが「ウエストの細さ」である。なんでも49センチなのだそうだが、とにかく人間離れした細さをしているのだ。華奢でか細いのである。
ところが、そのか細い女性が、南北戦争に巻き込まれた際には、友人である妊娠中の女性を引き連れ、戦火の中を逃げるのである。そこで彼女は、無類の逞しさを発揮して、自分はもちろん、友人とそのお腹の子供も助けるのだ。
つまりスカーレットは、一見弱々しいが、実は逞しいという、やっぱり矛盾した要素を持っているのである。
さて、ここまで見てきて分かるのは、
コメント
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海燕氏の論評が現代っ子の右脳に新しい引き出しを作りながらその中へすぽすぽ入っていくのに対して、岩崎氏の論評は現代っ子の左脳に論理の投網を放って過去の曖昧な記憶の中からストーリーのラインを引き上げるのがとても良いので、ブロマガで両方読んだうえでこれら2つが合わされば最強に見えると思います。
(著者)
>>1
そうなんですね、ありがとうございます。
ぼくはどうしても論理的に見てしまうところがあるんですよね。
これはくせであり、好みでもあるんです。
でも、直感的にみるところもあることはあります。
今後は、そういう部分も少し出そうかな?
いやでも、論理的な方が得意なのは間違いがないので、今後もこの路線で行こうと思います。