「もしドラ」という作品は、いくつもの偶然が積み重なって実現したプロジェクトであるが、ぼくは不思議と「奇蹟」という気が全くしない。そればかりか、それはある種の「必然」のようにさえ思える。かっこよく言えば「運命」か。「もしドラ」は、売れるべくして売れた。そのために書き、そのために、考えられるあらゆる策を講じてきた。
だから、それが売れたからといって、ぼくに大きな達成感があるわけではなかった。もっと言えば、喜びのあるわけでもなかった。それは、ただただホッとした気持ちだった。
喩えていうなら、イチローが200本安打を打つようなものだ。それは、とても大変なことだではあるが、しかし到達可能な目標であり、もっといえば一つのノルマのようなものでもある。だから、それを達成した瞬間には、快感よりも、ホッとした気持ちの方が先に立つのだ。
「もしドラ」が売れた後も、それまで出版すらしたことのない人間が生意気かもしれないが、ぼくにはホッとした気持ちの方が大きくて、喜びというのはほとんどないのだった。それは、達成する前から200万部売れるということを広言していたから、それが果たせて胸をなで下ろしたということもあったろう。
しかし、そんな「もしドラ」のプロジェクトの中にも、実はただ一つだけ、「奇蹟」のような瞬間というのがあった。そしてそれは、ぼくの人生の中においても、比肩するもののないくらい大きな喜びの瞬間でもあった。
それは、けっして大げさな表現ではなく、ぼくがこれまで生きてきた中で、最も欲していた瞬間かもしれなかった。ぼくがクリエイターを目指し、本を書いたことの、最もプリミティブな動機かもしれなかった。ぼくは、その瞬間を味わうために作家になったし、その瞬間のために生きてきたのかもしれなかった。
それは、2009年8月のことであった。
だから、それが売れたからといって、ぼくに大きな達成感があるわけではなかった。もっと言えば、喜びのあるわけでもなかった。それは、ただただホッとした気持ちだった。
喩えていうなら、イチローが200本安打を打つようなものだ。それは、とても大変なことだではあるが、しかし到達可能な目標であり、もっといえば一つのノルマのようなものでもある。だから、それを達成した瞬間には、快感よりも、ホッとした気持ちの方が先に立つのだ。
「もしドラ」が売れた後も、それまで出版すらしたことのない人間が生意気かもしれないが、ぼくにはホッとした気持ちの方が大きくて、喜びというのはほとんどないのだった。それは、達成する前から200万部売れるということを広言していたから、それが果たせて胸をなで下ろしたということもあったろう。
しかし、そんな「もしドラ」のプロジェクトの中にも、実はただ一つだけ、「奇蹟」のような瞬間というのがあった。そしてそれは、ぼくの人生の中においても、比肩するもののないくらい大きな喜びの瞬間でもあった。
それは、けっして大げさな表現ではなく、ぼくがこれまで生きてきた中で、最も欲していた瞬間かもしれなかった。ぼくがクリエイターを目指し、本を書いたことの、最もプリミティブな動機かもしれなかった。ぼくは、その瞬間を味わうために作家になったし、その瞬間のために生きてきたのかもしれなかった。
それは、2009年8月のことであった。
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(ID:1735272)
うわ...ちょいどいいところで切られた、続きが待ちきれない。
関係ないですが予約していた「消えたラーメン屋」がAmazonから待てど暮らせど届かない。