永田鉄山を殺したのは相沢三郎という陸軍将校だった。つまり永田の後輩であり部下だ。陸軍士官学校出身で当時46歳の中佐だった。この事件は、犯人の名を取って「相沢事件」と呼ばれている。
相沢三郎は1889年に仙台で生まれる。実家は旧仙台藩士だった。そして石原莞爾も同じ1889年の生まれで、同じ東北(山形)の旧武家出身である。ただし石原は早生まれなので学年は一つ上だった。
この相沢と石原は、同じ仙台陸軍地方幼年学校に通っている。そして石原は当時から有名だったから、相沢は石原のことをよく知っていた。当時の仙台幼年学校のほとんどの後輩がそうであったように、石原に憧れ、尊敬していた。
陸軍に入ってからの相沢は、長い間教育畑を歩んだ。教官として若者たちに接した。そのため、当時の若者たちの困窮ぶり、あるいは東北をはじめとする地方経済の疲弊ぶりはよく知っていた。実家の姉妹が吉原に売られたという話しも幾度となく
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