まず、あらかじめ断っておきたいのは、ぼくは映画(とくに実写)を、「役者が演技するのを撮ったドキュメンタリー」としてとらえている、ということだ。何よりも好きなのは役者の演技で、ストーリーその他は二の次だ。だから、実写とCGを合成した作品は、あまり好きではない。
実写とCGを合成することの弊害は、役者の演技に興醒めしてしまうことである。
例えば、「めめめのくらげ」では主人公の少年とCGで作成されたキャラクターである「くらげ坊」とが抱き合うシーンがあるのだが、それを見ると、どうしても少年役の役者が本当はくらげ坊と抱き合っていなかった、という事実が気になってしまうのだ。
撮影時、少年役の役者はそこにくらげ坊がいるものとして抱きしめる振りをしただけだ。それは、ぼくが見たいドキュメンタリーとは違う。役者がそこに実体のあるものを抱きしめているのと、後で合成するものを抱きしめる振りをす
コメント
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10歳くらいの子供が成長し、因果論の世界から出て確率論の世界へ入る途中で、試行錯誤しながら均衡解を求めようとする姿が表現された映画だということでしょうか。
(著者)
>>1
そうですね。10才の子供ですからまだ大人の世界には入る前で、その葛藤の直前の、子供の世界が失われつつあることへの抵抗――というテーマは読み取れると思います。