永田は1895年、11歳のときに父が死に、長野から東京の小学校に転校する。そして1898年、14歳で東京陸軍地方幼年学校に入校すると、そこからエリート街道をひた走り、同校を2位で卒業した後、陸軍士官学校に進む。
そして20歳となった1904年、陸軍士官学校を16期生として卒業する。この期は、日露戦争が勃発したため、半年繰り上げての卒業となった。16期の卒業生は549人いたが、永田はここを首席で卒業する。
さらに、1908年、24歳のときに陸大に入学。1910年に卒業するが、このときの席次は2位で恩賜の軍刀を授与される。
「恩賜の軍刀」とは、軍学校で優秀な成績を収めると卒業時に天皇から授与される刀剣のこと。そのことから「恩賜刀」とも呼ばれた。この刀をもらった人物は、将来の出世が約束されていたので、「恩賜組」などと呼ばれていた。
ちなみに、石原莞爾は「恩賜組」だが、東條英機はそうではない。石原
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