日本には古くから「諧謔精神」があった。ふざけることで、お上の追求を巧妙に逃れながらも、これを手厳しく糾弾していた。これが、日本社会における同調圧力のガス抜きの役割を果たしていた。

ただ、諧謔をするには高度な技術が必要なので、誰にでもできるというものではなかった。そこで、古くから「ふざけ」を指南する人が社会の中で求められてきた。そうして育まれたのが「戯」の文化だ。

戯作、戯曲、戯画など、そこでは主に「芸術家」が、人々にふざけの手本を示した。おかげで多くの人が、その真似をすることで自分でもふざけができるようになり、社会の風通しが良くなった。これは、特にお上の締めつけが厳しかった江戸時代に、急速に発展した。

そうして、戯の指南役としての芸術家が次々と輩出される。逆にいえば、江戸時代の芸術家には、だいたい戯の指南役の役割が求められた。ふざけていないと、芸術家としてはなかなか独り立ちできなかった。