大坂なおみ選手がテニス全仏オープンの記者会見をボイコットし、その後に大会出場そのものを辞退した。その理由を本人ははっきり語っていない。ただ2018年の全米オープンから記者会見への不振が始まったことと、それによって心にダメージを受けたということを公表した。
そのため、氏の出場辞退についてさまざまな意見が噴出することとなった。なぜなら、真相が藪の中なので、みんなが自分の言いたいことを言うようになり、おかげで議論の焦点が定まらず、収拾がつかなくなっているからだ。
しかしながら、氏が一つだけ明らかにしたメッセージがある。それは、「記者会見をボイコットした理由をはっきりと語らない」という、その「態度自体」だ。語らないことが、一つの明確なメッセージとなっているのである。
従って、そのメッセージを受け取ることによってのみ、氏のボイコットに対する理解がなされ、議論も意味のあるものになる。このような考えから、この記事では氏の辞退の本当の理由を読み解いてみたい。
では、なぜ氏は辞退の理由をはっきりと語らないのか?
その理由は、一つしか考えられない。それは、「語らない」のではなく「語れない」のだ。
ではなぜ「語れない」のかというと、それは多くの人を傷つけることになり、同時に自分をも傷つけることになるからである。
ここまで理解すると、「語れない理由」というのは自ずからはっきりしてくる。それには、氏自身が語った「2018年の全米からストレスを感じるようになった」という言葉からも推測できる。
その語れない理由とは、「日本のマスコミ」にある。氏は、日本のマスコミにストレスを感じている。特に、スポーツメディアではなく、一般メディアに対してだ。なぜなら、日本のスポーツメディアは2018年の全米オープン以前も取材していたが、一般メディアはまさにその大会から取材を初めたからだ。
ではなぜ、氏は日本の一般メディアにストレスを感じるのか?
その理由も、推測はとても容易だ。日本のメディアは、氏にたった一つのことしか聞かないからである。それは「日本人としてどのような気持ちか?」ということだ。それを聞かれるのが、氏にとっては大きなストレスなのだ。
なぜストレスかというと、氏には「自分にはメディアが期待する答えをできない」ということが分かっているからだ。「メディアが期待する答え」とは「日本人で良かった」「日本人であることを誇りに思う」というものだ。しかし氏は、日本の文化圏の中ではほとんど育っておらず、たまたま国籍が日本なだけだ。それは、現代においてもきわめてマイノリティの部類に入る。従って「ナショナリズム」に対する価値観も、また特殊だといえよう。
その特殊な「ナショナリズムに対する価値観」が、日本人には絶対に受け入れられないことが氏は分かっているのだ。では、それはどんな価値観かというと「自分はたまたま(書類上)日本人というだけで、日本に対する愛や誇りはほとんど抱いていない」というものだ。
この価値観は、価値観の多様性が是認される現代においても、ほとんどの日本人に認められない。そればかりか、ほとんどの日本人を傷つけ、従ってバッシングを受けることが目に見えている。だから氏は、その価値観を公にできない。それを隠したまま、時に嘘をついたり、あやふやにしたりしながらこれまでなんとか凌いできた。
しかしながら、ここに来てBLM、東京オリンピック、氏を支援するナイキのスキャンダル、そしてコロナと、氏に「ナショナリズムに対する意見の表明」を求める機運がかつてないほど高まってきた。特にオリンピック開催を目前にした今回の全仏では、そのことへの質問が頻出することが目に見えていた。
おかげで、氏のストレスもこれまで以上に高まり、ボイコット、引いては出場辞退へとつながったのだ。
ちなみにぼく自身は、今の多くの日本人が持つ「ナショナリズムに対する価値観」は、もはや完全に時代遅れだと思う。インターネットの登場でグローバル化が進み、国籍のあり方も多様になった現代において、旧弊な価値観にしがみついているのはむしろ害が大きい。
だから、氏はむしろ堂々と「日本に対する一般的な愛着は持ってない」と宣言したらいいと思うのだが、それができないのは、氏自身にも旧弊なナショナリズムを捨てきれない一抹の心情があり、その葛藤に悩まされているからだろう。
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