Netflixで『スペース・フォース』というドラマを見た。とても面白かったのでみなさまにもおすすめしたい。
スペース・フォース - Netflix
シーズン1が公開されていて、1話40分くらいで10話まである。ぼくは面白くてあっという間に全話見てしまった。
内容はコメディだ。空軍のエリート幹部である主人公は、そのまま昇進して将軍になるはずだったが、大統領が思いつきで「宇宙軍(陸・海・空に続く4つ目の軍隊)」を新設したので、その将軍に任命されてしまった。
念のため、「宇宙軍」というのは実在しない。このドラマでの大統領は、「思いつきでとんでもないことを始めてしまうキャラクター」という設定だ。
ただし、その顔は出てこない。このキャラクターは、もちろん「トランプ大統領」を意識してはいるものの、トランプ大統領そのままというわけではない。とにかくとんでもない人物のごった煮――という感じだ。そういう人物が大統領になる時代の話――ということである。
宇宙軍の本部は、コロラド州の田舎に設置されることになった。そもそも「コロラド」というのがアメリカ人にとっては田舎の代名詞である。日本でいえば「山梨」といったところか。とにかく山しかない場所なのだ。山しかないから、ロケットの発射には好都合というわけである。
主人公のネアード将軍は50代の男性だが、彼には相棒がいる。それは科学者のマロリー博士だ。ロケットや月面基地などの科学部門を彼が長として取り仕切っている。
このマロリー博士をジョン・マルコヴィッチが演じているのだが、とにかく演技が上手い。マロリー博士は、科学者として優秀な上に人間的な深みもある。それでいて、独特の弱点も抱えている。そんな複雑な設定を、ものの見事に演じている。
真面目で実直ながらも意外に融通が利くネアード将軍と、複雑極まりないが独特の愛すべきキャラクターでもあるマロリー博士の二人が、ときに失敗しぶつかり合いながらもすぐれたコンビネーションを発揮してさまざまな問題を解決していく――というのがドラマの骨子である。
ドラマ内の興味深いエピソードをいくつか紹介したい。あるとき、ネアード将軍はマロリー博士に「これは古い考えかも知れないが、きみはなぜそんなふうに人からバカにされるような振る舞いをする?」と尋ねる。「私がそんなことをしましたか?」と博士が尋ね返すと、将軍は「例えば歩くとき、なぜ腕をそんな麺のように振るんだ?」と答える。
確かに、博士は腕をぶらぶらと振りながら歩く。この会話は第5話のものだが、第3話にマロリー博士が歩く印象深いシーンが出てくるのだ。
そこで博士は、大股で歩きながら確かに腕をぶらぶらと振っている。ただ、ぼくはこれを最初に見たとき、科学者が思索を深めているのだと感じた。多くの科学者は思考の助けになるので好んで散歩をするが、そんなキャラクターを見事に表現しており、素晴らしい演技だと感じた。
ところが、5話になってそれが「軍人との価値観の相違をあぶり出す伏線」でもあると分かった。単なるキャラクターの表現ではなく、ストーリーとも巧妙に絡み合っていたのだ。
そして、ネアード将軍のその歩き方に対する評価を聞くと、確かにきびきびと歩く将軍からすれば博士の歩き方はバカに見えるかもしれないと思わされた。そんな新しい視点を与えられ、ぼくは思わずニヤリとさせられたのである。
そういうきわめてハイコンテクストな笑いが全編にわたって木目細かに展開されており、見ていて飽きない。キャラクターの来歴や関係性をいろいろ掘り下げながら見ることができるので、実に味わい深いのだ。
このドラマには、ネアード将軍の妻や娘も重要な人物として出てくる。この二人も実に味わい深いキャラクターで、ネタバレになるのでここでは伏せるが、明確に「新しい時代の夫婦や家族のあり方」というものを提示しており、ぼくは強くインスパイアされた。
また、アンジェラという黒人女性のパイロットが出てくるのだが、彼女のキャラクターもとてもいい。アメリカの作品によくある「黒人ならではの自虐ギャグ」を彼女も言うのだが、それもとてもハイコンテクストなのだ。
このアンジェラの対比として香港出身のアメリカ人科学者・チェン博士が出てくるが、彼は韓国人に間違われることを嫌っている。ルーツにこだわりがあるのだ。香港人であることを誇りに思っている。
そんな彼が車の中でKポップを聞いていると、同乗していたアンジェラが「黒人と韓国人て共通点が多いわよね」と何気なく言う。
すると、それを聞いたチェン博士は、「念のために言っておくと、ぼくは香港人なんだ」と返す。つまり、「ルーツを誤解するのは失礼だぞ」という意味である。
それに対してアンジェラは、「あなただって私のルーツを知らないでしょ?」と反論する。するとチェン博士は「どこ出身なんだい?」と尋ねるが、それに対してアンジェラは、真面目な顔で「知らない」と答えるのである。
つまり、アンジェラ自身は実は「ルーツの呪縛」から抜け出している――ということを表現している。彼女は、「他者との関係」ではなく「独立した個人」を生きているのだ。
そのため、続く台詞で「小学校のときはレポートにコンゴ出身と書いたりした」などと言い出す。なぜなら、ちょうどそのとき『コンゴ』という映画を見たからだ。
ここでも、このドラマは「新しい時代の価値観」を提示しているといえよう。これまでだったら自分のルーツに誇りを持つのは正しいこととされ、むしろバカにすることはタブーだった。しかしここでは、きわめて遠慮がちではあるものの、ルーツに誇りを持つことに否定的な見方が示されているのだ。
まだまだ書きたいことはあるが、とにかくこのドラマにはいくつもの「新しい時代の価値観」が提示されていて、きわめて興味深い。みなさんにもぜひ見てほしい。
ちなみに、noteにはネタバレありで「新しい時代の価値観」について詳しく書いたので、興味がある方は読んでみてほしい。
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