これを書いているのは2019年5月1日で、今日から元号は令和なのだが、天邪鬼のぼくはあえてこのタイミングでぼくの平成史を振り返ってみたい。


平成元年(1989年)21歳
大学3年生。昭和天皇の崩御が母校茗渓学園高校ラグビー部の花園決勝と重なって試合そのものが中止になり両校優勝。一方ぼくは、芸大生だったがパチンコばかりしていた。秋に大学の同級生みんなで奈良に行ったのがいい思い出。

平成2年(1990年)22歳
小金井の祖父母の家を出て中野区野方のボロアパートに住み始める。家賃は3万6千円の風呂なし。日当たりも最悪。でも銭湯が近くにあって楽しかった。ここには2年間住む。文字通り隠れ家みたいだった。就活もしなかったので楽な年だった。

平成3年(1991年)23歳
大学を卒業して、少しだけアルバイトした後、秋元さんの会社ソールドアウトで働き始める。最初は映画監督志望だったのでADにされてしまう。し