ぼくには「小説は誰にでも書ける」という仮説がある。
なぜかというと、小説の格言に「誰でも一生に一度は小説を書ける。それはその人の人生を書くことだ」というのがあって、これが実感として腑に落ちるところがあるからだ。
ぼくは30歳のとき、『エースの系譜』という処女小説を書いた。これが、後になって振り返るとまさに自分の人生を描いたものとなっていて、それで「自分の人生を描けば小説になる」というのを実感したのだ。
そうしてみると、ぼくが好きな『ドン・キホーテ』や『ハックルベリー・フィンの冒険』『老人と海』『百年の孤独』といった世界的な小説も、作家自身の人生を描いたものとなっている。『風と共に去りぬ』もそうだ。そういう事例をいくつも見るに連れ、「小説とは人生を書くことに他ならない」という思いを強くしてきた。
ただ、この理論に従うと「人は一生のうちに一作しか小説を書けない」ということにもなってしまう。人間の一生は基本的に一つだからだ。それでは、何作も書く人はいる。では、その人たちの書くものは小説ではないのか?
それでも、ぼくはこの理論は正しいと思っている。なぜなら、例えばバルザックという多作な小説家がいるが、彼は基本的に一つの世界のことしか描いていない。だから、それは自分の人生を何作にも分けて描いたということができる。
あるいは、さまざまな人生を生きることによって、何作も描くということもある。ドストエフスキーやトルストイは、その人生の中でさまざまな経験をしてきた。だから、いくつもの作品を書けたのだ。
そういうふうに小説は、作家の人生と不可分な関係にある。それゆえ、「人生を賭けないと書けない」というのは真実だろう。
そして、だからこそ面白い。人が人生を賭けて書くものだから味わい深いのだ。その人の一生を、たかだか数時間で味わえるという贅沢さが、大きな魅力を生み出している。
ぼくは、編集者になったときに、そういう小説を作りたいと思った。誰かに、その人の人生を賭けるような作品を書いてもらいたいと思った。
この方法は、逆にいえば「作家は誰でもいい」ということだ。もしその人が人生を賭けるような作品を書いてくれれば、それは素晴らしい小説になる。
ただし、「人生を賭けるような作品を書いてください」と言って書いてくれる人はなかなかいない。だから、その意味では探すのが難しかった。
そうした中で、ぼくは一つの戦略を考えた。それは、イラストレーターさんに声をかけて、彼らに人生を賭けた小説を書いてもらうことだ。
なぜかというと、イラストレーターさんはそもそも絵を描くことを生業にしているから、まず「ものを作るとはどういうことか?」というのを知っている。それゆえ、一定のアドバンテージがある。
その上、すでにイラストレーターの仕事があるので、たとえ人生を賭けた小説を書いてもしそれが売れなかったとしても、路頭に迷う可能性は少ない。これが小説家を生業にしたい人だと、こうはいかない。失敗したときのリスクがあまりにも大きすぎる。
だからぼくは、小説を書いてくれるイラストレーターさんを探した。このとき、ポイントにしたのは「絵の中に物語性がある人を探す」ということだ。「絵の中に物語性がある」というのは、例えばキャラクターがいたら、そこからバックグラウンドや来歴がにじみ出てくるような絵だということである。
そういう視点で探しているとき、ぼくと一緒に編集をしている須藤雅世さんが、一人の絵描きさんをインターネットで探してきた。それが曄田依子(ようだよりこ)さんだった。彼女がインターネットに狛犬の絵をアップしていたのだ。
この狛犬が、なんともいえず魅力的だった。威厳があって凜々しいのだが、一方で可愛さもあった。そこはかとなく愛嬌があった。
それに、単にビジュアルとして魅力的なだけではなく、そこにバックグラウンドや来歴も感じられた。この狛犬は、きっとユニークな性格をしているのではないか想像させられたのである。
だから、ぼくはそれを知りたいと思った。この狛犬の物語を読みたいと思った。
そうして、曄田さんに依頼した。この狛犬の物語を、ぜひ書いてもらいたいと。
すると曄田さんは、初めはとてもびっくりされていた。しかし、何が彼女の琴線に触れたのかは分からないが、やがて覚悟を決められ、乾坤一擲の小説を書き上げてくれた。
それが、『繕い屋の娘カヤ』である。
この物語は、先述の狛犬は重要なキャラクターとして登場するものの、主役はカヤという名前の少女だ。彼女が狛犬と出会って旅をする物語である。
ぼくなりに解釈すると、このカヤは曄田さんの分身である。彼女が、この狛犬とどう出会ったのか――という物語なのだ。
曄田さんは、自信の分身を物語内に登場させないと、この狛犬のことはちゃんと描けないと思ったのだろう。だからあえて登場させたのだが、それが結果的に、彼女の人生を描くことにもつながった。つまり、人生を賭けた作品になっていた。小説となっていたのだ。
そのため、内容は文句なく面白い。ぼくは、こういう小説を作りたかった。それだけではなく、こういう小説を読みたかったということにも気づかされた。
曄田さんのおかげで、ぼくはそれを読むことができた。曄田さん、本当にありがとうございます。
みなさま、曄田さんがその人生を賭けられたこの作品、面白いことは保証しますので、ぜひ読んでみてください。
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