すみません、私の言葉遣いが間違っていました。私が言いたかったのは、人間が肉眼でふだんから見ている「視界」の方です。我々は町中を歩いているときに無意識下で、「あれはゆっくり動いているように見えるけど実は速く動いているかもしれない」と、自分自身にストレスをかけています。でないと車に轢かれてしまうからです。物が一時的に遮られて見えなくなったとしても、やっぱり「いや実はまだすぐそこに潜んでいるんだ、油断してはいけない」と自分に向かって声をかけています。 そういった心の枷が、映画を見ているときには外れるというのは、理解できます。普段のストレスから解放されている状態で見ることが出来るので、いつもは気づかないこと、見えていないことが目の中に入ってきて、とても面白い。 このコメントをいま書いていて、もしかすると五感ぜんぶについて同じことが言えるのかもしれないな、と思いました。我々はふだん排泄物や腐った臭いを忌避していますが、チーズとか納豆のようなものを好んで食べるのは、そのような自己に課している「臭い臭いを避けなければいけない」というプレッシャーから解放されるというのがあるのではないかな、と思いました。以上です。
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ハックルベリーに会いに行く
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すみません、私の言葉遣いが間違っていました。私が言いたかったのは、人間が肉眼でふだんから見ている「視界」の方です。我々は町中を歩いているときに無意識下で、「あれはゆっくり動いているように見えるけど実は速く動いているかもしれない」と、自分自身にストレスをかけています。でないと車に轢かれてしまうからです。物が一時的に遮られて見えなくなったとしても、やっぱり「いや実はまだすぐそこに潜んでいるんだ、油断してはいけない」と自分に向かって声をかけています。
そういった心の枷が、映画を見ているときには外れるというのは、理解できます。普段のストレスから解放されている状態で見ることが出来るので、いつもは気づかないこと、見えていないことが目の中に入ってきて、とても面白い。
このコメントをいま書いていて、もしかすると五感ぜんぶについて同じことが言えるのかもしれないな、と思いました。我々はふだん排泄物や腐った臭いを忌避していますが、チーズとか納豆のようなものを好んで食べるのは、そのような自己に課している「臭い臭いを避けなければいけない」というプレッシャーから解放されるというのがあるのではないかな、と思いました。以上です。