小説『百年の孤独』はこのような書き出しで始まる。

「長い歳月が過ぎて銃殺隊の前に立つはめになった時、恐らくアウレリャーノ・ブエンディア大佐は、父親に連れられて初めて氷という物を見に行った、遠い日の午後の事を思い出したに違いない」

この文章を見て、みなさんはどのような感想を抱くだろうか?
ぼくが抱く感想は、大きく三つある。ここから、それらを順に見ていきたい。


第一に感じるのは、その「姿勢のあやふやさ」だ。あるいは「矛盾した姿勢」といってもいい。そのとらえどころのなさ、いい加減さを強く感じるのである。

どういうことかというと、語り部の「態度」がはっきりしないのだ。
まず、目につくのが「恐らく」という言葉と「違いない」という相反する言葉である。
この語り部は、最初に「恐らく」という言葉を用いていながら、最後では「違いない」という言葉を用いている。つまり、自信があるのかないのか分からないのだ。