今、クリエイターが生き残るには人心を穿つ必要がある。逆に、それ以外に生き残りようがない。
近頃、倉本聰の『やすらぎの郷』というドラマを見ている。ネットで評判になっていたから見始めたのだが、もともと昨年NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』で倉本聰が特集されていて、そのとき『やすらぎの郷』の脚本を書いているところが描写されていて、興味を持った。彼は毎日、自分の中の井戸を掘るようにして書き続けていたので、これは面白いに違いないとそのとき思った。
その通り、ドラマは面白くなっているのだが、なぜ面白いかといえば、それは人心を穿つからだ。違う言い方をすれば、意表を突かれる。ハッとさせられるともいう。驚かされるといってもいい。とにかく「よくこんな台本を書くよな」と感心させられるのだ。
なぜ感心しているかといえば、はっきりと勝負しているからだ。手癖で書いていない。自分の守備範囲内で描いていない。新し
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コメント
「自分はすごい」と言う人は、本質的かはさておき言い方次第で周囲から傲慢と思われますが違うのでしょうか
岩崎夏海
(著者)
(著者)
>>1
周囲から傲慢と思われる人はむしろ傲慢でない人が多いと思います。傲慢ではないからこそ周囲に傲慢と思われることを許しているのです。周囲から傲慢と思われる状況を改善しないことは、むしろ謙虚さのあらわれだと思います。
ありがとうございます。本質的な謙虚さとは、常々指摘されている、実直でありながら、自身並びにその周囲を第三者目線で俯瞰し言動をコントロールできる能力が無いと成り立たないと理解しました。だとしたら、まあ難しいなあと。。
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