絵本というのは、西野さんがいうように「本屋さん」で「立ち読み」ができますし、あるいは図書館でも読むことができます。←うん。 西野さんに「高い」と言った小学生も、当然、そのことは知っていたのではないでしょうか。←うん。 それにもかかわらず「2000円は高い。自分で買えない」と言ったのは、「物質としての絵本」が欲しかったからだと考えるのが自然です。←どうしてでしょう? ここにやや論理の飛躍が見られます。 図書館にこの絵本がない場合もあります。あっても期限が過ぎたら返却しなければなりません。 本屋さんでの立ち読みは黙認されているだけで決して推奨される行為ではありません。また、立ち読みできたとしても、それは書店の店内でのみ許されるものであり、家でじっくり、あるいは好きなときに読むことはできません。 ですから、「高いといった小学生」は、本という物質ではなく、純粋に情報としての絵本を、自分の読みたいときに読めてなおかつ正当な手段で欲しがっていた可能性も多分に考えられるわけです。よって、「高いといった小学生」が「情報ではなく物質としての絵本を欲していた」ことが前提となっているこの批判は当たらないのではないでしょうか。
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ハックルベリーに会いに行く
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絵本というのは、西野さんがいうように「本屋さん」で「立ち読み」ができますし、あるいは図書館でも読むことができます。←うん。
西野さんに「高い」と言った小学生も、当然、そのことは知っていたのではないでしょうか。←うん。
それにもかかわらず「2000円は高い。自分で買えない」と言ったのは、「物質としての絵本」が欲しかったからだと考えるのが自然です。←どうしてでしょう? ここにやや論理の飛躍が見られます。
図書館にこの絵本がない場合もあります。あっても期限が過ぎたら返却しなければなりません。
本屋さんでの立ち読みは黙認されているだけで決して推奨される行為ではありません。また、立ち読みできたとしても、それは書店の店内でのみ許されるものであり、家でじっくり、あるいは好きなときに読むことはできません。
ですから、「高いといった小学生」は、本という物質ではなく、純粋に情報としての絵本を、自分の読みたいときに読めてなおかつ正当な手段で欲しがっていた可能性も多分に考えられるわけです。よって、「高いといった小学生」が「情報ではなく物質としての絵本を欲していた」ことが前提となっているこの批判は当たらないのではないでしょうか。