ISIL(自称イスラム国)と見られるグループによって殺害されたジャーナリストの後藤健二さんが、2010年9月7日にTwitterを使って発信したメッセージが多くの人々の共感を呼び、リツイートが続いている。

目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。-そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。

― 後藤健二 (@kenjigotoip) 2010, 9月 7

目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。-そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。

日本時間3日、午前0時45分現在、後藤健二さんのこのメッセージは2万1千リツイートを超えている。私もリツイートしたその一人だ。日本の大衆が今とるべき行動はまさに後藤さんが言う、「憎むは人の業にあらず」というアラブの兄弟の言葉に沿ったものであるべきだろうと思うからだ。私たち市民の動揺が、武器の輸出、集団的自衛権行使容認、憲法改正を掲げ、積極的平和主義をうたう現政府の背中を紛争の渦中へと押し出してしまいかねないからだ。ポピュリズムに陥ってはならない。





かつてアメリカニューヨーク同時多発テロ発生直後、悲しみは憎悪に変わり、憎悪が人々を泥沼の対テロ戦争に誘った。聖戦を叫ぶテロリストが多くのアメリカ人を殺し、アメリカ人はテロには屈しないと大義を掲げ、ありもしなかった大量破壊兵器を口実にイラクで多くの人々を殺した。その後も憎しみの連鎖は止むことなく、罪のない子供達も巻き添いになりながら泥沼の対テロ戦は世界各地で続いている。後藤さんが身体を張って伝えようとしたのは、そうした連鎖の中で懸命な笑顔を見せる子供達の尊さだったはずだ。命の重み、はかなさ、そして大切さ。


私たち日本人だからできる、平和の貢献のあり方があるはずだ。ヨーロッパやアメリカとは異なるテロ集団との向き合い方を今こそ矜持をもって実行していくときだ。テロとの戦いを最大のメッセージに掲げるのではなく、テロを生み出す憎しみの連鎖を許さないと国際社会に訴えかけるべきだ。武力ではその連鎖は断ち切れない。正義の旗を奪い合うのをやめ、旗を互いに降ろし、向き合うことができる機会や場所をつくりだすのが、私たち日本人の役割だ。

憎しみのらせん階段をどこまでも降り続ける人々にあらたな道を用意することができるか、今こそじっと目を閉じて、自らの心の中に未来を照らす希望の光りを探し見つめる時であるべきだ。