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     * 堀潤のテレビでは言えない話 vol.20

      ~「玉音の意味」の巻~

         

      発行:8bitNews  2013.8.18 (毎週1回発行)

               

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みなさん! こんにちは。8月15日、終戦の日はどのように過ごされたでしょうか。

黙祷された方もいらっしゃいますかね。


 私は、靖国神社に参拝に行ってまいりました。実は小さな頃から、初詣は靖国神社へ、というのが我が家の習わしでした。うちの母親の名前は靖子というのですが、まさに靖国神社の「靖」から来ています。というのも、うちの祖父は近衛兵でした。中央大学法学部から陸軍士官学校に入り、そして帝国陸軍を支えた一人であります、そういった家ですから、僕は小さな頃から必ず、東京に住んでいる時には靖国神社に行って家族で手を合わせて、そして帰りには遊就館という展示館に入って、人間魚雷・回天の実物を見たり、血に染まった千人針を見たりと、そうした展示を一年の初めに見て改めて「戦争を起こしてはいけないな」と思い、それぞれの年をスタートさせていました。


私たち日本人がこの靖国の問題とどう向き合うべきなのか。今まさに、政治的ないろいろな問題を含めて議論が始まっていますよね。私はとてもいいことだと思っています。


参拝するのに30~40分ぐらい並びました。毎年来ているという方に、並んでいる間に聞きました。

「どうですか? 人の増え方は」

「うーん、20年前から比べると、ずいぶん増えましたね。特に若い方が増えましたね、家族連れが増えましたね」

「そうですか、どんな思いで20年間来られてるんですか?」

「ここは日本を支えてきた、日本のために散っていった方々がたくさん祀られてますよね。日本人としては当然なんじゃないでしょうか」

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以前は、8月15日の靖国神社はこれほどまでに騒がしくはなかったそうです。近年指摘される右傾化、特に若い世代の参拝が増えているという印象だと話されていました。


右隣にいた学生の方に話を聞きました。日本武道館で行われた戦没者の慰霊式典のアルバイトをした帰りだそうです。

「毎回来てるんですか?」

「いえ、初めて来ました」

「どうして来ようと思ったんですか?」

「んー、いままで来たことがなかったからです」


このメルマガを読んでいるみなさんは、これまで靖国神社に参拝されたことはありますか? 先日、私のニコ生で聞いてみると、視聴者約1,500人中、実際に靖国神社に行ったことがある方は全体の約2割。残りの8割近くの方は行ったことがない、という回答でした。


僕はNHKで12年間働き、取材活動をしてきました。自分で取材した現場については、はっきりとした意見が言えるんですが、やはり自分が見たことがない現場に対してはどんどん言葉が濁っていきますし、逆にどんどん言葉が過激にもなっていきます。イメージによって、自分の言論が増幅していくのでしょうね。でも、実際に現場に行って確かめてみると、いろんなことを思います。
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みなさんは、靖国神社がいつ建てられたかご存知ですか? まさに戊辰戦争後に建てられた神社なんですよね。以来、国を守るために散っていった240万人以上の方々が、あの神社には祀られているわけです。ただそこには、A級戦犯といわれる方々も祀られている、これが問題を複雑にしているわけです。ただ、ここを訪れる人々が決して戦争を美化したり、過去の戦争責任について否定しているわけではないということも感じ取れます。


特効服姿に日章旗を纏って歩いている若者たちに話を聞きました。

「どうして来たの?」

「日本人、日本魂だから、来るのは当然です」

「戦争行きたい?」

「戦争には行きたくありません」

「でも、靖国神社に参拝したら、戦争を美化してるとか言われますよね?そういう外国からの指摘もありますよ。どう思いますか?」

「どうなんでしょう、大人たちがうやむやにしてきた自衛隊の話でしょ。守れるのか守れないのかも分からないような軍隊の話って、はっきりさせた方がいいんじゃないですか? 別に戦争に行くわけじゃないでしょう? どうして過去の戦争の罪について、私たちがいつまでも負い続けなければいけないんでしょうか。それよりも、平和な国を作ることのほうが大事なんじゃないですか?」

見た目はバリバリの右翼の少年。でもちゃんと話してみたら、いろんな話が出てくるわけです。

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大学でドイツ文学科に所属した僕の卒業論文のテーマは「ナチスドイツと大日本帝国下のNHK」。1933年にナチスは政権をとり、宣伝を専門にした省庁をつくります。かの有名なゲッペルスという宣伝担当大臣を置きます。そして、当時まだ生まれたばかりのメディアであるラジオ放送局のうち、地方局をすべて単なる中継局に変えていきました。ドイツも広い国。各地域でいろんな番組を作ってたんですが、番組は作らない、発信はしなくていい、すべてベルリンからの情報を流す中継局でいい、そのためもう君たちはいらない、として、今までいたスタッフをリストラ、ゲッペルスの配下たちを各地域局に送り出しました。


日本では当時、日本放送協会(NHK)がすでに放送を始めていました。ドイツのこの情報は、同盟国である日本にただちに伝えられました。逓信省の管轄にあった当時の日本放送協会の会長は小森さんという官僚です。つまり国の機関の一部だったんですね。で、ドイツの地方局を中央に統合していくという話は、そのまま日本の放送局にあてがわれて、放送改革が始まります。大本営発表に至っていくわけですね。


日本とドイツの一番の違いは何なのか、みなさんご存知でしょうか? 戦後の迎え方です。特に西ドイツと日本は違います。


ドイツについてはつい最近麻生副総理が「ナチスの手口を」なんて話をしたことで再び注目が集まりましたが、ナチス政権は形式上、民主的な手続きを経て生まれた政権でした。西ドイツの国民のみなさんは反省するんですね。自分たちが選んだ国が、大虐殺という非常に悲しい歴史を生んでしまったたため、メディアを非常に独立した形で維持していきます。1980年代には、一般の人たちが電波を使えるような組織にしていきます。


翻って日本は、戦前と戦後が非常にあいまいとなりました。日本は戦前・戦後のプレイヤーがほぼ同じです。天皇制があり、議院内閣制があり、官僚組織があり、旧財閥系を中心とした産業界があり、そして朝日新聞に読売新聞、毎日新聞、日本放送協会という巨大メディア企業が日本の言論空間を先導してきました。それでも新聞は大本営発表への加担などについて謝罪し、新たな民主主義国家の建設に向けて意思を示すなど、自らの責任に言及しています。ところが放送は、国家の一部だったので避けられない事実だったと曖昧にしてきました。まだ戦前からのタイムラインに乗っているんですね。


どうでしょう、みなさん。自分が得る情報は自分の目できちんと調べ、確かめ、考える活動というのを、一緒に始めてみませんか?


戦争は、反対です。


2013年8月15日、終戦の日に。


ではでは、今号のコンテンツはこちらです!↓


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├○    堀潤のテレビでは言えない話  vol.202013.8.18

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├○  01.【堀潤のソーシャル日記から】

├○  9回「会議は踊る されど進まず」

├○ ~福島県 米問屋事情・現場を訪ねて~

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├○  02.【ルポルタージュ】

├○  マスメディアが報じない本当の○○

├○  第19回  「今、改めて振り返っておきたい大本営発表までの道のり」

├○ ~終戦から68年 進行する右傾化の中で~

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├○  03.【ルポルタージュ】

├○  マイコの下克上研究者の道 『被害者学編』

├○  苦行な院生生活を徒然なるままに

├○  第2回「それでも生きていかねばならない

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├○  04.【ルポルタージュ】

├○  フクシマ日常論 ラジオ福島・大和田メール

├○  第3回「福島県を守るという事」

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├○  05.【告知】今週のスケジュール& お知らせ

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前回「Vol.19」へのリンクはこちらです。

[リンク] http://ch.nicovideo.jp/horijun/blomaga/ar313562

未読の方は併せてお楽しみ下さい。


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┗■  01.【活動日記】堀潤のソーシャル日記


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このコーナーでは1週間の堀のつぶやきから3本を選んで深堀り。

毎日新聞「MAINICHI RT」 の連載と連動しています。

NPO法人代表として、そしてジャーナリストとしての堀の1週間からのルポルタージュ。

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会議は踊る、されど進まず


堀 潤 JUN HORI@8bit_HORIJUN

福島県白河市で、若手の起業家の皆さん達と、動画を使った個人発信の可能性について講演。 @ 白河駅 (Shirakawa Sta.) http://instagram.com/p/crBvssNghP/

posted at 21:53:43


堀 潤 JUN HORI@8bit_HORIJUN

会津のお酒は清んだ甘さで本当に美味しいなぁ。30代、40代の経営者の皆さん「今だからこそ世界にうって出る福島の企業になりたい」そんな思いを皆で共有。 http://instagram.com/p/crERlXNgjo/

posted at 22:15:19


福島県南部の白河市を訪ねた。栃木県との県境に位置し、古くから「みちのくの玄関口」と言われてきた。平安時代能因法師が「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」と詠み、江戸時代には松尾芭蕉の「おくのほそ道」の舞台となったことでも有名だ。長きにわたり、歌枕として多くの歌人たちに愛されてきた歴史ある街だ。


白河で創業200年の歴史を持つ米の卸業者の経営者と会った。齋藤孝弘さん、49歳。東日本大震災による原発事故後、福島県産の米に逆風が吹く中、今年新たに1億円以上の設備投資をし、白河市内の工業団地に精米工場を新設した。企業誘致で復興を目指す県の補助金を利用しての決断だった。


「直後はもうだめかとも思ったんですが、インターネットを使った販売が思いのほか戻ってきたので、思い切って舵を切ってネット販売で勝負に出ようと思って」


コンピュータで管理された巨大な精米機を手でさすりながら、齋藤さんは大きく笑った。


精米工場の一角には、ベルトコンベアを備えた放射線測定器が設置されている。パートの従業員2人が、出荷される全ての米を機械にかける。国の定める乳幼児用の食品基準である1kgあたり50ベクレル以下の米だけが出荷される。今年、基準値を上回る米は見つかっていない。


白河産のコシヒカリは歩留まりの良い米として業者の間で重宝がられてきた。屑米が少なく、精米しても米の総量があまり減らない。寒暖の差によって生み出される甘みのある米の食味評価は最上級の特Aがつけられることが多く、新潟県の魚沼産コシヒカリや秋田県の県南産あきたこまちと変わらない旨さだ、と齋藤さんは胸を張る。

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しかし、ブランド力のない白河産は他の安い米と混ぜられてブレンド米として出荷されることも多く、安定的に大量に買い上げる大手の流通業者が価格交渉で強い力を持ち、売りたい値段で売れないというのが地元農家の長年の悩みだったという。他地域産と比べると1kgあたり500円ほど安い、というのがこの辺りの米の平均的な価格だ。関東の食糧基地と言われるゆえんでもある。


齋藤さんは、大手流通には頼らない独自の販売体制を確立したいと思い、2008年から自前のウェブサイトを使って消費者への直販を進めてきた。補助金と業界団体に守られた今の日本の農業。自立した農家の活躍を増やさなければ国際的な競争力もついてこない、と危機感を募らせていたからだ。


当時、インターネット商店大手の楽天での米の市場規模は年間20億円程度。それがここ数年で飛躍的に売買量が増え、今では400億円規模にまで拡大したという。齋藤さんのネット商店もそうした流れにのり、順調に売り上げを伸ばしていた。ちょうどその頃、東日本大震災が発生し、原発事故に直面した。


以来、1年間は絶望的な状況だった。福島県産の米は敬遠され、注文もつかなかった。全量検査をし、放射能汚染のない米だと地道に伝えていくしかなかった。事故から1年半が経った昨年秋頃から潮目が変わる。ネットでの注文が戻り、企業の社員食堂や病院、老健施設の給食用に注文が入るようになった。外食産業からのまとまった注文も入るようになった。先日は、マグロ漁船に積みたいから30kgの米を60体用意してくれ、という連絡もあった。ネット販売は震災直前の水準の4倍ほどに増えた。

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ネット販売がなぜ好調なのか、理由を尋ねた。生産者の顔が見えて信頼できるから、現地まで届けてくれて便利だからという理由もあがるが、やはり値段の安さが牽引しているという。米30kgの販売価格は約1万円前後。同じ等級の新潟県産では1万~15千円での販売が目立つ。


出荷を控え、検査済みの米袋が目の前に高く積まれていた。最近では多い時で月間180トンの米がここから出荷されていくというが、齋藤さんは時おり複雑な表情も見せる。「海外の日本料理店を展開する企業から、安くて質のよい米を探しているという問い合わせを受けることがあるのですが、福島県産だと明記せずに売ってもらえないかなんて相談もあります。それはちょっと・・・なんとも悲しい」

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関東の食糧基地と呼ばれ、流通業者からの強気の価格交渉に耐えながら農業を守ってきた。今度は原発事故を理由にした値下げ交渉に巻き込まれている。


福島の復興なくして、日本の復興なし。前総理の言葉だが、福島県がもともと抱えていた問題が解決されないまま、新たな困難がそこに覆いかぶさっているという状況を忘れてはならない。


講演や講師の依頼なども受け付けています。

hori@8bitnews.org までぜひ!



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┗■  02.【ルポルタージュ】

 マスメディアが報じない本当の◎◎

     

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「テレビでは言えない話」というタイトル通り、「テレビでは扱いづらい」

という理由でなかなか放送されない話題もたくさんある。

国家や大企業を敵にまわしがちなテーマについては、局側の判断で

ニュアンスが弱められたり、企画そのものが採用されなかったりする場合もある。

このコーナーでは、そうしたマスメディアが報じない現場の実態をルポ。

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19 

「今改めて振り返っておきたい大本営発表までの道程」

 ~終戦から68年 進行する右傾化の中で~


筆者が日本のメディア改革の必要性を意識するようになったのは今から約13年前、大学3~4年生のことだ。ドイツ文学を専攻していたこともあり、第2次世界大戦期にナチスドイツが強力に押し進めたプロパガンダと、大本営発表を流し続けた大日本帝国下のNHKを卒業論文の研究テーマに定めた。


ナチスドイツと同盟関係にあった大日本帝国は、ナチの宣伝担当大臣ヨーゼフ・ゲッペルスの指示によって映画やラジオ、演劇、音楽など様々なメディアを総動員して遂行されていく宣伝戦略を模倣。愛国心を植え付けるための学校教育と厳しい言論統制や規制を敷くことで、大衆の意思を一定の方向に操作していった。究極の狙いは「大衆の国民化」にあったと言われている。ここで言う「国民」とは国家への帰属意識を持った人々を指す。自由に文化を形成してきた大衆をそのまま放っておいても国家を担う「国民」にはなりはしない。ナチスや大日本帝国は、大衆を国民化することが強力で揺るぎない権力と国家を形成する絶対条件だと考えた。

第一次世界大戦後、多額の賠償金を背負わされ疲弊したドイツと、明治の富国強兵策以来、欧米列強と伍していくための国づくりを進める日本にとっては、大衆社会からの脱却は急務だったといえる。アドルフ・ヒトラーは1925年に記した自らの著書「我が闘争」で「大衆の国民化」についてこう述べている。「広範な大衆の国民化は、生半可なやり方、いわゆる客観的見地を少々強調する程度のことでは達成されず、一定の目標を目指した、容赦ない、狂信的なまでに偏った態度によって成し遂げられるのだ」