とうとう「山形」での最後の一日となった!
その日のプログラムはいつもとは違った!
いつもならば「温泉」に出かけ
そこから「映画」を見に行くのが日課だったが
その日は先に「映画」を見る事にした!
実父「ごんぼちゃん」に
どうしても見せたい映画があり
その上映時間が朝9:20だったのだ!
ならば無駄に早起きはせず
「温泉」は映画の後にゆっくりのんびり
という事になった!
私は「ごんぼちゃん」を
映画『セッション』に連れて行った!
大阪でも東京でも既に上映は終わった映画なのだが
「山形」ではまだ上映されていた!
”根性”とか”勝負”とか”音楽”とかが好きな
昭和10年生まれの「ごんぼちゃん」は
主人公が軍隊並の厳しさの中でドラムを学ぶ
『セッション』という映画を絶対に好きなはずだ!
もちろん私は既に見終えた作品なのだが
「ごんぼちゃん」が『セッション』を見る
その反応が見てみたかった!
案の定「ごんぼちゃん」は
スクリーンを見上げながら
ドラムがわりに膝を叩いて興奮した!
『セッション』では
主人公が孤独である事を見せる演出として
”父親と二人で映画を見に行く”
というシーンがある!
そうか!
私は孤独だったのか!
かくして『セッション』に興奮した我々は
手に届く場所に何かがあれば叩きつつ
「温泉」へ向かう事にした!
超低空飛行する飛行機を見上げていたら
頭をガスッとかすめられてしまったような
そんな髪型をした「山辺(やまのべ)の牧野」君が
「山辺にもいい温泉がある!」
と言ってきかない!
聞けば「ごんぼちゃん」も
噂は聞いているがまだ行った事がないと言う!
ならば行こうぜ「ごんぼちゃん」!
我々親子は映画館の駐車場から
愛車「ゴンボルギーニ」を発進させ
「山辺温泉保養センター」へ向け
時速40kmで疾走した!
実に新しく清潔な建物なのだが
そこが温泉であるという看板が出ておらず
入泉した証拠を撮影するには
バスの停留所しか無かった!
大阪に比べると東京の銭湯は熱いと言われるが
東京と比べると「山形」の銭湯は熱い!
我が家の近所にある「臥龍(がりゅう)温泉」などは
54℃のお湯をそのまま湯船に溜めている!
玉露を飲む適温が40℃と言われているからには
54℃のお風呂で入浴するとどうなるか?
他人を突き落としたと思って
その反応を想像していただきたい!
「山辺温泉保養センター」も
お湯の温度は45℃と高めで
見かける子供の表情は固く
なにかの修行を強いられているようだった!
しかも温泉の効能は
”体がなかなか冷めない”
というものだ!
残念ながらその日の「山形」の気温は37℃!
これは理論上
”そこらを歩いている親父に抱きついた方が涼しい”
という温度だ!
”体がなかなか冷めない”という効能は
我々親子にはあまりにも厳しい試練だった!
”山形と言えば蕎麦”
といった事を以前に書いたかもしれないが
”山形と言えばラーメン”
と書いても首をかしげる山形人はいないだろう!
”山形ラーメン”と呼べるようなものは
特には無いのだが
「山形」にはおいしいラーメン屋さんが多い!
そんな中
大阪に来て初めて山形名物だと知った
「冷やしラーメン」が
温泉効能の続く我々には何より有難かった!
すっかり”嵐を呼ぶ男”と化した「ごんぼちゃん」は
お店のお姉さんに
「この息子は『ミヤネ屋』コメンテイターだ!」
と自慢していた!
きっとそれも
父親が息子の成長を見守る
『セッション』という映画の影響だろう!
気をつけな!
「ごんぼ」が怒れば嵐を呼ぶぜ!
帰宅して一服した後
私は近所の散歩に出かけた!
暑さは厳しかったのだが
その日が今回最後の「山形」だと思うと
家でじっとしてはいられなかった!
幸い「ごんぼちゃん」も「ママ」も
昼寝を始めてくれたので
”どこに行く?”
”なにしに行く?”
”何時に戻る?”
と尋問する者もいない!
私は我が家の近所で「おちゃわん」が偉くなっている
という噂を聞いていた!
「おちゃわん」は小学時代からの友人で
本名は「大澤(おおさわ)」だ!
「おおさわちゃん」が
どうにかこうにか食器名に変わっていったのだろう!
「おちゃわん」は中学時代
なかなか学校に現れない男だった!
「そんなのはいやだ!」
と判断した私を含む悪友達は
毎朝「おちゃわん」の家の前に集合し
窓の下から「おちゃわん」が出てくるまで呼び続けた!
おかげで何度も遅刻した!
しかもその「おちゃわんコール」メンバーが
あまりいい子ではない連中だったため
学校からは
”不良共による集団遅刻”
と判断された!
「お前ら朝からつるんでどこで何してる!」
と先生から呼び出され叱られた時
なぜか誰も
「おちゃわんを迎えに行っている!」
という弁明をしなかった!
きっとそこでそれを言えば
「おちゃわん」の立場が悪くなる事を
全員が察していたからだろう!
ただでさえ学校に来たくない「おちゃわん」を
”不良共による集団遅刻”の元凶にはできなかったのだ!
そんな「おちゃわん」は
どこかの町で自動車修理工になっている
と聞いていた!
元々エンジン系の物に触れるのが好きな男だったので
それはそれで天職に巡り遭えたのだ
と仲間達は喜んでいた!
それがどういうわけか!
私の実家の近所にある外国車販売店で
店長をしていると聞いたら
どうにもこうにも
「おちゃわん」に会わずにはいられなかった!
「運転免許証」も持たず
明らかに外国車を買う気のない
半ズボンに「かりゆし」姿の男が
立派な外国車販売店の正面から堂々と入るのは
なんとも気が引けたので
私は店舗の裏に回り
こっそりと修理工場を覗いてみた!
ひょっとしたら「おちゃわん」は工員達に
ああだこうだと
厳しく声をかけているかもしれない!
しかし!
「おちゃわん」らしき姿は
工場の中には見当たらなかった!
するとだ!
「うおーい!」
と叫びながら
「おちゃわん」が店舗の裏口から飛び出して来た!
てっきり
スーツ姿の外国車ディーラーになり
「ごとうちゃーん!
久しぶりじゃーん!
一台どうフェラーリ?」
とか言われるとばかり思っていたのに
奥から飛び出して来た「おちゃわん」は
薄汚れた作業着姿で
子供の頃のままの笑顔だった!
「スーツなんて無理無理!
店長になっても
やっぱり俺は修理屋だもん!」
「おちゃわん」は私をお店の中に案内してくれた!
店内に集う社長さんも社員さん達も
みんな私を知っているようだった!
「おちゃわん」はよく私の話をしているのだと言う!
社員の女性に
お店のためにサインをしてくれ
と頼まれたので
喜んでいつもの「うま」を描いた!
何か言葉も添えてくれと言われたので
私はこう書き込んだ!
「おおさわを大切に!」
なんだか幸せな気分で帰宅し
庭で一服していると喉が渇いてきた!
物置にある冷蔵庫にビールでもないものか?
と探していると
面白い物が出てきた!
なんと私が高校生の頃に
学園祭のヒーロー「ミスター山形東」に選ばれた
その時の王冠だった!
今年は秋に『ダブリンの鐘つきカビ人間』の再演がある!
私はまた「王様」として
「どうもー王です!」
と言うのだろう!
高校時代も46歳になった今も
やっている格好は一緒なわけである!
はてさて!
『ひろぐ』では「まよいびと」として知られる
「浅倉かおり」嬢を素通りしては帰れない!
彼女からは
「帰って来るなら私のラジオ番組に出てよ!」
と言われていた!
家で「ママ」による”知らない人たち”の話を聞くより
近所にあるFM局で喋っている方が
ずっと”ひろぐ”!
しかしながら「浅倉かおり」嬢とのトークも
毎回帰郷のたびに出演していると
そろそろ内容が乏しくなってきた!
そこで私は
「映画監督の林海象(はやし・かいぞう)さんを
是非呼んで欲しい!」
と彼女にお願いした!
「名古屋で出会った海象さん」だが
実はそれ以降
『ひろぐ』には記していなかった
実に奇妙で面白い話がある!
「今住んでいる部屋を追い出されるので
今月中に山形で次の部屋を探さなければいけない!」
「海象」さんが自らのFacebookにそう書き込んだのが
確か今年の2月だった!
私はすぐに「海象」さんに連絡し
ちょいとおかしなオファーをしてみた!
「実はね海象さん!
私が生まれた山形市の古い一軒家が
何年も空き家になってるんですよ!
近所からはお化け屋敷扱いになってるんですが
海象さん住んでみませんか?」
それは作家である祖父「後藤嘉一」が建てた家で
私はそこで生まれて3歳までを過ごした!
もう誰も住んではいないのだが
私のそして配偶者である「カミさん」の本籍地は
今もその家の住所になっている!
「その物件を今日中に見る事はできますか?」
すぐに「海象」さんから返事があり
私は大阪から「ごんぼちゃん」と連絡を取った!
さっそくその家を訪れた「海象」さんは
「ここに決めます!」
と即決の返事をくれた!
ところが!
家賃の滞りはないようなのに
「海象」さんがその家に住んでいる気配がない!
「海象さん!
あの家に住んでないんですか?」
と尋ねると
さすがに映画人らしい怪文が届いた!
「今は教えている大学の官舎に住んでいます!
そしておじい様の書斎だった部屋は
『ロジャー・ラビット』の探偵事務所にします!」
そう書かれたメールを見て
私は数分間天井を見上げた!
ん?
なに?
どうするの?
え?
やがて翌月ぐらいに
「海象」さんから2枚の絵が届いた!
こんな絵だった!
確かに間取りは祖父「嘉一」の書斎だ!
だが!
よくわからない点がいくつかある!
私は「海象」さんにメールを送信した!
「海象さん!
これだとほら!
あれですよね?
棚の中身がね!
全部落ちちゃいますよね?」
「海象」さんからの返事は
更に高度な怪文書だった!
「棚はダミーです!」
・・・うん!
いい!
それでいい!
これ以上はあまり聞かないでおこう!
敵に棚だと思わせておいて
実はベッドなのだよ!
いいのだよそれで!
んで敵は誰なのだよ!
様々な疑問でいっぱいな私だが
どうやら「海象」さんは
教えている大学の学生達と共に
私の生家を
とんでもなくユニークな住宅に
改築しようとしているらしい!
「浅倉かおり」嬢のラジオで
「名古屋」以来の再会を果たした!
私と「海象」さんには
そんなこんなで
話が尽きる事はなかった!
「海象」さんは番組の中で
「学生達と共に山形で映画を撮ったんです!」
と言ってチラシを差し出した!
主演は「海象」さんの作品では
あまりにもおなじみの
「永瀬正敏」氏と
舞台『ガマ王子vsザリガニ魔人』にも出演してくれた
「月船さらら」ちゃんだった!
「『GOOD YEAR(グッド・イヤー)』
っていうタイトルなんですけどね!
”元木”ってところの国道沿いに
ふるーいタイヤ工場が廃工場になってましてね!
その屋根に掲げられた”GOOD YEAR”っていう
切り抜き文字の看板と
その廃工場のたたずまいを見たらね!
もうどうしてもそこを舞台に
映画を撮ってみたくなったんですよ!」
のんびり話を聞きいているうちに
私はじんわりと驚き
やがてそれは声が出るほどの衝撃に変わった!
それは私の家のすぐ近所にある
「山田ゴム」の廃工場の事だ!
そこは私が子供の頃からの廃工場で
シャッターにはこすり取られた白ペンキで
「山田ゴム」という文字がうっすら読める!
悪ガキだった時分には
忍び込もうとして叱られた経験もある!
あまりにも当たり前にそこにあるものだから
それを見て映画を撮ろうなどというアイディアは
地元民である私には決して浮かばない!
「僕はね大王!
あの”GOOD YEAR”の看板に
ネオンを灯しましたよ!」
「ジッ!ジイーッ!って音がしますか?」
「はい!
しますよ!
ジイーッって!」
まだ未完成の状態だったが
DVDを頂戴し
大阪に帰ってから書斎「LEVEL 4」で
『GOOD YEAR』を鑑賞した!
わずか20分ほどの
不思議な不思議な映画だった!
ラジオ出演後に飲んでいると
「海象」さんは力強く言った!
「音楽はみんなやってるでしょ?
子供でも大人でも
ギター1本で曲を作って歌ったり
コンピューター使ってプロと同じぐらいの曲を
みんなが作ってるでしょ?
んで友達に聴かせたりしてる!
映画もね!
もっとみんな作らなきゃいけないですよ!
バンドやるぐらいの気持ちで
仲間と映画を撮らなきゃいけないんですよ!
それが映画を発展させるんです!」
「海象」さんが映像学科で教える
「東北芸術工科大学」の学長でもある
映画監督の「根岸吉太郎(ねぎし・きちたろう)」氏も
その言葉を聞いて
グラスの中の酒を見つめながら
大きくうなづいていた!
しかしそれには
まず”映画の作り方”というものが
もっと広く知られなければいけない!
音楽の作り方は小学校でも習う!
そして更にトップレベルのミュージシャンが
曲を作る過程をテレビで披露している!
しかし映画はこれまで
舞台以上に秘密主義の文化だった!
素晴らしく見える道具が
実は家庭用品で作られていたり!
素晴らしい景色の横には
実はコンビニと牛丼屋があったり!
素晴らしい演技やカメラワークが
実は偶然生まれたものだったり!
映画はそうしてできているのに
その”作り方”を世間に見せる事は
DVD時代に”特典映像”と呼ばれる物が登場するまでは
”悪しき事”とされてきた!
そのせいだ!
「何か一曲作れ!」
という言葉と
「何か一本映画を作れ!」
という言葉ではあまりにも重さが違う!
まずは音楽並に映画の”作り方”が
世間に知られなければいけないのだ!
「海象」さんほどの映画監督が
学生をスタッフに映画を撮る事に関して
あまり快く思っていない人もいるかもしれない!
しかし!
「海象」さんは
学生達と映画を作る事によって
確実に”映画の作り方”を広めている!
共に映画を作った学生達は
「ははーん!
プロの監督ってのはこうやって映画を撮るのか!」
「うわぁ!
プロの俳優はこうやって演技をするのか!」
と山ほどのショックを感じたに違いない!
そうして現場で経験した事を
やがて自分が作りたい何かに活かして行くのだろう!
『GOOD YEAR』を見た私は
山形から生まれる新しい文化の発芽を強く感じた!
「海象」さんが望む
”みんなが映画を作る”時代は
山形から始まるような気がする!
いずれ世間は言うのだろう!
「山形の人って喋るのが苦手なかわりに
すぐ映画で撮って表現するんだよねぇ!」
そんな映画『GOOD YEAR』の公開は
なんと今夜だ!
私が山形滞在中にほぼ毎日お世話になっていた映画館
「山形ソラリス」にて
本日2015年7月24日18:30より
「海象」さんと「根岸」さんによる
トークショー付きで上映される!
立地的に行けそうな方は
是非今夜
”文化の始発点”を目撃していただきたい!
「海象」さんと飲んだくれた翌日!
私は「ゴンボルギーニ」で「山形空港」に向かい
空港で「ごんぼちゃん」と「ママ」に
別れを告げた!
二人共なかなかの高齢だ!
次に訪れる時まで
ちゃんと元気でいて欲しい!
かくして私は
ホームグラウンドである大阪に戻ったわけだが
「山形」にまつわる本当に面白い事件は
実は大阪に戻ってから起こるのである!
その日のプログラムはいつもとは違った!
いつもならば「温泉」に出かけ
そこから「映画」を見に行くのが日課だったが
その日は先に「映画」を見る事にした!
実父「ごんぼちゃん」に
どうしても見せたい映画があり
その上映時間が朝9:20だったのだ!
ならば無駄に早起きはせず
「温泉」は映画の後にゆっくりのんびり
という事になった!
私は「ごんぼちゃん」を
映画『セッション』に連れて行った!
大阪でも東京でも既に上映は終わった映画なのだが
「山形」ではまだ上映されていた!
”根性”とか”勝負”とか”音楽”とかが好きな
昭和10年生まれの「ごんぼちゃん」は
主人公が軍隊並の厳しさの中でドラムを学ぶ
『セッション』という映画を絶対に好きなはずだ!
もちろん私は既に見終えた作品なのだが
「ごんぼちゃん」が『セッション』を見る
その反応が見てみたかった!
案の定「ごんぼちゃん」は
スクリーンを見上げながら
ドラムがわりに膝を叩いて興奮した!
『セッション』では
主人公が孤独である事を見せる演出として
”父親と二人で映画を見に行く”
というシーンがある!
そうか!
私は孤独だったのか!
かくして『セッション』に興奮した我々は
手に届く場所に何かがあれば叩きつつ
「温泉」へ向かう事にした!
超低空飛行する飛行機を見上げていたら
頭をガスッとかすめられてしまったような
そんな髪型をした「山辺(やまのべ)の牧野」君が
「山辺にもいい温泉がある!」
と言ってきかない!
聞けば「ごんぼちゃん」も
噂は聞いているがまだ行った事がないと言う!
ならば行こうぜ「ごんぼちゃん」!
我々親子は映画館の駐車場から
愛車「ゴンボルギーニ」を発進させ
「山辺温泉保養センター」へ向け
時速40kmで疾走した!
実に新しく清潔な建物なのだが
そこが温泉であるという看板が出ておらず
入泉した証拠を撮影するには
バスの停留所しか無かった!
大阪に比べると東京の銭湯は熱いと言われるが
東京と比べると「山形」の銭湯は熱い!
我が家の近所にある「臥龍(がりゅう)温泉」などは
54℃のお湯をそのまま湯船に溜めている!
玉露を飲む適温が40℃と言われているからには
54℃のお風呂で入浴するとどうなるか?
他人を突き落としたと思って
その反応を想像していただきたい!
「山辺温泉保養センター」も
お湯の温度は45℃と高めで
見かける子供の表情は固く
なにかの修行を強いられているようだった!
しかも温泉の効能は
”体がなかなか冷めない”
というものだ!
残念ながらその日の「山形」の気温は37℃!
これは理論上
”そこらを歩いている親父に抱きついた方が涼しい”
という温度だ!
”体がなかなか冷めない”という効能は
我々親子にはあまりにも厳しい試練だった!
”山形と言えば蕎麦”
といった事を以前に書いたかもしれないが
”山形と言えばラーメン”
と書いても首をかしげる山形人はいないだろう!
”山形ラーメン”と呼べるようなものは
特には無いのだが
「山形」にはおいしいラーメン屋さんが多い!
そんな中
大阪に来て初めて山形名物だと知った
「冷やしラーメン」が
温泉効能の続く我々には何より有難かった!
すっかり”嵐を呼ぶ男”と化した「ごんぼちゃん」は
お店のお姉さんに
「この息子は『ミヤネ屋』コメンテイターだ!」
と自慢していた!
きっとそれも
父親が息子の成長を見守る
『セッション』という映画の影響だろう!
気をつけな!
「ごんぼ」が怒れば嵐を呼ぶぜ!
帰宅して一服した後
私は近所の散歩に出かけた!
暑さは厳しかったのだが
その日が今回最後の「山形」だと思うと
家でじっとしてはいられなかった!
幸い「ごんぼちゃん」も「ママ」も
昼寝を始めてくれたので
”どこに行く?”
”なにしに行く?”
”何時に戻る?”
と尋問する者もいない!
私は我が家の近所で「おちゃわん」が偉くなっている
という噂を聞いていた!
「おちゃわん」は小学時代からの友人で
本名は「大澤(おおさわ)」だ!
「おおさわちゃん」が
どうにかこうにか食器名に変わっていったのだろう!
「おちゃわん」は中学時代
なかなか学校に現れない男だった!
「そんなのはいやだ!」
と判断した私を含む悪友達は
毎朝「おちゃわん」の家の前に集合し
窓の下から「おちゃわん」が出てくるまで呼び続けた!
おかげで何度も遅刻した!
しかもその「おちゃわんコール」メンバーが
あまりいい子ではない連中だったため
学校からは
”不良共による集団遅刻”
と判断された!
「お前ら朝からつるんでどこで何してる!」
と先生から呼び出され叱られた時
なぜか誰も
「おちゃわんを迎えに行っている!」
という弁明をしなかった!
きっとそこでそれを言えば
「おちゃわん」の立場が悪くなる事を
全員が察していたからだろう!
ただでさえ学校に来たくない「おちゃわん」を
”不良共による集団遅刻”の元凶にはできなかったのだ!
そんな「おちゃわん」は
どこかの町で自動車修理工になっている
と聞いていた!
元々エンジン系の物に触れるのが好きな男だったので
それはそれで天職に巡り遭えたのだ
と仲間達は喜んでいた!
それがどういうわけか!
私の実家の近所にある外国車販売店で
店長をしていると聞いたら
どうにもこうにも
「おちゃわん」に会わずにはいられなかった!
「運転免許証」も持たず
明らかに外国車を買う気のない
半ズボンに「かりゆし」姿の男が
立派な外国車販売店の正面から堂々と入るのは
なんとも気が引けたので
私は店舗の裏に回り
こっそりと修理工場を覗いてみた!
ひょっとしたら「おちゃわん」は工員達に
ああだこうだと
厳しく声をかけているかもしれない!
しかし!
「おちゃわん」らしき姿は
工場の中には見当たらなかった!
するとだ!
「うおーい!」
と叫びながら
「おちゃわん」が店舗の裏口から飛び出して来た!
てっきり
スーツ姿の外国車ディーラーになり
「ごとうちゃーん!
久しぶりじゃーん!
一台どうフェラーリ?」
とか言われるとばかり思っていたのに
奥から飛び出して来た「おちゃわん」は
薄汚れた作業着姿で
子供の頃のままの笑顔だった!
「スーツなんて無理無理!
店長になっても
やっぱり俺は修理屋だもん!」
「おちゃわん」は私をお店の中に案内してくれた!
店内に集う社長さんも社員さん達も
みんな私を知っているようだった!
「おちゃわん」はよく私の話をしているのだと言う!
社員の女性に
お店のためにサインをしてくれ
と頼まれたので
喜んでいつもの「うま」を描いた!
何か言葉も添えてくれと言われたので
私はこう書き込んだ!
「おおさわを大切に!」
なんだか幸せな気分で帰宅し
庭で一服していると喉が渇いてきた!
物置にある冷蔵庫にビールでもないものか?
と探していると
面白い物が出てきた!
なんと私が高校生の頃に
学園祭のヒーロー「ミスター山形東」に選ばれた
その時の王冠だった!
今年は秋に『ダブリンの鐘つきカビ人間』の再演がある!
私はまた「王様」として
「どうもー王です!」
と言うのだろう!
高校時代も46歳になった今も
やっている格好は一緒なわけである!
はてさて!
『ひろぐ』では「まよいびと」として知られる
「浅倉かおり」嬢を素通りしては帰れない!
彼女からは
「帰って来るなら私のラジオ番組に出てよ!」
と言われていた!
家で「ママ」による”知らない人たち”の話を聞くより
近所にあるFM局で喋っている方が
ずっと”ひろぐ”!
しかしながら「浅倉かおり」嬢とのトークも
毎回帰郷のたびに出演していると
そろそろ内容が乏しくなってきた!
そこで私は
「映画監督の林海象(はやし・かいぞう)さんを
是非呼んで欲しい!」
と彼女にお願いした!
「名古屋で出会った海象さん」だが
実はそれ以降
『ひろぐ』には記していなかった
実に奇妙で面白い話がある!
「今住んでいる部屋を追い出されるので
今月中に山形で次の部屋を探さなければいけない!」
「海象」さんが自らのFacebookにそう書き込んだのが
確か今年の2月だった!
私はすぐに「海象」さんに連絡し
ちょいとおかしなオファーをしてみた!
「実はね海象さん!
私が生まれた山形市の古い一軒家が
何年も空き家になってるんですよ!
近所からはお化け屋敷扱いになってるんですが
海象さん住んでみませんか?」
それは作家である祖父「後藤嘉一」が建てた家で
私はそこで生まれて3歳までを過ごした!
もう誰も住んではいないのだが
私のそして配偶者である「カミさん」の本籍地は
今もその家の住所になっている!
「その物件を今日中に見る事はできますか?」
すぐに「海象」さんから返事があり
私は大阪から「ごんぼちゃん」と連絡を取った!
さっそくその家を訪れた「海象」さんは
「ここに決めます!」
と即決の返事をくれた!
ところが!
家賃の滞りはないようなのに
「海象」さんがその家に住んでいる気配がない!
「海象さん!
あの家に住んでないんですか?」
と尋ねると
さすがに映画人らしい怪文が届いた!
「今は教えている大学の官舎に住んでいます!
そしておじい様の書斎だった部屋は
『ロジャー・ラビット』の探偵事務所にします!」
そう書かれたメールを見て
私は数分間天井を見上げた!
ん?
なに?
どうするの?
え?
やがて翌月ぐらいに
「海象」さんから2枚の絵が届いた!
こんな絵だった!
確かに間取りは祖父「嘉一」の書斎だ!
だが!
よくわからない点がいくつかある!
私は「海象」さんにメールを送信した!
「海象さん!
これだとほら!
あれですよね?
棚の中身がね!
全部落ちちゃいますよね?」
「海象」さんからの返事は
更に高度な怪文書だった!
「棚はダミーです!」
・・・うん!
いい!
それでいい!
これ以上はあまり聞かないでおこう!
敵に棚だと思わせておいて
実はベッドなのだよ!
いいのだよそれで!
んで敵は誰なのだよ!
様々な疑問でいっぱいな私だが
どうやら「海象」さんは
教えている大学の学生達と共に
私の生家を
とんでもなくユニークな住宅に
改築しようとしているらしい!
「浅倉かおり」嬢のラジオで
「名古屋」以来の再会を果たした!
私と「海象」さんには
そんなこんなで
話が尽きる事はなかった!
「海象」さんは番組の中で
「学生達と共に山形で映画を撮ったんです!」
と言ってチラシを差し出した!
主演は「海象」さんの作品では
あまりにもおなじみの
「永瀬正敏」氏と
舞台『ガマ王子vsザリガニ魔人』にも出演してくれた
「月船さらら」ちゃんだった!
「『GOOD YEAR(グッド・イヤー)』
っていうタイトルなんですけどね!
”元木”ってところの国道沿いに
ふるーいタイヤ工場が廃工場になってましてね!
その屋根に掲げられた”GOOD YEAR”っていう
切り抜き文字の看板と
その廃工場のたたずまいを見たらね!
もうどうしてもそこを舞台に
映画を撮ってみたくなったんですよ!」
のんびり話を聞きいているうちに
私はじんわりと驚き
やがてそれは声が出るほどの衝撃に変わった!
それは私の家のすぐ近所にある
「山田ゴム」の廃工場の事だ!
そこは私が子供の頃からの廃工場で
シャッターにはこすり取られた白ペンキで
「山田ゴム」という文字がうっすら読める!
悪ガキだった時分には
忍び込もうとして叱られた経験もある!
あまりにも当たり前にそこにあるものだから
それを見て映画を撮ろうなどというアイディアは
地元民である私には決して浮かばない!
「僕はね大王!
あの”GOOD YEAR”の看板に
ネオンを灯しましたよ!」
「ジッ!ジイーッ!って音がしますか?」
「はい!
しますよ!
ジイーッって!」
まだ未完成の状態だったが
DVDを頂戴し
大阪に帰ってから書斎「LEVEL 4」で
『GOOD YEAR』を鑑賞した!
わずか20分ほどの
不思議な不思議な映画だった!
ラジオ出演後に飲んでいると
「海象」さんは力強く言った!
「音楽はみんなやってるでしょ?
子供でも大人でも
ギター1本で曲を作って歌ったり
コンピューター使ってプロと同じぐらいの曲を
みんなが作ってるでしょ?
んで友達に聴かせたりしてる!
映画もね!
もっとみんな作らなきゃいけないですよ!
バンドやるぐらいの気持ちで
仲間と映画を撮らなきゃいけないんですよ!
それが映画を発展させるんです!」
「海象」さんが映像学科で教える
「東北芸術工科大学」の学長でもある
映画監督の「根岸吉太郎(ねぎし・きちたろう)」氏も
その言葉を聞いて
グラスの中の酒を見つめながら
大きくうなづいていた!
しかしそれには
まず”映画の作り方”というものが
もっと広く知られなければいけない!
音楽の作り方は小学校でも習う!
そして更にトップレベルのミュージシャンが
曲を作る過程をテレビで披露している!
しかし映画はこれまで
舞台以上に秘密主義の文化だった!
素晴らしく見える道具が
実は家庭用品で作られていたり!
素晴らしい景色の横には
実はコンビニと牛丼屋があったり!
素晴らしい演技やカメラワークが
実は偶然生まれたものだったり!
映画はそうしてできているのに
その”作り方”を世間に見せる事は
DVD時代に”特典映像”と呼ばれる物が登場するまでは
”悪しき事”とされてきた!
そのせいだ!
「何か一曲作れ!」
という言葉と
「何か一本映画を作れ!」
という言葉ではあまりにも重さが違う!
まずは音楽並に映画の”作り方”が
世間に知られなければいけないのだ!
「海象」さんほどの映画監督が
学生をスタッフに映画を撮る事に関して
あまり快く思っていない人もいるかもしれない!
しかし!
「海象」さんは
学生達と映画を作る事によって
確実に”映画の作り方”を広めている!
共に映画を作った学生達は
「ははーん!
プロの監督ってのはこうやって映画を撮るのか!」
「うわぁ!
プロの俳優はこうやって演技をするのか!」
と山ほどのショックを感じたに違いない!
そうして現場で経験した事を
やがて自分が作りたい何かに活かして行くのだろう!
『GOOD YEAR』を見た私は
山形から生まれる新しい文化の発芽を強く感じた!
「海象」さんが望む
”みんなが映画を作る”時代は
山形から始まるような気がする!
いずれ世間は言うのだろう!
「山形の人って喋るのが苦手なかわりに
すぐ映画で撮って表現するんだよねぇ!」
そんな映画『GOOD YEAR』の公開は
なんと今夜だ!
私が山形滞在中にほぼ毎日お世話になっていた映画館
「山形ソラリス」にて
本日2015年7月24日18:30より
「海象」さんと「根岸」さんによる
トークショー付きで上映される!
立地的に行けそうな方は
是非今夜
”文化の始発点”を目撃していただきたい!
「海象」さんと飲んだくれた翌日!
私は「ゴンボルギーニ」で「山形空港」に向かい
空港で「ごんぼちゃん」と「ママ」に
別れを告げた!
二人共なかなかの高齢だ!
次に訪れる時まで
ちゃんと元気でいて欲しい!
かくして私は
ホームグラウンドである大阪に戻ったわけだが
「山形」にまつわる本当に面白い事件は
実は大阪に戻ってから起こるのである!
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ひろぐ
後藤ひろひと
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