そもそも私の頭の中で
ふとテレビドラマの企画が浮かんだのが
きっかけだった!
普段であればテレビドラマの脚本執筆に
全く興味のない私なので
それを誰に相談していいのかもわからなかった!
そこで!
かつて『青春トライ』と題した偽ドキュメンタリーを
2本製作した際のテレビプロデューサーに
話を持ちかけてみる事にした!
その人物が既にテレビの現場を離れ
テレビ局が有する劇場の館長となっている事は
百も承知だった!

焼き鳥が売りの居酒屋で
山村館長は寂しそうに言った!

「昔はテレビは遊び場だったでしょう?
 けど今はねぇ・・・
 とにかくお金が無いんですよ・・・」

もしも彼が人形劇で声の吹き替えをするならば
老いたもぐらか何かのキャラクターだろう!
そんな調子の声質と口調だ!
既にテレビの現場にはいない彼だったが
テレビ局社員であるからには
内情を読み違える事はあるまい!
彼はこう続けた!

「どこの局に当たっても
 多分一緒だと思いますよ・・・
 特に関西はね・・・」

私はどうしてもそのテレビドラマを
大阪で作りたかった!
なのでたいそうがっかりした!
しかし!
なんだか寂しい酒になるのかと思った頃に
山村館長は面白い事をぼやき始めた!

「僕もねぇ・・・
 もうじき定年退職なんですけどねぇ・・・
 それでも一つだけ夢があるんです・・・」

私も無茶な相談を突然持ちかけただけに
その夢を聞くのは礼儀というものだ!

「それは?
 私で手伝えるような夢ですか?」

「ええ・・・
 後藤君がいなければ叶わない夢です・・・」

「言ってみて下さい!」

山村館長はため息まじりに
夢を語り始めた!
そして私はその夢を叶える事を即答した!

「僕がABCホールの館長である間にね・・・
 ”大田王(だいたおう)”をやりたいんです・・・」

「川下大洋伯爵」と「三上市朗」が
「川下」と「三上」という漢字を
重ね合わせてちょいと触った二文字によるユニット名
「田王(たおう)」を立ち上げたのは
1996年だった!
私はそこにゲストとして呼ばれた!
「山内圭哉」もいたし
「牧野エミ」もいた!
私と「川下大洋伯爵」が「Piper」を名乗る以前なので
当然「山内圭哉」もまだ
「リリパットアーミー」の劇団員だった頃だ!
私はそこで好き放題に遊ばせてもらった!
『校庭とヤシ蟹』なる不条理劇を作・演出し
当時「遊気舎」でやっていた定番ネタも披露し
ソロ・パフォーマンスとしては
暗闇の中でひたすらぼそぼそ喋り続ける
『暗転ショー』なる奇芸も発表した!
(恐らくその『暗転ショー』が
 私がマイクを持ってぼそぼそ喋る起源である!)
すると私が関わるシーンは自然と増え
気がつけば「田王」の二人よりも
多くの演目に携わっていた!
ならば!
「またこれをやるなら
 ”田王”に”大王”の文字も重ねて
 ”大田王”にしてくれ!」
と要求したのだった!
これが「大田王」の始まりである!

翌1997年に「大田王」の1回目が開催された!
そのプロモーションとして
なんと朝日放送から深夜の90分枠をもぎ取り
”好きに遊んでいい”と言われた!
それが先の偽ドキュメンタリー
『青春トライ97』である!
プロデューサーは山村館長!
監督は『エル・シュリケンvs悪魔の発明』
垂見トモユキ!
脚本が私でナレーションが「川下大洋伯爵」!
キャストは「大田王」出演者だった!
この番組は「Piper」という名義で
初めて仕事をしたものでもある!
聞くところによればこの番組放映直後
「そんなわけないだろ!」
という視聴者からの苦情が殺到したそうだ!
本来「これはフィクションです」と
最後に入れるべきところを
冒頭の45秒間に字幕だけで伝えた事が
最大の原因だったと考えられている!
ええ!
もちろん故意にそうしたものだ!
深夜に『青春トライ』などというタイトルの
ドキュメント番組が放送されて
誰が最初から見るだろうか?
我々は敢えて冒頭を見せないように仕組んだのだ!


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初の「大田王」は以下のメンバーを迎えて上演された!
「土田英生(劇団MONO)」
「久保田浩(遊気舎)」
「楠見薫(遊気舎)」
「木下政治(劇団MOP)」
「大塚ムネト(ギンギラ太陽’s)」
この中で特にユニークな人選だったのは
「大塚ムネト」だろう!
私が単身「福岡県」に1ヶ月間移住し
福岡の俳優だけで組んだ期間限定劇団
「AUD-SHOT(オード・ショット)」の劇団員に
「大塚ムネト」がいた!
毎晩のように彼と飲み交わすうちに
彼の感性に惚れた私は
「大阪で面白いイベントがあるので
 メンバーに入らないか?」
と勧誘したのだった!
当時は福岡に建ち並ぶビルをかぶり物にして
その経営状態などをネタにしながら
バーで公演していた「ギンギラ太陽’s」だったが
そのかぶり物は全て彼が自作していた!
その驚くべき小道具技術は
「大田王」でもおおいに発揮された!
当然俳優としても大活躍し
「大塚ムネト」は関西での知名度を
一気に上げたのだった!

次の「大田王」は1999年に上演された!
メンバーは「大田王」含め以下だった!

「粟根まこと(劇団★新感線)」
「久保田浩(遊気舎)」
「楠見薫(遊気舎)」
「福田転球(転球劇場)」
「山内圭哉(当時フリー)」
「石原正一(石原正一ショー)」

そこにはバブル経済の名残があった!
チケットもグッズもものすごい売れ行きだった!
特に制作会社が入ったわけでもない興行だったので
利益は全て山分けだった!
たいそうな儲けになり
使い切れないお金が生まれた!
なので後日みんなで蟹を食べに行ったりした!
映像を見る限り盛り上がり方も尋常ではない!
明らかにそれほど面白くない箇所でも
観客の拍手と爆笑が録音されている!
舞台上の我々はさぞや心地よかった事だろう!
もしも「大田王」に固定のプロデューサーがいれば
「来年もやりましょう!」
となっていただろう!
しかし我々はその公演を最後に
「大田王」を封印した!
理由は
「三上市朗」が東京に移住した事だけではなかった!
そうした
”誰が何をやっても喜ばれる波”
に乗ってしまう事で
本当に面白い事を見失ってしまうのではないか?
という不安が「大田王」をストップさせたのだった!

それから15年が過ぎた!
波は去った!
再び集まったメンバーは不安を語った!
きっとあの頃のようにはいかない!
若い観客が来たら面白いと感じるのか?
昔と同じ物をやって受け入れられるのか?
だが!
総合演出を任された私には確信があった!
なぜなら彼らとは違い
私だけはこの15年間
更に「コメディ」を高める現場で
暴れ続けたからだ!
「吉本新喜劇」メンバーらと共に
老人をも爆笑させた!
「劇団ひろひょう」では
10代のお笑いファンも楽しませる事ができた!
他にも様々な状況で
年齢性別を問わず笑わせる事を学んだ!
何が面白くて何が面白くないのかを
以前よりも敏感に察知する能力を身につけた!
15年を経て見せるべきものは
”老い”ではない!
それぞれが更に高めた技術を
どれだけ無駄に使うかだ!

かくして挑んだ15年ぶりの「大田王」!
次回の『ひろぐ』では
全ての演目をリストアップし
思い出と共に解説しよう!


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はてさて!
「大田王」熱が冷めぬままに
即興演劇イベント
「インプロビアス・バスターズ」
11回目の開催を迎える!
前回は「三上市朗」の出演に沸いたが
今回はなんと!
「カミさん」こと「楠見薫」の登場だ!
チラシには表記されていないが
今回はデビュー間もない無名の怪物芸人
「ゆりやんレトリバァ」
の参戦も急遽決定!
これは今までになく高密度なバスターズとして
語り継がれる事となるだろう!
御期待いただきたい!

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