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【編集長:東浩紀】ゲンロンβ32【『新復興論』大佛次郎論壇賞受賞!】

2018/12/28 23:55 投稿

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 ゲンロンβ32【『新復興論』大佛次郎論壇賞受賞!】
 2018年12月28日号(テキスト版)
 編集長=東浩紀 発行=ゲンロン

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◆◆『ゲンロンβ32』試読版
https://issuu.com/genroninfo/docs/genronb32issuu/24
こちらから今号を試し読みいただけます。

◆◆◇◇ 目 次 ━━━━━━━━━━━━━━━━━


1. 運営と制作の一致、あるいは等価交換の外部について 観光客の哲学の余白に・番外編 東浩紀
2. つながりロシア 第4回 ふたつの極に引き裂かれる胃袋――ロシアの食文化について 沼野恭子
3. 反復性と追体験――触視的メディアとしてのゲーム/アニメーション(前) 土居伸彰+吉田寛+東浩紀
4. アンビバレントヒップホップ 第16回 『ギャングスタ・ラッパーは筋肉の夢を見るか?』 吉田雅史
5. 五反田アトリエからのお知らせ 藤城嘘(カオス*ラウンジ)
6. ゲンロンカフェイベント紹介
7. メディア掲載情報
8. 編集部からのお知らせ
9. 編集後記
10. 読者アンケート&プレゼント
11. 次号予告


表紙:12月22、23日に行われたゲンロン総会での小松理虔さんと石戸諭さんによるトークイベント。小松さんの持参した福島の地酒が振る舞われ、会場には多くの人が集まった。


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ゲンロン叢書001『新復興論』が第18回大佛次郎論壇賞を受賞しました!
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 ゲンロン叢書001として今年9月に刊行された『新復興論』が、第18回大佛次郎論壇賞を受賞しました! 12月21日の朝日新聞デジタル版では選考委員による選評も掲載されています。同書とあわせてぜひご覧ください!

https://www.asahi.com/articles/DA3S13820840.html

【写真】

 『新復興論』のもととなった小松さんの連載「浜通り通信」が掲載された『ゲンロン観光通信』『ゲンロンβ』はゲンロンショップで購入可能です。この機会にぜひご一読ください!


 『ゲンロン観光通信 #1』(創刊号)のご購入はこちらから
 https://genron.co.jp/shop/products/detail/42
 『ゲンロンβ1』(創刊号)のご購入はこちらから
 https://genron.co.jp/shop/products/detail/76


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 運営と制作の一致、あるいは等価交換の外部について
 観光客の哲学の余白に・番外編
 東浩紀 @hazuma

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 去る一二月二一日、ゲンロンの代表を降りた。詳しい理由については、二三日早朝の友の会総会で話したし(この原稿が配信されるときは、まだタイムシフトでぎりぎり視聴可能のはずである)、その場にいなかったひとも、すでにツイッターなどであるていど状況を察していることと思う。ひとことでいえば、ぼくは、ゲンロンという法人のため、これ以上自分の身を犠牲にするのが辛くなってしまったのだ。
 ぼくはゲンロンという会社の創業者で、大株主で、代表なので、ゲンロンを解散することも考えた。実際、ツイッターでも記したように、一二月の半ばにはかなりその選択に近づいていた。けれども、周囲の友人の、そして友の会会員のみなさんからの強い支援の言葉があり、ぎりぎりで思いとどまることができた。けれども、いずれにせよ、いつ解散を言い出すかわからない人物が代表ではまずいので、ぼくはゲンロンの代表を退くことにした。健康を取り戻すまでの一時的な措置ではあるが、後継の代表を快く引き受けてくれた上田洋子に深く感謝したい。
 ところで、今回のぼくの不調は、一二月に入っていきなり始まったものではなく、じつは夏あたりから静かに進行していた。経営者としてのぼくの願いと社員の要求が乖離するようになり、さまざまな場面で、ぼくの負担が一方的に増えていると感じることが多くなっていたのである。とりわけ、この二ヶ月ほどは、毎週のように新たな社員が退社を申し出る異常事態で、つぎはだれが辞めるのか、だれのどの発言が信じられるものなのか、疑心暗鬼になりながら事業計画を二転三転させなければならず、ノイローゼになりかけていた(この言葉がいま医学用語として使われないことは承知しているが、わかりやすいのでそう書く)。ぼくはそのころから、ツイッターで弱音を吐くようになった。本誌の読者のなかには、その時点で心配していたかたが多くいるのではないかと思う。
 ゲンロンの経営はあくまでも社内の事情ではあるが、ぼくは、友の会の会員に対しては特別の説明責任を感じていた。それゆえ、ぼくは、今回の解散騒動が起こるまえ、つまりいまから二週間ほどまえに、すでに、なぜぼくが苦境に陥ったのか、あるていど社内事情を開示したうえでゲンロンという組織のありかたについて語る、長い原稿を記していた。それは、この半年の苦境を、単なる苦境として片付けるのではなく、そこからなんらかの「意味」を引き出すことで乗り越えようとする、ぼくなりの苦闘だった。
 結果としては、その苦闘も虚しく、ぼくは心を病み、経営を放り出してしまった。加えて、それからの二週間でわかってきたことは、今回の苦境にはそもそもがそんなに深い「意味」などないのではないか、ということでもあった(今回の原稿を最後まで読んでくれれば、その徹底して無意味な状況からも新たな教訓が引き出されることがわかるが、とりあえずはぼくはそう感じた)。ゲンロンにはダメな社員が多かった。少なくとも、ここ数年の成功を受けて、かつてはダメじゃなかった社員もダメになった。ぼくは統治能力が低く、彼らを増長させた。それゆえ彼らは、自分たちが楽に仕事ができないとわかったら、いろいろイチャモンをつけて退社を言い出した。どうもそれがすべてなのではないかという気が、いまはしてならない。なにもかもが虚しいかぎりだ。
 とはいえ、状況認識に多少的を外したところがあったとはいえ、そこでぼくが試みた議論そのものは、いまでも発表の価値があるのではないかと考えている。そこで、今回はまずは、問題の原稿の要旨を、社内事情に言及した箇所を省いて紹介することにしたい。ぼくは、ゲンロンを、以下のような考えのもとで運営していたのだ。

 問題の原稿は、まずは「運営の思想」と「制作の思想」という対立から始まっていた。
 この対立は、黒瀬陽平の『情報社会の情念』という著作に登場するものである。「運営の思想」は、SNSや動画投稿サイトにおいて、コンテンツの投稿や生成を最大化するように仕組みを整える、文字どおり「運営」の発想を意味している。他方で「制作の思想」は、そのような仕掛けに抵抗しつつ、あるいはそれを利用しつつ、独自の作品を作ろうとするクリエイターの試みを意味している(黒瀬はこのような明確な定義を与えていないが)。ひとことでいえば、運営の思想とは、プラットフォームのほうがコンテンツよりも優位だと考える立場のことで、制作の思想とは、コンテンツのほうがプラットフォームよりも優位だと捉える立場のことである。
 黒瀬の著作の主題はネット時代の創造性にある。だから以上の対立は、まずは、ネットでは運営の思想が圧倒的に優位だが、それだけでよいのかという問題提起のために導入されている。けれども、その対立そのものは、ネットカルチャーやポップカルチャーにとどまらず、より広く文化分析一般に適用することができる。
 運営の思想とは、要は商品開発の思想であり、資本主義の思想のことである。現代は運営の思想が優位な時代だが、しかしそれだけでは、文化「産業」は栄えても文化そのものは痩せ細る。
 なぜならば、プラットフォームからすれば、コンテンツはあくまでも代替可能で交換可能な「商品」でしかないからである。たしかに制作者には、運営の言うことを聞かない自由がある。しかしかわりに運営者のほうには、制作者を交替させる自由がある。そしてそのような葛藤が起きたとき、とくに現代のメディア環境においては、両者の力関係は明白である。現代ではクリエイター志望者は無数にいる。しかしプラットフォームは少数しかない。クリエイターは数少ないプラットフォームに殺到するほかないが、プラットフォームのほうは、運営の言うことを聞くクリエイターをいくらでも市場から調達することができる。結果として、市場では、大衆が求めるものばかりが増殖し、コンテンツの多様性は消える。SNSや動画投稿サイトの実態を知らなくても、この危機意識に共感する読者は多いだろう。
 さて、運営の思想と制作の思想というこの対立を導入すると、ゲンロンの特異性についても理解を深めることができる。
 ゲンロンではぼくは経営者である。そして同時に、書籍やトークイベントといった主力商品の制作者でもある。つまりはゲンロンでは、運営の思想と制作の思想の担い手が一致している。
 これは、ゲンロンのもっともわかりやすい特徴である。ゲンロンと同じ規模の小出版社やイベントスペースは数多くある。逆にぼくと同じくらいの知名度でコンテンツの管理を法人化しているひとも数多くいる。けれども、ぼくと同じように、コンテンツの制作者であり続けながら、同時に自分以外の執筆者や登壇者を招くプラットフォームを作ろうとしている人間はほとんどいない。この点で、ゲンロンは、いまの日本の言論界のなかで、きわめて特異な立ち位置を占めている(といっても創業者の贔屓目にはならないと思う)。
 けれども、その一致に対しては、めずらしいだけに、逆にしばしば疑問が寄せられてきてもいる。具体的には、東さんは執筆や登壇に専念すべきで、ほかに経営を担うひとを探すべきだと言われることがある。じつは今回の騒動でも、多くのひとが同じような忠告を寄せてくれた。忠告には感謝している。ぼく個人の能力を高く買ってくれているからこそ、そのように言ってくれているのがわかる。実際、先日の総会でも話したように、ぼくが今回潰れた原因のひとつは、社員たちが、執筆者や登壇者としてのぼくに対してあまりにも配慮を欠いていたからでもあった。運営と制作の一致がいかにむずかしいかは、ぼくは身に沁みてわかっている。
 にもかかわらず、じつはぼくはいまでも、健康が回復したら経営に復帰すべきと考えている。なぜか。

 それは、ぼくが、運営と制作を切り離すこと、それそのものが危険だと考えているからである。
 どういうことだろうか。
 

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