69年前、僕は11歳だった。学校の教師は、あの戦争を「聖戦」だといった。「お前たちはお国のために死ぬのだ」ともいっていた。もちろん僕もそう信じていた。将来は海軍に入って、みごとお国のために死ぬのだと思っていた。だが、それは「夢」だった。
69年前の8月のあの日。正午から天皇陛下のラジオ放送があるという。当時は、すべての家庭にラジオがあるわけではなかった。だから、ラジオのあるわが家に近所の人たちが集まり、あの放送を聞いたのだ。あのころのラジオは性能が悪く、雑音が多かった。それでも、ときどき明瞭になる陛下の声を必死で聞いた。
意味はよくわからなかった。放送が終えると、みんなの間で意見が分かれた。「まだがんばって戦え」ということだろうという人もいた。「戦争は終わった。日本は負けたんだ」という人もいた。その後、役所から連絡がきた。そこで、よくやく日本が負けたのだ、ということがはっきりした。
僕は悲しくなって、自分の部屋にこもって泣きに泣いた。海軍に入って、日本のために死ぬという、「夢」がかなえられなくなったからだ。いつの間にか、寝てしまっていたようだ。気がつくと、すっかり暗くなっていた。窓から外を見た僕は、とても驚いた。家々に灯がともっているのである。
それまでは、灯火管制のため、夜は真っ暗になっていた。空襲に備えなければならなかったからだ。そのときになってやっと、僕は何か開放されたような、不思議な高揚感を覚えた。
9月になり新学期が始まると、あらゆることが逆転していた。「この戦争は聖戦だ」といっていた先生が、「間違った戦争だった」といい始めたのだ。「鬼畜米英」といっていたアメリカが、「いい国」となっていた。総理大臣だった東条英機などは、一転して大悪人になった。教科書を墨で塗りつぶす作業も続いた。
いったい何なのだ、と僕は思った。あの日を境に、自分が正しいと信じていたことが、すべてひっくり返されたのだ。それから僕は、「国、そして偉い人というのは嘘をつく」と肝に銘じ、疑うようになった。
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