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北朝鮮への制裁を通して二人のキズナは生まれた 〔PHOTO〕gettyimages

安倍晋三政権が北朝鮮に対する制裁の一部解除を決めた。北朝鮮が設置する日本人拉致被害者に関する特別調査委員会の実効性について、前向きに評価したためだ。今回の調査委は国防委員会や国家安全保衛部など金正恩第一書記に直結する組織が主導する形になっている。拉致問題はいよいよ動き出すのだろうか。

いま困っているのは北朝鮮

救う会(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)や家族会(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会)、あるいは国会議員らの拉致議連(北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟)など関係者の間には「(救出の前に制裁を解除するのは)順序がおかしいのではないか」(平沼赳夫拉致議連会長)といった声もあった(たとえば「日朝合意『再調査』ーこんな問題が起きないか緊急国民集会」報告、http://www.sukuukai.jp/mailnews/item_4154.html)。

そういう思いがあるのは理解できる。だが、いまは日本の中で内輪もめしている場合ではない。安倍首相と菅義偉官房長官、古屋圭司拉致問題担当相の3人は拉致問題で一貫して北朝鮮に毅然とした姿勢を貫いてきた。家族会からも信頼を得ている。自民党内も「あの3人がトップだから心強い」という雰囲気だ。

たとえば、2004年に成立した「特定船舶の入港禁止に関する特別措置法」がある。これは、日本独自の制裁措置として万景峰号の国内入港を禁止した法律である。当時、自民党内に強かった慎重論を説き伏せて議員立法で成立させたのは、菅や山本一太、河野太郎の衆院議員(当時)たちだった。

菅は自分のブログで「自ら取りまとめ、これまで効力を発揮してきた制裁の解除を、官房長官として発表したことは、大変感慨深いものがあります」と書いている(http://ameblo.jp/suga-yoshihide/entry-11867145205.html)。そして、この立法を後押ししたのが当時、内閣官房副長官だった安倍だ。

菅が安倍を信頼し、また安倍も菅を信頼するようになったのは、このときの経緯がきっかけである。北朝鮮に対する制裁こそが、現在に至る2人の盟友関係を築く出発点なのだ。その2人がいま自ら「制裁の一部を解除する」というなら、判断を信頼する以外にない。

そう評価したうえで、いくつか拉致問題を考える基本ポイントを指摘しておきたい。もっとも重要なのは「いま困っているのは北朝鮮だ」という点である。ここを間違えて「日本がお願いして生存者を返してもらう交渉」と理解すると、評価と対応を誤ってしまう。

それは過去の経緯からもあきらかである。

ソ連に見捨てられて金丸訪朝団を受け入れ

たとえば1990年9月、自民党の元副総裁だった金丸信が社会党の田辺誠副委員長(当時)らと北朝鮮を訪問した。金丸訪朝団は拉致問題をまったく提起しなかった。それどころか、後に東京佐川急便事件で金丸の自宅が家宅捜索されたときには「北朝鮮からのお土産ではないか」と疑われた刻印なしの金の延べ棒が発見されたりした。実態は国交正常化後の経済協力をあてにした「利権外交」だった。

金丸の意図はともかく、北がなぜ訪朝団を受け入れたか。それは1989年に冷戦が終了し、北への圧力が強まったからだ。冷戦が終わると、すぐルーマニアで反乱が起きてチャウシェスク大統領夫妻が処刑された。90年に入ると、当時のゴルバチョフ・ソ連大統領が北朝鮮の宿敵である韓国との国交正常化に合意した。

そんな中で北朝鮮の金日成主席は「ソ連に見捨てられ、次は我が身か」と心配し、金丸訪朝団を受け入れた。窮地からの出口を日本に求め、関係改善を図るためだった。