僕は、ロッキード事件やリクルート事件、ライブドア事件などを取材してきた。その取材をとおして、検察、とくに特捜部の怖さを知ったつもりだ。しかし今回、郷原さんに話を聞いて、改めて「正義」という言葉に酔って突っ走る検察の怖さ、そして、それを煽るマスコミの危なさを感じたのだった。
たとえば事件を目の前にして、まず検察の上層部が、事件の「ストーリー」を描く。もちろん、捜査にとりかかるために、「仮説」をたてることは必要だ。しかし、その「ストーリー」に、何が何でも合わせようとしてしまうのだ。そのため、しばしば強引な捜査になってしまう。
そんな捜査をしていれば、冤罪が生まれるのは当然である。リクルート事件の江副浩正さん、ライブドア事件の堀江貴文さんは冤罪だったと、僕はいまも思っている。そして、厚生労働省の村木厚子さんの冤罪については、みなさんの記憶に新しいことだろう。小沢一郎さんは無罪になったので、冤罪にはならない。だが、検察によって実質的に政治生命を絶たれている。
こうした構図は、いったいどうして生まれるのだろうか。特捜部は、政治家を「巨悪」だとし、自分たちが「正義」だと信じている。検事一人ひとりは正義感にあふれた好人物だ。だが、組織になると「正義」を信じて突っ走ってしまう。
では、マスコミが検察批判をしないのはなぜか。マスコミこそが、権力の暴走の歯止めになるべきではないのか。僕のこの疑問に対して郷原さんは、「マスコミは、対政治家戦争の従軍記者なんです」と答えた。相手が政治家や大物実業家になると、マスコミは「真実」よりも「勝利」を求めてしまうのだろう。つまり、「政治=巨悪を倒す検察」、そして、それを煽るマスコミという構図なのだ。
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