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2013年8月15日の靖国神社 [Photo] Getty Images

猛暑が続く中、各地でさまざまな勉強会や研修会が開かれている。昨日(8月22日)は愛知県蒲郡市で開かれた私学教職員の研修会に招かれて話す機会があった。与えられた演題は「政府はこうして国民を騙す」。昨年、出版した私の本のタイトルである。

当時と政権は変わっているが、政府とメディア、国民の関係をめぐって変わった部分もあれば、変わっていない部分もある。政府は国民を騙しているのか、いないのか、あらためて考えてみたい。

私が講演で扱った材料は福島第一原発の汚染水問題と消費税、環太平洋連携協定(TPP)、それに集団的自衛権と憲法改正問題だ。

汚染水問題は事故の第2ラウンドの幕開け

まず汚染水問題をどうみるか。流出した汚染水は300トンとされていたが、講演を終えた後になって「新たにタンク2基で流出か」という記事が流れた。

報道によれば、東電関係者は外洋に流れた可能性を認めている。そうだとすれば、大変な事態である。事故の第2ラウンドが始まったと言ってもいい。なぜなら第一に、すでに情報提供を求めている韓国はじめ、欧米にも強い懸念が出ている。つまり事故の影響と被害が国際的に広がり始めた。

第二に、汚染水の流出を止める有効な手段が見つかっていない。半面、地下水の流入は続いている。遮水壁を作るとしても、完成には年単位で相当な時間がかかる。それまで被害の拡大は待ってくれない。そうなると、日本への国際的な批判が高まるのは避けられない。

前回コラムで書いたが、汚染水対策が遅れた本質的な原因は、事故当時の民主党政権が東電を破綻処理せず、会社を存続させたまま事故に対応しようとしたからだ。

被災者への賠償も除染も国は一時的に費用負担するだけで、最終的には東電に費用を返済させる仕組みをつくった。会社をつぶさないことが前提なので、国は原理的に東電をさしおいて積極的に事故に対応できない。自分のビジネスで投融資した株主と銀行の責任を棚上げしたまま、国民に負担を求めるわけにはいかないからだ。

したがって、国が前面に出て対応するには、まず東電を破綻処理することが前提になる。いまの安倍晋三政権も東電を存続させる枠組みを踏襲している。そのままで国が汚染水処理をするには「研究名目」のような苦し紛れの弥縫策をとるしかない。

廃炉についても、国が民間会社である東電の仕事について費用負担する法的枠組みがないから、研究費用として独立行政法人に予算をつけた。だが、そうした場当たり対策は行き詰まる。汚染水対策に本腰を入れて対応するためにも、あらためて東電を破綻処理する必要がある。

政府は国民負担の最小化という原則を貫け

東電問題は政府と民間企業、エネルギー政策が複雑に絡み合っているが、民主党政権から現在に至るまで基本的構図は変わっていない。東電を破綻処理して株主と銀行に責任を分担してもらえば、その分、国民負担は減る。「国民負担の最小化」という原則について、政府はいまからでも遅くはないから本来、あるべき選択肢を示すべきだ。

それはメディアの責任でもある。

破綻処理すれば国民負担が減ることは明らかであるにもかかわらず、一部のメディアは破綻処理に口をぬぐったまま「東電任せにせず、政府が対応を」と叫んでいる。政府は国民の税金で仕事をしているのを忘れているかのようだ。

政府が本腰を入れるとは、すなわち国民が重荷を背負うという話である。それには東電存続でビジネスをした投資家や銀行の存在を見逃してはならない。規律なき単純なメディアの「政府が対応せよ論」に騙されてはいけない。