読み返してみたら、 この法人の例は調査不足以上に説明不足に思える。NPO法人の活動内容が何で、補助金の意味が何で、打ち切りの名目が何か、ということがわからない。 しかし記事の中心は後半の混合診療についての医師会のHPの説明文だろう。 http://www.med.or.jp/nichikara/kongouqa/appeal.html http://www.med.or.jp/nichikara/kongouqa/index.html 保険外診療を受ける金のない人のためにそうでない人も同じ治療法仲間を抜けるべきではない、抜けることでみんなの治療法の収益を下げるのはエゴイストだ、と読めるな。 一サイクルなどの事情じゃなくて価値観の問題だ。制度に決定的影響力を持つ医師会の掲げる文だから、単なる一団体の意見を超えてこの文の内容と語調は国民に指図している、と田原氏は受け取るわけだ。そのくせ、どうにも内容の説明がない。ただエゴイストにならぬよう従えと言っている。これでは社会主義国かと思うのも自然だ。 もともと所得や資産に応じた分の健康保険税・料を納めてきていて、患者になったとき、患者が独自の努力をすることは平等でないから治療の自由を与えない、などとはりくつとしておかしいし、言われた本人や亡くした家族は納得できないだろう。 一般な考えとして、自分たちがそれなりに正しいからといって別の考えを価値観から否定する態度は、善意でも悪意でも他を排除する専横であり、それではシステムの改善は進まず、後から考えたら不合理を温存していたことがわかる、というのが歴史の経験則なわけだ。 この医師会のHPにあるQ&Aケースを見ると、あるゆる治療を保険制度の内で行い、保険認定自体が柔軟であるべきだが、混合的な柔軟性は認められない、ということのようだ。読んでいくと、ほんとうに社会主義的感覚が本意に見える。田原氏が挑発されるのは自然だな。 この平等重視は社会主義的感覚でないとしたらなんだろう。 たとえば、同じ病院内で保険外で助かる人が出ても、保険外治療は危険なはずだから、トータル確率では不公平にはならないはずだし。 さらに想像すると、病院内共同体感覚が壊れる、というのが原因じゃないかと思えてくる。とくに末期医療の病室は死を待つ場所という一面があるので、効果の確率とは別に乱されては困る、と思うかもしれない。 他にも、保険の自由化とつなげて保険制度の競走やら、その他いろんなことで不安定になるのが怖い、とも取れる。というのは、そのHPでは「社会的共通資本」という言葉があるが、これは経済学者の宇沢弘文氏が構造改革による医療危機を唱えていることとつながるから。医療崩壊とも関連づけられているのかも知れない。 そういうあれこれを引っくるめて、社会主義的感覚で語っているとも想像できる。 以上は、HPの感覚からの想像だけどね。 ただここまで社会主義的感覚だと、これがほんとに制度に決定的な影響を与えているのか、医療をほんとに代表しているのか、疑わしくなってしまうけど。 まあ、プロならHPの感想以上にもっと詳しく調査して欲しいところだが、いいかげん歳だし、もっと若い人に取り組んでほしいのだけど、他にいないんだろうな。
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この法人の例は調査不足以上に説明不足に思える。NPO法人の活動内容が何で、補助金の意味が何で、打ち切りの名目が何か、ということがわからない。
しかし記事の中心は後半の混合診療についての医師会のHPの説明文だろう。
http://www.med.or.jp/nichikara/kongouqa/appeal.html
http://www.med.or.jp/nichikara/kongouqa/index.html
保険外診療を受ける金のない人のためにそうでない人も同じ治療法仲間を抜けるべきではない、抜けることでみんなの治療法の収益を下げるのはエゴイストだ、と読めるな。
一サイクルなどの事情じゃなくて価値観の問題だ。制度に決定的影響力を持つ医師会の掲げる文だから、単なる一団体の意見を超えてこの文の内容と語調は国民に指図している、と田原氏は受け取るわけだ。そのくせ、どうにも内容の説明がない。ただエゴイストにならぬよう従えと言っている。これでは社会主義国かと思うのも自然だ。
もともと所得や資産に応じた分の健康保険税・料を納めてきていて、患者になったとき、患者が独自の努力をすることは平等でないから治療の自由を与えない、などとはりくつとしておかしいし、言われた本人や亡くした家族は納得できないだろう。
一般な考えとして、自分たちがそれなりに正しいからといって別の考えを価値観から否定する態度は、善意でも悪意でも他を排除する専横であり、それではシステムの改善は進まず、後から考えたら不合理を温存していたことがわかる、というのが歴史の経験則なわけだ。
この医師会のHPにあるQ&Aケースを見ると、あるゆる治療を保険制度の内で行い、保険認定自体が柔軟であるべきだが、混合的な柔軟性は認められない、ということのようだ。読んでいくと、ほんとうに社会主義的感覚が本意に見える。田原氏が挑発されるのは自然だな。
この平等重視は社会主義的感覚でないとしたらなんだろう。
たとえば、同じ病院内で保険外で助かる人が出ても、保険外治療は危険なはずだから、トータル確率では不公平にはならないはずだし。
さらに想像すると、病院内共同体感覚が壊れる、というのが原因じゃないかと思えてくる。とくに末期医療の病室は死を待つ場所という一面があるので、効果の確率とは別に乱されては困る、と思うかもしれない。
他にも、保険の自由化とつなげて保険制度の競走やら、その他いろんなことで不安定になるのが怖い、とも取れる。というのは、そのHPでは「社会的共通資本」という言葉があるが、これは経済学者の宇沢弘文氏が構造改革による医療危機を唱えていることとつながるから。医療崩壊とも関連づけられているのかも知れない。
そういうあれこれを引っくるめて、社会主義的感覚で語っているとも想像できる。
以上は、HPの感覚からの想像だけどね。
ただここまで社会主義的感覚だと、これがほんとに制度に決定的な影響を与えているのか、医療をほんとに代表しているのか、疑わしくなってしまうけど。
まあ、プロならHPの感想以上にもっと詳しく調査して欲しいところだが、いいかげん歳だし、もっと若い人に取り組んでほしいのだけど、他にいないんだろうな。