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ドンピシャ・ぺちゃんこのときめき☆メモリアル 学級日誌『登下校のメモリー』

2015/08/15 13:06 投稿

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拝啓、生徒諸君。

先生です。
先生が最近好きな飲料がありまして。
それは宇治抹茶とアイスティーを合わせたもので、近場では駅ナカのコンビニしか置いておらず、しかし先生は好んで毎日買っていたのですが、

昨日、商品棚から消えていました。

先生が買い占めてしまった、というわけではないでしょう。
あくまで店側の意思によるものだと思います。

つまり、先生の味覚と、世間との味覚の乖離があった、ということになるのでしょうか。

先生、しばらくショックのあまり、棚の前をうろうろ往復してしまいました。
あまりにうろうろしていたので、不審な視線を向けられていたかも知れません。


閑話休題。


今回は「登下校のメモリー」です。
本当にたくさんのお便りを頂きまして、ありがとうございます。

まず、「ある共通点」を持つメモリーを送られてきた方が、
3人ほどいらっしゃいましたので、続けてご紹介させていただきます。




P.N:ひなどりさん(女性)

私は高校生時代に自転車通学していました。行きは上り坂、帰りは下り坂の学校でした。

そして私には同じクラスに片想いの人がいたのですが、
とてもシャイな私にはただときめくことしか出来ませんでした。

いつも通りの下校時、彼は駅まで歩いて坂を降っていました。

(普段は挨拶できないけど、自転車に乗ったまま去り際にすれば恥ずかしくない!)
と思い「また明日ね!」と挨拶すると驚いたように「お、おう。」と言ってくれました。

私は嬉しくてニヤニヤしながらそのまま坂を降っていると、
なんだか背中がスースーするのです。

まさか…と、思ったときにはすでに遅し。スカートが背中までめくれ上がり、
私はパンツ丸出しで坂を降っていたのです。

それ以降、彼と話すことが出来なくなり、「また明日!」と勇気を出して言ったその言葉が
現実になることはありませんでした。

そんな私の甘酸っぱい青春メモリーです。

P.N:やひろさん(女性)

私は中学生のある日、
いつも通り走り回ったり高い塀から飛び降りたりとアグレッシブに遊んでいたとき、
男子の一人に平然と言われました。

「お前、パンツ丸見えだよ」と。

翌日から体操服のズボンをスカートの下に履くようになりました。

P.N:みかさん(女性)

高校生の時、私は自転車通学でした。
スカートをかなり短く履いていましたが、皺になってしまうのが嫌だったので、
サドルにスカートを挟まずに乗っていました。(サドルonパンツ)
カーディガンを着ていれば、スカートがめくれにくいと私は思っていたのです。

その日、たまたま父が車で私の横を通過したらしく、私は全く気が付きませんでした。
その日の夜、父に

「何時頃あの道通ってたよな? パンツ丸見えだったぞ」

と言われました。
言われた時は苦笑いしかできませんでした。
◼︎先生からの一言
ひなどりさん、やひろさん、みかさん、それぞれお三方が、
違うシチュエーションでパンツを見せています。
つまりこれは、全国至る所で女性のパンツが散見されているということに他なりません。
そこで、先生はふと考えました。
パンツとは何なのか、と。
そもそも、見られたくない箇所を隠すためのものがパンツなのであって、
パンツそれ自体は「見られても問題ないもの」でなければならない筈です。
下着が開発されてから幾星霜、それを着るのが当たり前になったいつの頃からか、
下着はその本質的な機能を失ってしまったのです。
あ、だから別に見せてくれと言っているわけではないので、
その辺、誤解の無きよう。



P.N:どなべさん(男性)

小学生の頃の話です。
当時、通学路に落ちている空き缶を踏み潰すのがマイブームでした。
下校中、空き缶を見つけては踏み潰していました。
アルミ缶だろうがスチール缶だろうが、構わず潰していましたが、
やはり潰しやすいアルミ缶を見つけると、ちょっとテンションが上がっていました。
どうしてそんな事をしていたのか自分でもよくわかりませんが、
楽しかったという事はぼんやりと覚えています。
◼︎先生からの一言
一人で帰る通学路というのは、個人個人の有り様が垣間見える、とても大切な時間だったのかもしれません。
先生も一人で帰ることが多い子供でしたが、様々な遊び、ルールを考えては、その帰り道で行っていたように思います。
と、ここまで書いておいて、どなべさんの文章の中に「一人で」という単語が一度も出てきていないことに気づきました。
……一人じゃなかったのなら、この話はなかったことに。



P.N:さばくちゃん2さん(男性)

ランドセルが用水路に落ちた
◼︎先生からの一言
夏。帰り道の脇にある用水路。
半分だけ顔を出しながらプカリと浮かぶランドセルと、
それを、笑うでもなく、かと言って慌てるでもなく、
呆然と見つめる小学生の男の子の姿が目に浮かびました。
とても短いですが、素敵なメモリーだと思います。



P.N:不飽和脂肪酸さん(女性)

私はかなりの怖がりで、高校まで登下校歩きだったのですが、
口裂け女を高校三年生まで信じており、
一人で下校する際は「ポマード」を連呼しながら、
背後を作らないように帰っていました。
◼︎先生からの一言
先生も怖い話や怖い映画が苦手で、学生時代、大人数で怖い映画を観ていた時、
さんざんストーリーにツッコミを入れ、どうにか笑えるようにしていたことがあります。
結果、趣旨が大きく変わってしまったので、「皆んなで怖い映画を観る会」は催されなくなりました。
あるいは……催されてはいたけれど、私だけが誘われていなかったのかもしれません。
怖い話です。



P.N:CALUMAさん(男性)

私は小学校と中学校が隣接している学校に行っていたのてすが、
なぜかそれぞれの通学路が違い、小学生の方が遠い道で通学していました。
小学生の時、私が友達と中学生の通学路で帰ると必ず先生に怒られ、
世の中は年功序列なんだなと察しました。
◼︎先生からの一言
その通りです。世の中の大抵のことは年功序列です。
それは何故かと言えば答えは明快で、
「この生きにくい世の中で、自分より長く生きているというだけでもう偉い」
ということなのです。
その人が何を成してきたか、現在どうなっているのか、
もちろんそれは、人を尊敬するという上で大きな要素ではありますが、
基本的には生きているだけで偉いのだと、先生はそう思います。



P.N:ぽよよさん(女性)

あれは高校3年生の時でした。
高校へは自転車で通っていて、その日は少し遅刻しそうでした。
急いで自転車を漕ぎなら高校へ向かっていたのですが、背負っていたリュックが邪魔になり、
カゴに入れました。
入れたのは良いのですが、どうも上手く収まっていなく、
自転車を漕いでいる最中もそれが気になって仕方ありませんでした。
最初は片手で直そうとていたのですが、それでもちゃんと収まらず、
気がつけばいつの間にか、私は両手で直そうとしていたのです。
自転車は漕ぎながら。
私は見事に転び、転んだ拍子におでこと手を擦りむきました。
その日は卒業アルバムの個人写真を撮る日。
擦りむいたおでこを前髪で必死に隠し、個人写真を撮りました。
遅刻しそうで急いでいたけれど、1度止まってから直せば良かったなと今でも悔やんでいます。
これが私の登下校のメモリーです。
◼︎先生からの一言
何か重要なことをしている時に、些細なことが気になってしまう。
先生も経験があります。
また、自転車ですっ転んでしまう経験も多くありました。
すっ転んだ後、誰に言うでもなく「あらら」などと口走り、一人苦笑いを浮かべ、
早々にその場所から走り去る……。
転ぶとロクなことがありません。
ぽよよさんの卒業写真、とても苦い思い出でしょうけれど、大事な教訓が込められているので、ぜひ、大切になされてください。



P.N:おきゃべさん(女性)

小学生の集団登校時のメモリーです。
毎朝同じ時刻に同じ場所ですれ違うおじさんがいました。
そのおじさんは通勤途中のようで、自転車に乗っていました。
そして、そのおじさんはすれ違う度に体をこちら側にのりだし、
キスをするのかな? と思うくらいに顔を接近させ、
日本語ではない、中国語のような言葉をボソボソ…と言い、通り過ぎてゆくのです。
最初のうちは(今のはなんだったんだろう?)としか思わなかったのですが、
1週間、2週間、毎日のように、そのおじさんはやはり私だけに、
すれ違いざまに顔を近付け、
どこかに国の言葉をボソボソ…と言って去っていくのです。
それが1ヶ月も続いた日、同じ登校班のメンバーの子達に了解をもらい、
登校時間をずらすことができました。
そのおかげもあって、あのおじさんとすれ違うこともなくなり、
また普通の登校ができるようになりました。
あれから10年以上経った今、あの時のことを思い出すと、
あのおじさんは一体わたしに何を言いたかったのか、
一体何がしたかったのか、
自転車を走行させつつ、キスができそうになるまで顔を近付けられる(でもキスはしない)テクニックはどこで身につけたのか、
ひょっとして雑技団関係の人であり、毎朝練習していたのか…、
様々な疑問が浮かびます。
変なメモリーで申し訳ないのですが、これがわたしのメモリーになります。
◼︎先生からの一言
少々割愛させて頂きましたが、意味が分かるようで分からない、なんとも不思議なメモリーだと思います。
そのおじさんは、何が目的だったのでしょうね。いろいろと想像こそ出来ますが、正解が見つけられないところが、このメモリーの面白いところな気もします。
登下校中に出会う変なおじさんといえば、私の通学路には、家の前でうるさくしていると履いている下駄で殴りつけてくると噂のおじさんがいました。
誰もがその家を通る時には静かにしていて、私もそれに倣っていたのですが、
ある日そのおじさんが、にこやかな顔で庭の草花に水をあげている光景を目にしました。
下駄は履いていませんでした。
その時私は、なんだか申し訳ないことをしたな、と思ってしまったものです。
どのおじさんも、今ではおじいさん。
きっと特別な存在なのです。



P.N:からくささん(女性)

私は小一から中三までの九年間、片思いをしていた男の子がいました。
その男の子とは性別の垣根を越えた大親友となり、下校時も一緒でした。
この関係を壊したくなかったので、自分の思いを伝えずにいたのですが、
中学校の卒業式の日、いつもの様に下校し別れ道までくると、
(高校は別だから、これからは会えなくなる)
と思い、何とか思い出の物が欲しかった私は
「学ランの第二ボタン頂戴」と言いました。
彼は「良いよ」と、ボタンを外してくれました。
私は嬉しくて、内心では舞い上がっていましたが、何事もなかったかの様に振るまい、
下校道をまた二人で歩き出しました。
結局、自分の思いを伝えられないまま年月が経ち、
その男の子は数年前に事故で二度と会えない所へ逝ってしまった為、
あの頃の私の想いは、永遠に伝えることができずにいます。
今でもあの下校道を歩くと、あの日の事を鮮明に思い出します。 
◼︎先生からの一言
とても淡く、切ないメモリーですね。
人は誰かに何かを伝えきれずに別れてしまうことばっかりです。
でも、伝えた方が良いのか、そうでないのか、
正解が分からないところが、どうにも難しいですね。
からくささんにとって、きっとずっと引きずっていく思い出なのだと思いますが、
けれど、それは悪いことでは無いような気がします。
多分、そういうものなのでしょう。





以上、僅かではありますが、皆さんからのメモリーを紹介させていただきました。

次回のメモリーテーマは『プール・海や川のメモリー』です。
また是非、皆さんからのメモリーをお待ちしています。

こちらでお便りを取り上げさせていただいた方々には、現在鋭意作成中である「ゲムするッ! 番組特製オリジナルグッズ」をお送りする予定です。
発送まで多少の時間が掛かってしまいますが、しばらくお待ちいただければ幸いです。

それでは皆さん、また次の時まで、お元気で。
担任:鉄塔

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