拝啓、生徒諸君。


先生です。
連日気温が高く、夏もいよいよ本番といった感じではありますが、
皆様、いかがお過ごしでしょうか。

最近、ドンピシャ君やぺちゃんこ君と共に行動する機会が増えているのですが、
我々がお世話になっているスタジオの近くのゴミ捨て場に、
紐で括られたエッチな本の束がありました。

何日経っても、その束は回収されずに残り続けており、
我々は何とはなしにその動向を気にしてはいたのですが、
雨が降った次の日、水に濡れてヨレヨレになった本の束を見て、
ドンピシャ君がこう言いました。


「ますますエッチになったね」


恐ろしいほど阿呆な発言ではありますが、先生は激しく同意しました。
水に濡れ、ヨレヨレになると、エッチな本はよりエッチになるのです。
あの日、誰かが、どこかの空き地で、あるいは橋の下で見つけた本の束。
よくよく考えると、その全てがヨレヨレであったと記憶しています。

きっと、今もどこかで、ヨレヨレになりながらも、
次の読み手を待っているのでしょう。


あくる日、そのゴミ捨て場から、本の束は無くなっていました。


閑話休題。


今回も、多くの方からお便りを頂戴しました。ありがとうございます。
皆さんから送っていただいたお便り、全て拝読させていただきました。

7月11日放送の番組内で募集し、7月18日の番組放送内では取り上げることが出来なかった「先生にまつわるメモリー」のお便りが沢山ありましたので、
その全て、とはいきませんが、この場をお借りして、
幾つか紹介させていただきたいと思います。




P.N:オズさん(男性)

小学校の頃、卒業式で「将来の夢」の発表がありました。
僕は「好きだから」という理由だけで「ゲームを作る人」と発表しました。
同級生や親はニヤニヤしながら聞いている中、
担任の先生だけが真剣に聞いてくれたことを強く覚えています。
10年後、僕は先生と仲の良かった数人に連絡をとり、プチ同窓会を開くことにしました。
その場で先生に夢を叶えて「ゲームクリエイター」になったことを打ち明けました。
先生は泣きながら昔のように頭を撫でて褒めてくれました。
それが僕の「先生にまつわるメモリー」です。
◼︎先生からの一言
初志貫徹、ぶれることなく夢を叶えた……素敵なことです。
オズさんのお便りを読んで、思わず目頭が熱くなると当時に、はて、自分はどうだったろう、と思い返してみました。
先生は子供の頃、自分が何になりたいのかよく分かっていませんでした。
結果として、今の自分が何なのか上手く説明できないので、
実は先生もブレていない、と言っても、これは過言ではないのかもしれません。
ぜひ、素敵なゲームを作られてください。



P.N:やかん兵さん(男性)

先生って、キモくないのにキモい、とか言っちゃうよね…。
◼︎先生からの一言
同調圧力と呼ばれるものですね。
先生も学生時代に、女性からそのような言葉をぶつけられた事がありますが、
多分、同じリクツだったのでしょう。
きっと、そうだと思います。



P.N:ボヤンチさん(女性)

高校生のときに尺八を吹ける先生がいました。
ある日、用があり放課後職員室で過ごしていました。
しばらくして下校時刻になると、その先生が尺八を手に職員室を出て行くのが見えました。
廊下から「蛍の光」が聴こえてきました。
◼︎先生からの一言
素敵な先生、そして素敵な情景だと思います。
ボヤンチさんのお便りを読んで、懐かしい気持ちになりました。
尺八で奏でる蛍の光は、さぞや荘厳な音色だったのでしょう。
ちょっと下手くそだった場合は、今頃、学園七不思議的な扱いをされているかも知れませんね。



P.N:まこすけさん(女性)

私の先生にまつわるメモリーですが、あれは小学校5年生のとき。
担任の先生が新人ということもあり、ベテランのおじいちゃん先生が副担任だったんです。
優しいおじいちゃん先生に、みんな友達のように仲良く接していたある日の授業中、
空いていた窓から大きなハチが入ってきました。
女子は勿論大騒ぎ、男子はびびりながらもハチを追い出さそうと窓を開けたり閉めたり。
そんな中で1人動いたのが、おじいちゃん先生でした。
おもむろに竹の30cmものさしを手に持ち、ハチに向かってフルスイングしたのです。
なんとハチに見事命中し、ハチは床へ。
何事もなかったかのようにハチを拾って、外に持っていったおじいちゃん先生にクラス全員が尊敬の念を抱きました。
今でもあのフルスイングが忘れられません。
おじいちゃん先生元気かなあ。
◼︎先生からの一言
おじいちゃん先生の、非常事態に冷静に対応する様は、
人生経験の豊富さを物語っていますね。
もし自分がやったらどうなるか、考えてみましたが、
おそらくフルスイングしてもハチには当たらず、
座っていた女子生徒の顔面を殴打、ネットニュースとなり、PTAの議題に上り、そのまま教職を辞するところまで想像できました。
おじいちゃん先生、元気にされていると良いですね。



P.N:消化器さん(女性)

私は、高校のとき演劇部に入ってました。
私はその演劇部が大好きで、とても強く、激戦区と呼ばれる中国大会まで行ったこともありました。
その時のお話です。
その年の劇の主役は私で、プレッシャーもありかなり緊張していましたが、
劇はとてもいい感じで特に問題はありませんでした。
しかし、中国大会の前哨戦である県大会の何週間前、私は顔面神経麻痺という、顔が半分動かなくなる病気にかかってしまいました。2週間ぐらい入院したのですが、顔の半分は一向に動かず、そして県大会はあと1週間もありませんでした。
私は顧問の先生やみんなに我儘を言い、県大会出してくださいと言いました。
すると皆は「いいよ」と言ってくれて、顔が半分動かないので練習は大変でしたが、県大会には無事に参加することができ、中国大会の出場も決定しました。
しかしその後、練習や大会のプレッシャー、ストレスのせいか、病気が悪化し倒れてしまいました。少しお休みを頂き元気にはなったので、中国大会には出られるとおもったのですが、担任の先生に指導室に呼ばれ「大会には出るな」と言われました。
私は悔しくて悔しくて……でも、諦めるつもりはありませんでした。
休みの日、顧問の先生から電話がきました。
「主役はお前にしかできない、お前以外にできるやついない でも、今回は大会は諦めろ。お前のためにいってるんだ、大会にでてもまた体調を崩して一生演劇出来なくなったら辛いと思う。
先生もまだお前の演劇を見ていたい 」
私は、声を出して泣きました。いろんな思いでぐしゃぐしゃでしたが、演劇が出来なくなるのは嫌だと思い、中国大会は諦めました。
それを伝えた時、先生は少し涙声で「わかった。よく決心してくれた」と言ってくれました。クールな先生だったので、泣いていたのはびっくりしてしまいました。
大会に出れなかったのは悔しかったのですが、代役の子が頑張ってくれたおかげで、大会は成功し、とても良かったです。
顧問の先生の言葉が無かったら、無理してでも大会に出て体調を悪くして演劇が出来ない体になってたかもしれません。今は、先生のお陰で病状も回復し、演劇活動もしています。
◼︎先生からの一言
長いお便り、ありがとうございます。
高校時代の消化器さんの、恐らくは未だ綺麗には消化しきれていない思いが詰まっていて、先生は読んでいて胸が苦しくなると同時に、色々なことを思い出しました。
非常にお辛い経験をされたと思いますが、逆に言えば、誰もが経験できることではありません。その経験を生かせる機会があれば、きっと、誰よりも素敵な演技ができることと思います。是非、頑張ってください。





以上、僅かではありますが、皆さんからのメモリーを紹介させていただきました。

次回のメモリーテーマは『先輩・後輩のメモリー』です。
お便りはこちらから
また是非、皆さんからのメモリーをお待ちしています。

こちらでお便りを取り上げさせていただいた方々には、現在鋭意作成中である「ゲムするッ! 番組特製オリジナルグッズ」をお送りする予定です。
発送まで多少の時間が掛かってしまいますが、しばらくお待ちいただければ幸いです。

それでは皆さん、また次の時まで、お元気で。
担任:鉄塔