映画『ゼロ・グラビティ』、映画『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』で既にアカデミー賞を受賞したことのあるシネマトグラファー(映画撮影でカメラを操る役職)のエマニュエル・ルベツキは、自然光のみで撮影した、アレハンドロ・G・イニャリトゥが監督を務める映画『レヴェナント:蘇えりし者』で、連続3回目の受賞に向けて順調に進んでいる。これは、衣装デザイナーのイーディス・ヘッドと同記録であり(米ウォルト・ディズニーは、1930年代に短編アニメ賞の部門で8回連続でアカデミー賞を受賞した)、最近ある監督が言ったように、世界で最も偉大な映画製作者は、“レンザー(lenser・映画撮影でカメラを操る役職)”だという更なる根拠になるだろう。
アカデミー賞候補が発表された日、ルベツキは、近年、才能ある映画製作者たちと一緒に働くことができて自分がどれだけ恵まれているか敬意を表す一方、自身のチームの業績を讃えることにおいては概して控え目だった(映画『レヴェナント:蘇えりし者』は12部門でノミネートされている)。ルベツキは、彼の職人仲間が思い通りに出来る16ミリフィルムや70ミリフィルム、デジタル撮影などの幅広い方法において、ノミネートされた作品での自分の分野の仕事に明らかに夢中になっていた。
ルベツキは、アカデミー賞撮影賞部門にノミネートされている別の作品について、「全ての作品を見て、全てが素晴らしいと思うし、それぞれの作品はとても異なっている」と、語った。またルベツキは、「それぞれの作品は、まるで違う言語のようだ。ある作品はとてもオペラ的でシアトリカル(演劇的)で、またある作品はとても自然でミニマルだ。この多様性が素晴らしいさを生み出している」と、語った。
ある者はアカデミー賞を受賞することに決して慣れることはないが、ルベツキは、この点に関して明らかに何度も繰り返しており、初めてアカデミー賞にノミネートされた1995年公開のアルフォンソ・キュアロン監督の映画『リトル・プリンセス』は、ルベツキの別の人生での出来事のようだ。実際に、何年も前の幸運な出来事について追憶すると、ルベツキは、当時そのプロジェクトで彼にとって画期的な出来事は何だったのかを思い出さずにはいられなかった。
ルベツキは、「映画『リトル・プリンセス』は、私が米国の大舞台で携わった初めての大作映画だ。そこではそれぞれが異なるスケジュールで仕事していた」と回想し、「とても優秀なプロダクション・デザイナーがいて、ボー・ウェルチと私たちは、プリ・プロダクションで映画について考える時間があった。アルフォンソ(キュアロン監督)は、この映画の間に本当に開花した。まるで過去に20回も経験したかのように、大規模な予算で製作する映画に取り組むアルフォンソの姿を見ているのは本当にエキサイティングだった。顔つきや言葉遣い、そして色彩、全てが素晴らしく、映画が舞台の上であるかのように非常にうまくコントロールされていて、全てのショットが生き生きとしていた。本当に素晴らしい体験だった。私たちはとても興奮し、緊張していた」と、加えた。
ルベツキは、米国での初めての大手映画製作スタジオによるベン・スティラーが監督を務めた映画『リアリティ・バイツ』を1年前に辞めたばかりで、今もなお、米国の映画業界について学び続けている。アワードシーズンについてもだ。控えめに言っても、ルベツキはまったく異なる経験をしている。
ルベツキは、「まったく信じられなかった」と、語る。そして、「誰も信じていなかった。私のエージェントさえ私のアカデミー賞ノミネートを信じておらず、彼女は本当に驚いていた。ノミネートはどこからともなく現れた。今の時代は、出版したり研究したり映画を追い続ける人たちがいて、彼らが考えていることがだいたい起こるし、沢山の噂がある。私がノミネートされた頃は穏やかだった。静かで、平穏で、そして、『チボ(ルベツキのニックネーム)がノミネートされた』と、電話のベルが鳴る。私は、『何?本当に?』というような感じだ。そして、『リトル・プリンセス』は何のサポートも受けていなかったと気付く。私たちには映画のためのPRチームや宣伝をしてくれるようなものが何もなかった。イベント会場に到着しても、誰も『リトル・プリンセス』がどんな映画であるのかなど知らなかった。でも『リトル・プリンセス』でアカデミー賞にノミネートされたことは本当に興味深く、信じられないくらいの衝撃だった」と、続けた。
その後、8回に渡るアカデミー賞ノミネートを受け、ルベツキは、映画ビジネスで最も栄誉を与えられた職人の1人として在り続けている。