1月14日(現地時間)、アカデミー賞の主演および助演男優賞・女優賞の候補が発表され、ノミネートされた20人全員が2年連続で白人俳優だけであるという結果に、大きな議論が巻き起こった。ツイッター上では、“オスカーは白すぎる(#OscarsSoWhite)”というハッシュタグが溢れかえり、ニューヨーク・タイムズ紙は、オスカー(アカデミー賞)は「愚か過ぎる」という見出しを掲げた。週末には、映画監督のスパイク・リーがアカデミー賞授賞式をボイコットすることを表明し、映画芸術科学アカデミー会長のシェリル・ブーン・アイザックスは、「多様性の欠如について憤りを覚える」との声明を発表した。本紙ヴァラエティは、映画業界は何をすべきかという議題について、ハリウッド映画界を代表する俳優ジョージ・クルーニーの考えを聞いた。
ジョージ・クルーニー:10年前を振り返って考えてみると、アカデミー賞はより良い状況だった。どれだけ多くのアフリカ系アメリカ人がノミネートされていたか考えてみて欲しい。そして、誰がノミネートされるかという問題ではなく、一体どれだけの作品に、特に高品質な作品にマイノリティの人々が参加できる選択肢があるのか、という点こそが問題だということについても言及したい。
私たちには、妥協し折り合いをつけなくてはならない問題がだくさんある。1930年代の映画産業は、業界を先導する大半が女性という素晴らしい状況だった。それが今では、40代を過ぎた女性が映画の中で主演を演じることはとても難しい時代になっている。私たちは、いくつかの流れを見ている。ジェニファー・ローレンスやパトリシア・アークエットが賃金格差の問題について声を大にして表明したことについて、私たちは注意を向けなければならない。だが、私たちはもっと前から注意を払うべきだった。この業界がアフリカ系アメリカ人の代弁者として十分に機能していないということは、実際に偏りのない事実だ。この点については間違いなく真実だと思う。
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ノミネートされた候補について振り返ってみよう。2004年には、確かに黒人の候補がいた。ドン・チードルやモーガン・フリーマンだ。そして突然、私たちは間違った方向へ進んでいるように感じる。ノミネートを考慮されなかった候補もあった。今年は、4本の作品があった。『クリード チャンプを継ぐ男』はノミネートされてもおかしくなかったし、ウィル・スミスは『Concussion(原題)』でノミネートされてもおかしくなかった。イドリス・エルバは『ビースト・オブ・ノーネーション』でノミネートされて良かったはずだし、『ストレイト・アウタ・コンプトン』も同じだ。そしてもちろん、昨年には『グローリー/明日への行進』のエヴァ・デュヴァネイ監督がいた。デュヴァネイ監督がノミネートされないなんて、本当に馬鹿げている。
だが正直言って、これよりも多くの機会が与えられるべきだ。アカデミー賞の候補として検討される作品は、20作、30作、あるいは40作品ほどあるべきだ。ところで、私たちはアフリカ系アメリカ人について話している。ヒスパニック系の人々にとって、状況はもっと悪い。状況を改善する必要がある。以前はもっとより良く出来ていた。
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