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薄暗がりの礼拝堂 ~シネマライズ閉館に寄せて~

2016/01/07 10:30 投稿

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渋谷区宇田川町のシネマライズが2016年1月7日を以って閉館する。
そのニュースを知ったのは昨年の暮れだった。なるほど、いつ足を運んでもガラガラだったあの映画館か…今までやっていたのが不思議なくらいだなーという気持ちで調べてみたら『アメリ』や『トレイン・スポッティング』などでロングランを達成しミニシアターブームの火付け役とまで称されていた。今更知った。知らなかった。ううむ。何度か足を運んだこともあるのに知らないもんだ。こういう一見の客も閉館の要素を形作っていたのだろうか。実際10年あまりは訪れていなかった。最後なので行って映画を観てきた。

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お礼を告げるつもりで建物を訪れたがこの場所が取り壊されるわけではない。以後はライブハウスとして活用される。それがふさわしいような作りでもあり、衝撃的な郷愁はなかった。最後の上映を彩るのは『黄金のアデーレ 名画の帰還』だ。
実話を描いたフィルム。ドイツとの併合によるナチスのオーストリア侵攻の際失われたのは人命だけではない。さまざまな美術品が収奪された。その返還を遺族が求め実際にオーストリア政府がそれに応じるまでの物語だった。十分に楽しめた。三回も泣いた。法律と歴史の知識があればもっと良かったと悔やむほどに。

物語はマリア・アルトマンが姉の死後、その遺品から見出した手紙から始まる。クリムトの描いた名画『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』(通称『黄金のアデーレ』)はアデーレ・ブロッホバウアーの遺言によりオーストリアの美術館に寄贈されたものとされている。だが実際にその遺言状の真偽を確かめる価値があることをマリアは知る。
マリアにとって、クリムトの名画のモデルのアデーレは叔母にあたる。かつてオーストリアの宮殿のようなアパートで一族と暮らしていたマリアの母にも等しい存在だ。マリアは友人の息子である弁護士に絵を取り返すための算段を依頼するが、彼はようやく職をつかんだばかりの駆け出しだ。そのような大掛かりな依頼を受け付けるはずもない。
しかしその絵画の価値を知り結局は依頼を受ける。自らのルーツでもあるウィーンを訪れて彼の考えが一変する。妻子もあるからとすげなく老婦人の依頼を断ろうとした男が、彼女が政府の対応に打ちひしがれ諦めようとする頃には食い下がるまでになる。マリアは言う。あなたには妻子も生活もある、もううんざり、元の穏やかな生活に戻ろうと。
二人の人間の立場が逆転するのだ。歌舞伎のどんでん返しのように。
かつて似たような場面をこの映画館で確かに二回は見た。

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『ギャングスター・ナンバー・ワン』と『トゥエンティフォー・アワー・パーティピープル』。この映画館で見た映画はこれだけだ。どちらも奇しくも英国の映画で特に前者はまったく流行らず、先述した「いつでもガラガラ」状態を作り出していた映画でもある。それでも何度となく足を運んだのはこの映画館が選ぶフィルムに共通する人間らしい色気、たちこめるような匂いに魅了されたからだ。
ここまで人間同士は切迫するのか、という関係性。絆という言葉とは正反対のおぞましいものを余すところなく描ききっていた。そのどちらもある立場の人間が陥落し、あるいは堕落して相対する者に乗っ取られる。
彼らは言う。「車輪はすぐに下を向く」「恋をする者は太る」、つまり盛者必衰のメッセージを放っていた。こんなメッセージをまたも受け取るのが閉館間際のシネマライズなんて、何てぴったりくるんだろう。
前述の映画二本はけして後味のいいものではない。この最後に見た『アデーレ』もマリアは訴訟に勝利するまで屈辱を覚え、勝利したあとも家族を捨てて亡命したことを実感して罪悪感に涙する。けれども『アデーレ』の帰還により同時に素晴らしかった思い出、誇りを取り戻し陶冶されているという描き方だった。これは心にしっくりきた。祈りを感じた。
先に見ていた二本の映画が生々しかったので最後にこの映画を鑑賞できて救われた。
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閉館の背景事情がどんなものであったのか、分析するのはたやすい。
しかし何かひとつの場所が閉じるとき、これはもうどうしようもない、役割を果たしたからだというよりほかにないだろう。
少女漫画で見た文句で、映画館は礼拝堂に似ているという言葉があった。
確かにそんな感じだと思う。人は暗がりを欲する。特に若いうちは隠れる場所が必要だ。
今では明るい道を歩きたいと思うようになって歳月と変化を感じながらシネマライズを後にした。閉館のセレモニーを行わないという記事を見たとき最初は疑問に感じたが、こういうことかと建物を出てから思った。
そうだ、映画を観た後にギンギンギラギラの閉館セレモニーなんかで気持ちを区切られたら堪らない。最後まで観客の気持ちを優先すればセレモニーは行われてはならないのだ。静かに埋没する。
けれどもここで観た映像はこの先何度も心に投影されて蘇る。
そういう印象を残すのは、やはり部屋のなかのモニターや、ましてスマートフォンの動画にはできない仕業だ。今更ながらもう少し今年は映画館で生々しいフィルムを観よう。そう思った。
シネマライズは閉館するが『黄金のアデーレ 名画の帰還』の上映はまだ続く。興味をもった人は是非映画館で見てほしい。

黄金のアデーレ 名画の帰還
http://golden.gaga.ne.jp/ [リンク]

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(執筆者: 小雨) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか

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