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東京は聖域をタタミに変えてしまう。ぼくは、30年近く、タタミの下で生きていたことを思い知らされる。この気持ちは年を取って上京した全ての人が感じると思う。
東京は今まで聖域にあったものが、コロンとそのへんに置いてある。きっと、アフリカのど真ん中で水が貴重な国の人が、水道のある先進国に来たときも同じ気持ちになるんだろう。「ぼくの国では、井戸の水を汲みに行くのに、片道6時間歩くんだよ」と悲しそうな目で話すアフリカ人の子供のような気分になる。その気持ちが、関東に生まれた人にはわかるんだろうか。31歳で上京した、ぼくの地方人としてのコンプレックスは並ではない。
まず、地方にいたとき、テレビというものが聖域だったのだ。四角い箱の先にあるのは、遠い遠い国のお話だった。しかし、東京ではテレビはリアルの当たり前のものに見えてしまう。なぜかと言うと、大きなニュースがあると、新橋駅の前や、渋谷駅の前で、インタビューをしているのを見かける。そして、自分にも普通に、インタビューを求められる。めざましテレビや、朝ズバのようなテレビ番組が、普通の人たちによって、作られていることを知る。恵比寿などのオシャレなところに行くと、ドラマの撮影をしている。「ああ、ヨレヨレのTシャツを着た制作会社の人たちが、こうやってテレビを作っているんだ」ということを知る。テレビが聖域じゃなくなる。
さらに、ちょっと変わったネットサービスを作ると、テレビの取材が来る。自分と同じ年くらいのオッサンから、いろいろ取材されたり、指示とかされると、「なんか。。普通だ。。。」と思ってしまう。聖域が消えていく。ただ、彼らは、ボクと同じ年で、世に出すものをたくさんつくっているわけで、自分の人生経験のなさを感じる。
渋谷や新宿の駅前に行くと、選挙前には、いつも大物政治家が普通に演説をしている。総理大臣や党首クラスを普通に見かける。麻生さんや、鳩山さんなどなどを、何度かリアルで見て、そして、普通に選挙活動で握手してもらえる。テレビで見ると、すごいオーラを感じるけど、実際、選挙前に握手をしてもらうときに、近くに寄ってみると、案外、背が小さいオッサンだったりする上に、選挙で疲れておられるので、汗まみれで、アブラギッシュなので、ぐんにゃりしてしまう。聖域っぽいものがなくなってしまう。
著書というものも聖域ではなくなる。日本中の出版社が東京にある。逆に言うと、大きな出版社は東京にしかない。地方にいると、本を描いた人はすごいと思うけれど、東京にいると、そこら中の人が本を書いたことがいる。特にandroid技術関係者の間だと、本を書いている人が多すぎて笑う。地方のエンジニアが本を書く機会なんて、ほとんど無いけれど、東京だと、ぼくレベルでも本を執筆しませんか的なお話を頂く。ああ、今の日本は、実力があるかどうかとかじゃないんだ。どこに住んでいるかの方が重要なんだ、と痛烈に感じた。若くてエネルギーがあるときに東京に来ればよかったと、物凄く悔やんだ。
ネット企業も聖域ではなくなる。ヤフーとか、GMOとか、サイバーエージェントとか、Googleとか、Greeとか、mixiとか、DeNAとか、ドワンゴとか、遠い遠い向こうの世界と思った会社がユニクロに服を買いに行くように行けてしまう。そして、普通に勉強会などに参加できて、オフィスに普通に入ったり、時には取引したりしている。熊谷さんに、東京つれて来られて、家入さんや、けんすうさんとかにも、上京早々に会えてびっくりした。
ただ、自分がネット業界に向いているかといわれると、ものすごくNOだと思う。基本的にクローズドアーキテクチャーが好きだし、無理に人と関わったり、コミュニケーションするカルチャーは難しい。チャットなんて32歳までロクにしたことがなかった。
何はともあれ、東京に来ると、聖域がタタミになる。
大阪にいたとき、本気で、「一度くらい、自分の作ったものがITmediaとかに載ったらいいよなー」と思っていたら、最近は、掲載どころか、ブログを書かせていただいている上に、本編の記事執筆を頼まれて、締め切りを破っていたりします。すいません、谷古宇さん。あとで書きます。
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