作家の清水健二(西島秀俊)は妻の綾(小山田サユリ)と、郊外のリゾートホテルを訪れる。その初日、健二は初老の男・佐原(ビートたけし)と若い女・美樹(忽那汐里)のカップルを目撃する。強く惹かれた健二はホテル内で彼らを見かけるたびに後をつけ、しまいには部屋を覗き見るようになっていく――。
郊外のリゾートホテルという閉鎖的な空間を舞台に、女への執着が狂気へとエスカレートしていく男の姿を、背徳的なまでに官能的な映像美で描く映画『女が眠る時』。多様な見方・解釈が成立しうる問題作について、メガホンを握ったウェイン・ワン監督、ビートたけし、西島秀俊の3人にインタビューを行った。
――脚本を最初読んだときの感想を教えてください。
たけし:台本もらって読んだんだけど、単なる変態オヤジだなぁと(笑)。変態オヤジで選ばれたから、嬉しくもあり、悲しくもありだよ。だけど、ストーリーを追っていくと、これは非現実的な変わり者を見せているんじゃないかなという感じがあった。休暇に来ている作家の夫婦に見せているのか、作家夫婦を含んだ全体的な世界をお客さんに見せているのか、いろいろ考えたよね。
西島:僕は、最初に読み始めた時に、かなり不思議なあるカップルを覗き見ているエロティックなストーリーなのかなと思いました。でも、だんだんサスペンスになってきて、急に事件だったり、死みたいなものが起こってくるストーリーだったので、非常に楽しく読めましたね。
たけし:撮影に入ったら、まぁ、言われた通りにやっているんだけど、妙な性癖のある変な奴には間違いないということで(笑)、完成するまでやってたんだけど、いざ出来上がったものを観たら解釈のしようがいくらでもあったなあと。
それで、すごいなぁ、面白いなぁと思うんだけど、それが正しいとは限らないわけだ。自分の解釈ではそれがいちばん面白いと思うんだけど、観る人ひとりずつに違う解釈がある。作家がちょっといろいろ悩んで、書くことと現実と非現実の中に巻き込まれていくこともあるんだろうけど、自分はそんなような気がしたね。
――男性と女性、結婚しているか、していないかでも解釈が変わると思ったのですが、おふたりは女性や妻という存在に対して、ある種の恐ろしさなどを感じますか?
たけし:西島は結婚してないよな? そうか、言ってくれりゃ止めたのに。カミさんはすごいですよ。女に関しては恐ろしいですよ。あらゆるものを持っているから。あらゆる生き物は女で産まれて、途中から男に変化するのと、そのままの女だから。すべての可能性っていうのはメスが持っているとはよく言われていて、女王蜂はいるけれどキングの蜂は聞かないしね。あらゆる可能性と要素はメスが持っている。それに男が翻弄されるというか、妙な波長で狂わされているのか......まぁ翻弄されているわけだけれどもね。
今回は、我々は、正直に言うと、監督に翻弄された(笑)。この監督が何を考えているか途中から、俺は何をしているのか意味不明になっちゃったっていう。
西島:そうですね......まぁこわいですよね(笑)。今回の映画を観ても、やっぱり女性に翻弄されている男っていうのはありますね。
全然違う視点で見ているな、と。こっちが必死でやっていることを実は大したことだと思っていないと感じることはありますね。バッサリ切られるイメージで、命がけでやっているんだけどなって思うことはありますね(笑)。
――佐原と健二の関係性はすごく不思議だと思いましたが、おふたりだからこそ生まれた化学反応が佐原と健二の関係性に作用していると思いました。
監督:このキャラクターは二人とも強い執着心を持っていると思います。主に僕がしたことは、そういった側面をしっかりと見せることです。そして健二の場合は、佐原と美樹を見ることでより執着心が強まっていく、そのケミストリーがこのドラマを強めてくれました。
たけし:俺は、変態オヤジの役やったり、この間は「ダルマ」っていう自分でも誰だかわからないけど、悪い奴には違いない役をやったり、だから俺、嫌われ役タレントっつって(笑)。
うん、なんかね。「まぁいいや」っていう。俺は演技上手いと全然思ってないし、演技することの基本的な教育も受けていないんで、ただ画面に映る自分が監督のイメージ通りに映ったのかどうかが一番心配であって、それに西島君がどう関わってくるんだっていうことだけだね。自分のことで精一杯。「西島君がこうだから、俺がこう動く」というような余裕はなくて。だから、生き物じゃなくて、モノとして扱ってくれたほうがこっちは楽だったね。
西島:僕の役っていうのは、現実に起きているいろんなことを見ないようにしているっていう役なんです。で、佐原っていうキャラクターはすごくストレートに「こういうことをやりたい」「この子のことを手放したくない」ってストレートに愛情を出すことで、こっちの、日常の隠している部分がどんどん暴かれていくっていうストーリー。やっぱりそれは北野さんがもともと持っている「みんなが見ないようにしている、隠していることを暴いていく」っていう資質と一致しているんじゃないかな、と。それで、北野さんは僕のイメージだと、ご本人もいろんなことに執着しない方で、今までやっているキャラクターも、女性に対してはもちろん、生に対しても執着がない。「死んでもいい」っていう役を演られていて、それは素晴らしいことだと思います。
でも今回、愛情にすごく執着、固執するっていうのが素晴らしくて、非常に出来上がりを見て......。現場もすごく勉強になりましたけど、完成した作品を観て、イチからいろいろやり直そうと思いました。北野さんがアート映画に出ると全然勝負にならないなというか......参りました。2015年いちばん大きな出来事でした。2016年から心を入れ替えて、本当にやり直さないとな、っていう(笑)。昨日観て「ダメだこれ俺」と思って。いろんなインパクトを受けた作品でした。
監督:僕も同じ意見です。ある意味、健二というのは、「watcher」、佐原を見なければならない者なのかもしれません。佐原が、「裏切られたから殺さなければならない」というセリフを言う、あのシーン。現場でお会いして、心理的な側面を説明しようという心の準備をしていました。けれど、そのシーンに必要な怒りをもう持っていらしたので、立ち位置のリハだけして、ものすごくパワフルなシーンを演じてくださいました。僕は背中からそれを撮っていただけだったので、「もう、背中でいい」と。なぜなら体が伝えなければならないことを紡いでくれているから。とてもパワフルでした。
――改めておふたりにうかがいますが、最終的にこの映画は、何についての映画だと思いますか?
たけし:監督は、コンテンポラリー映画作家だと思うのね。
昔は、映画自体はこうあるべきだ、起承転結、「これを言いたい」というのこそが映画だというのがあって。よく記者の質問で「あなたはこの映画で何を言いたいんですか?」というのがあるじゃない。だから俺は「言葉で言えるくらいなら、映画撮らねぇだろう」っていうことをよく言うんだけど、で、これは「この映画であなたは何を言いたいんですか」っていうのを逆手に取った、「あなたはこの映画をどう思うんだ」っていう逆襲の映画だと。
だから別のインタビューでもマクドナルドみたいな映画って言ったんだけど、ファーストフードの人って、圧倒的に与えることを先に言った方がいいじゃない。販売方式として、こっちの意見をハナから無視じゃない。
そうじゃなくて、それの正反対にあるみたいな映画。「こんなのはどう思う?」っていう。「こう思ってくれ」って絶対言ってないし、あらゆる年代も男女も教養度も、全部含めて、全部が違う意見を持っても構わないということだよね。だから、その映画で演じてくれっていうと、どうにでも解釈できるような役をやらなきゃいけない。だから、監督が「演じないでくれ」っていうのはそういうことだと思う。ビートたけしっていう見た目の俺が動く、それはその動きをどう客が解釈するかであって、「こういう風に見てくれ」とは、演技しないでくれっていうことだと思うんだよね。
西島:もちろんストーリーはありますけど、これだけ観客に委ねられた映画というのはなかなかないかもしれないですね。北野さんがおっしゃっていたみたいに最後のシーンだけがリアルであとは全部イメージっていう人もいるし、逆に最初のプールサイドだけがリアルで、あとは全部イメージっていう人もいるだろうし。本当に観た人の数だけストーリーと解釈があって、それが全部正しい。
監督は別に正解を設定していない。よく言いますけど、観客が観ることで映画が完成するっていう、本当の形だと思います。だから観る人によっては、本当に楽しめる。自分が最後に完成させるっていう映画だと思いますね。
映画『女が眠る時』は、2016年2月27日(土)より、全国ロードショー!
(C)2016 映画「女が眠る時」製作委員会
■参照リンク
『女が眠る時』公式サイト
onna-nemuru.jp
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