常勝球団・ソフトバンクホークスを6年間率いてきた秋山幸二監督(52)が、3年契約の最終年にあたる今季終了をもって、同球団の監督を辞任することが明らかとなった。既にチームは3年ぶりの日本一奪還を目指し、CSファイナルステージでの戦いを前に準備を整えている状況であるが、このことにより、チームが日本一に輝いたとしても、秋山監督がソフトバンクのユニフォームを着て指揮をとる姿を見ることができるのは、今季で最後となる。
09年の就任以来、監督在任中6年間で実に3度のリーグ優勝を果たしている同監督は、いまや、 押しも押されぬ名監督になったと、誰しもその手腕を認めるところだ。そのため、今年7月には王貞治球団会長からも熱心な続投要請を受けていたが、秋山監督は態度を保留。その後、チームが終盤で失速し、ファンからも心無い野次が飛ぶなど、「常勝球団ならではの厳しさ」に直面させられることも少なくなかった。優勝会見で涙しつつ「半端ないプレッシャーはひしひし感じていました」と漏らしたその言葉は、おそらく監督の本心であったと言えるだろう。この時既に、秋山監督の中では辞意が固まっていた。
1980年、ドラフト外で西武ライオンズに入団した秋山は、3度に及ぶ米国への野球留学から帰国後、めきめきと頭角をあらわし、1985年には、くしくも後年、必死にその慰留を行うこと となる世界のホームラン王・王貞治と並び、わずか23歳で40本塁打を記録するなど、和製大砲として活躍した。
また、そうした長打力のみならず、俊足強肩の外野手としても活躍、1989年には、打率.301、31本塁打、31盗塁で日本プロ野球史上5人目のトリプルスリーを達成するなど、その類稀な能力から、「メジャーに一番近い選手」として、多くの人々に期待された。そんな秋山を育てたのは、当時、黄金期を迎えていた、時の常勝球団・西武ライオンズ。ベテラン・東尾修や若きエース・渡辺久信、工藤公康、そして秋山と共に強力な打撃陣を形成した辻発彦、平野謙、清原和博、デストラーデ、石毛宏典、田辺徳雄、伊東勤など、今では伝説となっている名プレイヤーたちに囲まれながら、秋山はその腕と闘志を磨き続けたのである。
リーグ優勝を果たしつつも 、今季での退任を決意した秋山幸二監督。好成績を残した上での退任に、球界のみならず、世間からも「なぜ?」の声が後を絶たない。しかしその胸の奥には、常勝球団で現役生活を過ごし、常勝球団で指揮を執り続けた、「勝たせねばならない男」ならではの、秘めた想いやプライドがあるのかもしれない。
文・吉竹明信
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