去る6月29日、新宿南口にある橋脚付近で、50~60代と見られる男性が、集団的自衛権の解釈を巡る問題や、政権批判を拡声器で叫んだ後に、自ら携えたガソリンをかぶり、焼身自殺をはかるという事件が発生した。男性はもちろん重体で、救急隊が駆け付けた際には、まだ辛うじて意識があったという。
実は我が国に限らず、焼身自殺はこれまで世界各地で行われており、たとえば2011年11月には、四川省カンゼ・チベット自治州において、チベット尼僧が路上で焼身自殺を遂げている。これは中国によるチベット侵略に抗議する体で行われたものだが、なんと死亡した尼僧はまだ35歳の若さであった。無論、このことはチベット人社会を中心としたコミュニティに大きな波紋を呼んだが、その実、数年が経過した今でも、彼女の想いが叶えられたとは言い難い状況にある。
一方、日本での焼身自殺の歴史は意外と古く、戦国期に活躍した甲斐の名僧・快川紹喜の例が有名だ。彼は信長の甲斐侵攻に際し、信長と敵対した六角義治を寺に匿っていたが、その後、身柄の引き渡し要求に頑として頷かず、そのまま押しかけた大軍勢によって寺を焼き討ちされることに。その際、彼は逃げることも投降することもできたが、それを拒み続け、結局は門下の若い僧たちと憤怒の焼死を遂げる。
近現代社会における、抗議型の焼身自殺の例と比較すると、多少なりともその背景や経緯は一致しづらい部分もあるにはあるが、「自ら死しても抗議の意を示した」という意味では、紹喜の例も、抗議型焼身自殺の一例と言えるだろう。なお、彼が遺した「安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火も亦た涼し」という辞世の句は、「心頭滅却すれば火もまた涼し」の諺として、現在も受け継がれているが、諺の知名度とは裏腹に、紹喜の想いまではそれほど伝わっていないというのが実情だ。
どうやらいつの時代も、「自らの死を以っての抗議」というものは、代償に見合った効果を得られるものではなさそうである。
文・興津庄蔵 Permalink
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