元・東北楽天ゴールデンイーグルスの田中将大選手が海を渡り、華々しくニューヨーク・ヤンキースへの入団を遂げた2014年2月、一人の男が日本プロ野球界を去って行った。派手なことが嫌いな男だから、その去り際はいたって静かなものだったが、彼が日本プロ野球界に残した功績はあまりにも大きい。男の名は、景浦安武。福岡ソフトバンクホークスの背番号90。球史に残る偉大なるホームランバッター。水島新司による野球マンガ「あぶさん」の主人公である。
1973年に連載が始まった「あぶさん」は、最新号の「ビッグコミックオリジナル」にて、ついに最終回を迎えた。連載時期は実に41年間にもわたる。一つのマンガが41年も続くこと自体極めて稀だが、「あぶさん」とは景浦安武という一人の人間をリアルタイムで追い続けるというスタイルをとっており、その点も含めて考えれば41年という連載期間はまさに偉業というほかない。「あぶさん」ほどのロングヒットを続ける野球マンガは、おそらく今後も世に出ることはないだろう。
さて、ビジネスの世界に目を向けても、「ロングヒット」と呼ばれる商品はいくつも存在するわけだが、それらの商品ほとんど全てに共通する特徴が二つある。すなわち「パイオニア」と「リニューアル」である。
まずは「パイオニア」。既に似たようなライバル商品が多数ある中で新商品を出したところで、それはあくまでも数多くある商品の中での一つでしかなく、ロングヒット商品へと抜け出すことは難しい。ロングヒット商品を目指すのであれば、これまでの市場になかった特徴やサービスを含んでいることが必要である。つまり、これまでになかった何かを持った商品、言い換えれば、新たな価値観を顧客に呈示する商品でなければ、ロングヒット商品になることは難しい。
堂々たるロングヒット作品となった「あぶさん」もまた、野球マンガにおける「パイオニア」であった。主人公の景浦安武は、飲兵衛の、地味でやさぐれた男。華もなく、決してスターなどではない。しかも入団するチームは、当時まるで人気のないパ・リーグの南海ホークス。野村克也監督(当時)の直々の忠言により「飲兵衛は持続力は無いが、瞬発力はある」ということで、ポジションは代打専門である。あらゆる意味で、それまでの野球マンガの常識を覆した「あぶさん」は、連載当初から、明らかに野球マンガの「パイオニア」であった。
しかしロングヒット商品となるには「パイオニア」だけでなく「リニューアル」も必須である。商品を一切変えることがなければ、人気や売り上げはそこで頭打ちとなり、後発の商品にいつしか追い抜かれることは必須である。ではロングヒット商品にとって「リニューアル」とはどういう形であるべきなのだろうか。その秘訣は、1968年に発売された超ロングヒット商品、サンヨー食品の「サッポロ一番みそラーメン」に隠されていた。
2014年に、発売から実に46年を迎える超ロングヒット商品「サッポロ一番みそラーメン」。日本国民ならば誰もが知る王道の中の王道とも言える即席麺だが、発売が開始された1968年当時、この商品もまた「パイオニア」であった。今では信じられない話だが、実はこのころ「みそラーメン」自体が、全国区で知られているわけではなかった。当時のサンヨー食品は、札幌のラーメン店「味の三平」で局地的な人気となっている「みそラーメン」に目をつけ、それを商品化したのだ。これぞまさに「パイオニア」の最たるものだと言えるだろう。
それでは「リニューアル」はどうか。「サッポロ一番みそラーメン」、子どもの頃から慣れ親しんだあの味は、昔からまったく変わっていないのではないか。実は、そうではない。「サッポロ一番みそラーメン」は、2010年に初めて一度、みその風味とコクを高める形で味を変えているのである。それをサンヨー食品は「変えないために変えた」と表現している。
「変えないために変えた」。一見矛盾するような言葉だが、その真意は、顧客の味覚の変化に対応した、という意味である。食文化の変化から、味の濃い外食などに慣れた顧客から、味が薄くなったという印象を持たれることが多くなったことから「サッポロ一番みそラーメン」は2010年、ひそかに味を変えたのだった。顧客からのイメージ、顧客が期待する味を「変えない」ために、商品の味を「変えた」。これほどのロングヒット商品の味を変えるというのは大きな勇気が必要だが、あくまでも顧客の味覚に合わせて「リニューアル」を行うことで、「サッポロ一番みそラーメン」は、今日まで続くロングヒット商品となっているのである。
野球マンガ界のロングヒット作品「あぶさん」もまた、「リニューアル」は常に行われてきた。当初代打専門だった景浦安武は、いつしかスタメンとなり、三年連続の三冠王を果たすまでになる。景浦安武が年齢を経るとともに、作品のテーマは変わり続け、我々読者もまた、景浦安武とともにリアルタイムで成長していく。41年間という連載期間において、「リニューアル」を続ける「あぶさん」を常に見続けることが出来たというのは、読者にとっての誇りであり、また、歓びでもあった。だからこそ「あぶさん」は、これほどまでのロングヒットになったのである。
「パイオニア」と「リニューアル」。水島新司が描いた「あぶさん」は、その二つの要素があったからこそ、前人未到のロングヒット作品となった。野球界には、こんな格言がある。いわく「ホームランはヒットの延長である」。代打屋のホームランバッターとして南海ホークスに入団した景浦安武を主人公に据えた「あぶさん」が、超ロングヒット作品となったのは、言わば必然だったのかもしれない。
(相沢直)
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