もともと他アーティストのために書かれたのに、諸事情あって結局作者の持ち歌になってしまった名曲20曲。
後編、珠玉の10曲をどうぞ。
「Run To You」
ブライアン・アダムズ
ブルー・オイスター・カルトのヒット「The Reaper」のイントロをアレンジしたギターイントロの曲で、実際にブライアンは彼らに提供しようとしていたのである。しかし当人達はこれをお気に召さなかったようで却下。ならばと38 Specialに手渡そうとするも、こちらでも取り上げてもらえなかった。諦めて自らの作品として1984年にリリースした結果、キャリア初のトップ10ヒットに。
「All Those Years Ago」
ジョージ・ハリスン
ビートルズ解散から10年後、リンゴ・スターのために書かれた作品だが、リンゴの声では納得が行かなかったようで保留していたのだとか。しかし時を同じくしてジョンが凶弾に倒れるという悲劇が起こってしまう...。ジョージは思い切って曲の歌詞を書き直し、ジョンへのトリビュートソングとしてその死の半年後にリリース。リンゴとポールが演奏に参加している。
「Hungry Heart」
ブルース・スプリングスティーン
ニュージャージーのアスベリー・パークでラモーンズと会った際、ジョーイ・ラモーンに「曲を書いてくれないか」と頼まれたスプリングスティーンは、家に帰って一気に曲を書き上げた。しかしマネージャーのジョン・ランドーに聴かせたところ、「自分のために持っておいた方が良い」とアドバイスされたのだとか。
「Just Say Yes」
スノウ・パトロール
グウェン・ステファニーのために書かれたが本人は気に入らず、その後プッシー・キャット・ドールズのニコール・シャージンガーが興味を示すも結局棚上げ。結局自分のバンドのアルバムに収録することに。元々はバラードであったがシンセポップに仕上がり、「当初の予定とは大幅に違う曲になった」ようだ。
「Hurdy Gurdy Man」
ドノヴァン
その名もHurdy Gurdyと言うバンドのために書かれたもの。ギターの師匠筋にあたる人のバンドであったが、ドノヴァンがプロデュースすることに関して意見が食い違ったため、「もう1曲シングルが必要だった」という本人がレコーディングすることに。見事彼の代表曲のひとつになった。
「The First Time」
U2
90年代初期アル・グリーンのボーカルに感銘を受けたボノは、本人のためにこの曲を書いたが、結局『Zooropa』に収録している。
「Golden Years」
デヴィッド・ボウイ
デヴィッドは11歳で初めて人前で歌った際に、モノマネを披露してみせた程のエルヴィス信者。この曲をキングに差し上げようとしたが、断られてしまい結局1975年にリリース。トップ10ヒットになった。
「Fire」
ブルース・スプリングスティーン
こちらもエルヴィスを思って書かれたナンバー。アルバムに居場所がないと思ったブルースはポインター・シスターズに提供し、1979年にヒット。そして20年以上経った後にアルバム『The Promise』に収録することに。
「Massachusettes」
ビージーズ
マサチューセッツに行ったことのない彼らだったが、郷愁に彩られたこの切ないナンバーを書き、オーストラリアのバンド、シーカーズに提供。しかし結局彼らはレコーディングすることはなく、結局1967年にビージーズの初期ヒットトなった。最近亡くなったモーリス・ギブのためにシーカーズは改めてレコーディングしている。
「I Can Dream About You」
ダン・ハートマン
彼の友人であるホール&オーツを念頭に書かれた曲だが、彼らはアルバムをリリースしたばかり。結局自分でリリースしヒットしたが、その後ホール&オーツはレコーディングしてカバーアルバムに収録している。
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