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「終戦記念日だから、児童ポルノについて考えてみた」
(元記事はコチラから)
『永遠の0』では、カミカゼ特攻隊が描かれている。
この特攻隊について、現在の日本での評価は、大きく分けると2つに要約できると思う。
当時の日本人の心情や価値観を考えた上で議論するべきだ。
現に自分たちのおじいさんたちが、日本を守ろうとしてやったことなのだ。
それを今さら「あの頃の日本人は、全員気がおかしくなっていた」と断罪するのはいただけない。
マンガ家・小林よしのり氏の主張も、このあたりであると思って間違いない。
特攻を、あくまでも恐ろしい、間違ったこととして捉える価値観だ。
互いに意見を出し合い、どんなに話し合っても決着はつかない。
補助線とは、幾何学用語だ。
図形のある点から別の点に直線を一本引き、角度や図形を2つにわけると、急に問題がわかりやすくなるという手法だ。
今のところ、マンガなどの絵画表現も含まれていないが、かなりギリギリのところまで議論はきている。
10歳とか11歳の少女が、シースルー(紗)の着物をまとっている浮世絵など、当たり前に流通していた。
高尚なものとか、ほほえましいものではなく、明らかにエロ目的のイラストだ。
「児童ポルノは日本の古典文化として認めるべきだ」という主張も可能だろう。
世界共通の価値観に照らして考えるべきだ。
昔の価値観は捨て、いわゆる児童ポルノに近い絵画の所持を禁止すべきだ、という主張も、もちろん可能だ。
反対に、人権意識やグローバリゼーションの波に乗るべきだと考えるなら、特攻も児童ポルノも否定派となるはずだ。
「どっちやねん!」
と、その整合性のなさに、イラっとする。
過去の日本文化の中で、自分が気に入った部分だけ「昔の伝統」「日本の美しさ」とか言って肯定しておきながら、自分が気に入らないものは「これからはグローバリゼーションだ」といって否定し、変えようとする。
卑怯だ。
少なくとも、公人として発言する場合は、立場と思想を統一して発言してほしいと思う。
以上、情報サイト『探偵ファイル』よりお届けしました。
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