(前号からの続き)
***********以下は、『インサイドヘッド』ネタばれあり注意*****************
主人公は11歳の少女ライリー。
脳内は、ものすごく広い空間として表されている。
真中にコントロールタワーが高くそびえ立っていて、そこから四方八方へ向かって、細い架け橋が何本も伸びている。
その先には記憶の島が、ポツンポツンと空中に浮かぶように存在している。
「性格を形作る大切な思い出」が、家族とか、友情とか、アイスホッケーといった記憶の種類ごとにまとめられて一つの島を作っている。
関係がある出来事と出会うたびに、その島全体が活性化する。
色々な思い出は、メモリーボールとして保存される。
アイスホッケーで胴上げされたという経験をすると、メモリーボールが作られ、「アイスホッケーの島」に送られ、島に保存される。
メモリーボールは、ヨロコビの記憶なら黄色に、イカリの記憶なら赤に、カナシミの記憶なら青に・・・とそれぞれの感情の色で輝いている。
ところがあるとき、ヨロコビの黄色に輝くメモリーボールに、カナシミが触れると青くかわり、嬉しかったはずの記憶が悲しい思い出にかわってしまうという大事件が起きる。
そこから、人間にはなぜネガティブな感情が必要なのか、という大きなテーマが描かれる。
恐れとか、怒り、悲しみというのは、味あわなくてすめばすむほど、より幸せな人生という気がする。
だからどの親も、自分の子供にそういう気持ちを味あわなくてすむように気遣いながら育てている。
子供にはカナシミなど不要。
まわりに関係なく、自分が楽しいことだけやっていればよい。
しかし、その楽園も大人になる過程で消える。
映画内では、カナシミがメモリーボールに触れて、嬉しい思い出がカナシミ色に変わると表現されている。
そうすると、毎日笑っていられなくなる。
かつては、両親が大好きで両親に好かれようと、明るくふるまう子供だった主人公も、映画の最後では、両親に口ごたえする反抗的な子供になる。
このプロセス・思春期を経て子どもはおとなになる。
それは「困ったこと」でも「乗り越えなければならない問題」でもない。
それこそがあたりまえの「成長」なのだ、という力強い主張が、『インサイド・ヘッド』で描かれているテーマだ。
これはすでにディズニー映画ではない。
「正しい」ディズニー映画なら逆になる。
大人になってすべての記憶に「カナシミ」が入ってしまった主人公が、子供の頃の「100%のヨロコビ」を取り戻す、とかそういう話になったはずだ。
しかし「カナシミ」「ヨロコビ」「ムカムカ」などの感情が複合しているからこそ人生には価値がある。
宮﨑駿が、試写をみたあと立ち上がって拍手したそうだ。
「なるほど、これは拍手するだけあるわ」というくらいおもしろかった。
ピクサー/ディズニーは、それまでの子供向け映画では常識だった枠を、どんどん壊しつつある。
『アナと雪の女王』では、女の幸せは恋愛ではないと言い切った。
『インサイド・ヘッド』では、自虐や思春期を大肯定した。
ただ、ものすごく残念なことがある。
僕は『インサイド・ヘッド』をわざわざ、字幕で見に行った。
というのも、アナ雪の時から、ディズニーアニメの吹き替えが大嫌いになったからだ。
日本人の俳優さんが、日本語に翻訳した歌を歌う。それ自体は良い。
でも、Let it goを、「ありのまま」にと訳しているのが、ありえない。
Let it goは、ありのままでではなく『放っておいて』という意味だ。
女性は社会的であることを強く意識して、まわりに協調しながら生きざるをえない。
しかしヒロインが「もう私のことは放っといてくれ」と高らかに歌うところに、カタルシスがある。
ディズニー映画の挑戦なのだ。
それを、まるで人間の本来の生き方のように「ありのままに生きる」と表現してしまっては意味が逆になる。
せっかくのディズニーの挑戦も台なしだ。
アナ雪は字幕で見られて本当に良かった。
『インサイド・ヘッド』のCMでは、ドリカムの歌う日本語版のテーマ曲『愛しのライリー』が、流れまくっていた。
あんな日本語の曲を、劇場で聴きたくはなかった。
『インサイド・ヘッド』は、ミュージカルですらない。
当然、ドリカムが歌っている曲は、本編では出てこない。
だから何が何でもあの曲を聞かずにすませたいと思っていたので、字幕の映画館を探したのだ。
ところが、探してみると字幕版を上映している映画館が本当に少ない。
公開映画館の1/4程度。
日本ディズニーはそれぐらい「吹き替え推し」なのだ。
僕は、負けずに探して字幕版を見に行った。これであの曲を聞かずにすむ。
そう安心したのは間違いだった。
予告編が終わって、おまけについている短編映画のあとに、いきなりドリカムの曲がかかったのだ。
「これはあなたの頭のなかの話ですよ」という、ネタバレな歌詞!
アニメの中身を、きれいごとでゆがめようとする内容!
アナ雪の成功に味を占めて、この曲もヒットチャートにのせようという姑息な戦略!
逃げられない映画館という場を選ぶ、卑怯な発想!
僕の脳内は、『イカリ』で真っ赤になった。
本編が始める直前でも、気分はマイナス百点だ。
心は『カナシミ』で青くそまり、見に来たことを後悔した。
幸いにも前述の通り、映画は超名作。
見終わった時は、ちゃんと百点満点の気分になっていた。
あの歌さえなければ、120点だったのに、と思うと、いまだに『ムカムカ』が止まらない。
以上、情報サイト『探偵ファイル』よりお届けしました。
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