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映画『ジョーカー』、すごい面白かったですよね。
僕は、評価を5段階で言うと 4.1 ぐらいなんですよ。
正直に言って、ぶっちゃけタイツを履いたヒーローが出てこないから面白いというところもあると思うんですけどね。
なんでかっていうと、やっぱりスーパーヒーローものって、見るときにちょっと知能指数を下げる操作を自分にしないと、なかなか難しいところがあると思うんですよ。
この例がいいかどうかは分からないですけど、『魔法少女まどかマギカ』って、見るときにちょっと自分の知能指数を下げるじゃないですか。
やっぱり女の子が世界を救う話っていうのは、最初から真剣に見るんではなくて、ちょっと階段を一段か二段降りるつもりで見て「お、すごいすごい!」っていう、この見方が正しいと思うんですけども。
マーベルにしてもDCにしても、スーパーヒーローものっていうのは、一回ちょっと知能指数を下げないと、やっぱり人間が空を飛んだり、目から怪光線を出したりとか、エネルギー保存の法則に反するような行動を取ったりというところで、何か納得できないところがあるんですけどもですね(笑)。
ま、その上で一段か二段下げたあとで、存分に物語世界に入り込む事ができるんですけども。
まぁ、ヒーロー映画というのは多かれ少なかれ、この操作が必要だと僕は思っています。
で、この『ジョーカー』という映画には、この操作がゼロなんですよ。
そのまま最後まで見れるところが、ちょっと不思議な所ですね。
それのおかげで没入感が凄いんですよね。
スーパーヒーローものでもリアルなものってあるんですけども、やっぱりそれは良く出来たCGっぽく見えちゃう。
その中にスーパーヒーローがいたり、不思議な現象が起こったり、あまりにも力が強いヤツとか、あまりにも能力が高いヤツが出てくると、やっぱりウソの世界っぽい要素が入ってきちゃうんですけども。
『ジョーカー』って、さっき言った “良く出来たCG映像” と、 “ちゃんとしたロケ映像” の差があるんですよね。
とにかく世界のリアリティと、没入感のおかげで凄くなってると。
しかし、見に行くには注意が必要でですね。
たとえば映画ドットコムの紹介文があるんですけども。
これが困った事に、微妙にウソが書いてあるんですね(笑)。
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「バットマン」の悪役として広く知られるジョーカーの誕生秘話を、ホアキン・フェニックス主演&トッド・フィリップス監督で映画化。
道化師のメイクを施し、恐るべき狂気で人々を恐怖に陥れる悪のカリスマが、いかにして誕生したのか。
原作のDCコミックスにはない映画オリジナルのストーリーで描く。
「どんな時でも笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸に、大都会で大道芸人として生きるアーサー。
しかし、コメディアンとして世界に笑顔を届けようとしていたはずの男は、やがて狂気あふれる悪へと変貌していく。
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これが映画『ジョーカー』の宣伝文句なんですけども。
これね、ストーリーが違うんですよね(笑)。
どの辺が違うのかっていうと、 “悪のカリスマ” っていうふうに書いてる所なんですよ。
ここを期待して見に行く人がわりと多いんですけども、大体そういう人はガッカリして後でコメント欄に「たいした事なかった」とか「ガッカリした」って書くんです。
映画ドットコムの評価欄を見てください。
本当に極端に評価が二つに分かれるんですよ。
評価が4.5か5の「ものすごい良かった!」という人と、評価2とか1の「なぁんだ、ダメだ」「ガッカリした」「つまんない」「寝ちゃった」という人に、完全に分かれるんですね。
“悪のカリスマ” という言い方とか、そういう内容に過剰な期待をした人っていうのは、やっぱりガッカリしちゃって。
そこをあんまり期待しなかった人は、逆にメチャクチャ衝撃を受けるっていう映画になってます。
それで “悪のカリスマ” を期待している人は、みんなバットマン映画『ダークナイト』のジョーカーを見に行っちゃうんですね。
これは “映画史上最高の悪役” とか、 “悪のカリスマ” と言われたのは、このバージョンのジョーカーなんですね。
これが好きな人が多いから、かなりの人が、この路線で、これを見に行っちゃうんですよ。
これの誕生秘話を見に行っちゃうんです。
それを見に行っちゃうと、やっぱり映画ドットコムのように評価が極端に分かれる事があるんですね。
・・・
なぜこんなに評価が低い人がいるのか?
僕はこれを、 “悪のカリスマ” とかが好きな人には申し訳ないんですけど “『羊達の沈黙』現象” と呼んでるんです。
“羊達の沈黙現象” というのは、「“悪” というものには、何か理由がある」と、「ヒーローというものは平凡でつまらなくて、そういう平凡でつまらないヒーローには決して届かない深みが悪にはあるに違いない」と考えちゃう現象。
レクター博士はそういうのが好きな人にとっては、本当にリアルな意味でヒーローだったんですよ。
誰よりも頭が良くて、教養が深くて、オシャレで芸術にも詳しいと。
「そんな完全無欠の人が悪人だったら、どんなにスカッとするだろう」
そういうふうに考える人が、『羊達の沈黙』を見る人に多かったんですね。
こういうふうに考えちゃうのは、だいたい現実の世界ではあまり悪い事をしない、良い人が多いんですよ。
こういう “悪” に憧れを持つ人は。
お坊ちゃん・お嬢ちゃんの良い人が多いんです。
けども凶悪犯罪と呼ばれる裁判記録とか、ドキュメンタリーとかを見れば分かるんですけども、実際に起きた残酷な事件とか犯罪・大量殺人の犯人の証言は、あまりに単純で乱暴な場合がほとんどなんですね。
テッド・バンディとか本当にそういう例外中の例外もあるんですけども、シリアルキラーのほとんどは退屈で平凡な、単なる乱暴者のオッサンが多いんですよ。
あおり運転するヤツや、歩きスマホをしている女の人に体当たりする輩っているじゃないですか。
ああいうオッサンも捕まえてみて言い分を聞いてみると、やっぱり単なるバカって場合が多い。
つまりどういう事かっていうと、実は “悪” っていうのは凡庸でつまらないんですね。
それに対して “正義” っていうのは、残酷で多様なんですね。
本当にいろんなロジックがある。
ヒットラーもそうですし、スターリンもそうですし、イスラム国も発端はそうなんでしょう。
そういう正義の理想を掲げて、多くの人に「いいぞ!いいぞ!」と支持されて、結果的に悪魔のような諸行をして大惨事を生み出す所に “正義” というもののヘンテコさ・面白さというのがあってですね。
その正義が別の正義に負けて “悪” と認定されると。
そうすると、ようやっと “悪のカリスマ” っぽさが生まれるんですけども。
そこで分かるとおり、“悪のカリスマ” っていうのは、元々は正義の人たちが後で「お前らは正義じゃない!」って言われた場合がほとんどなんですよね。
『ダークナイト』のジョーカーみたいなカッコイイ悪のカリスマっていうのは、元々は正義からスタートしてなければ、カリスマとして存在できないんですよ。
これが分からないかなぁと思ってね。
『ダークナイト』のジョーカーって、この映画の中で部下を裏切ったり、けっこう使い捨てにするんですけども、そんなブラックな親分に従う子分がいるはずがないんですよ。
つまり、元々この『ダークナイト』のジョーカー自体が無理設定なんですね。
“ジョーカー” という個人を立たせる為に、あんなに部下をどんどん使い捨てるシーンがいるんですけど、あんな事をやったら本当にもたないんですよ。
けども、やっぱりあれを本気にしちゃう人が多い。
悪に憧れる人っていうのは多いんですけどね。
そういう現実的な話には、なかなか納得してくれない。
何かすごい悪のカリスマがいて、忠実な手下がいて、もしくは手下達を洗脳したり、暴力や恐怖で操ったりして、その理屈には思わず正義の味方も黙るしかない。
そういう展開をみんな欲しがっちゃう。
「ちょいだい!ちょうだい!」って悪に憧れる人がいる。
ところがこの『ジョーカー』は、そういう映画では無いんですよね。
で、そういう映画じゃないから、僕は今回の『ジョーカー』は凄いと思うんですけどね。
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