岡田斗司夫の毎日ブロマガ 2019/09/05
今日は、2019/08/18配信の岡田斗司夫ゼミ「終戦記念『シン・ゴジラ』特集、「ゴジラと核兵器」全編無料公開!」からハイライトをお届けします。
「実相寺アングル」と役者の「演技力」
で、これがあと『ナカイの窓』スペシャルの話になるんですけど、さっきも話したとおり、『ゴジラ』の演技っていうのは、すごく面白く、演技がうまく見えるんですね。でも日本の、映画に出てる役者さんはみんな下手っていうふうに僕は言いました。それは最初にも言ったとおり、舞台の上では彼らはすごくうまい、ではなにが違うのか。
ちょっと別方向から説明します。
「実相寺アングル」っていう言葉があります。これは実相寺昭雄さんっていう、ATGとかで活躍されてた監督さんなんですけど、このひとが『ウルトラマン』とか『ウルトラセブン』を撮った時に実相寺アングルっていうのが撮ったんですね。
実相寺アングルっていうのがなにかっていうと、カメラの前にこういうモノ(ペットボトル)があって、カメラの手前、「舐め」っていうんですけど、舐め越しに人物を撮ったり、極端な魚眼レンズで撮ることを実相寺アングルというふうに言うんです。
で、なんでそんなことをしたのかというと、実相寺さんはもう簡単で「セットもしょぼければ衣装もしょぼくて、役者もそんなにいい役者撮れるわけじゃないから、画面のなかでたとえば構図を斜めにするとか、魚眼レンズで顔の一部を撮るとか、手前におっきいこんな舐めもの(ペットボトル)で、たとえば電話機を置いてその電話機のあいだから見るとか、そんなふうにしない限り絵がおさまらないよ」というふうに言ったんですね。
で、今回も『シン・ゴジラ』にそういうふうなシーンがあります。具体的に言うと、放射線線量の異常が確認されたかどうかっていうのを確認するシーン、で、電話かけたら、壁にさげてるヘルメットが手前にばーっとあって向こうのほうに小さく人物があったりとか、あと石原さとみと矢口が歩いてくるときに、カメラがそのままクレーンで上がっていって、向こうのほうにモノレールのレールがどーっと並んでるところがあります。これもある意味、実相寺アングルなんですね。
なんでそういうふうなものを見せるのかって言うと、役者さんの演技だけではちょっと絵としてもたないので、他にものすごい大きい背景を入れて、端っこのほうで一部見てもらいましょう。それは落語家が面白い話になってきたら、段々段々、今僕がやってるみたいに声を小さくするんですね。声を小さくすることによって、聞いてる人の集中力を上げていって、バンッって声を出すっていうのを落語家さんはよく使います。
それと同じような働きが実相寺アングルにはあるんですね。
これですね、最初に話した『ゴジラ FINAL WARS』っていうのに國村隼が出てます。今回の『シン・ゴジラ』にも國村隼って役者が出てます。
『シン・ゴジラ』の國村隼はですね、自衛隊員です。で、セリフ少ないですけど、すごく印象的で演技もめちゃくちゃ上手く見えます。
例えば、ヤシオリ作戦の立案で、こういうふうにするっていうの決めた後、矢口に「ありがとうございます。申し訳ありません」っていうふうに言われた後、「仕事ですから」っていうふうに短く言うんですね。
こん時の國村隼はものすごく自信があり気に見えて演技が上手く見える。
では、それとそんなに時代が違わない、『FINAL WARS』の時の國村隼どうだったのかというと。
冒頭ですね、変な外人の役者がSFセットの真ん中で轟天号っていう潜水艦だか宇宙船だかわかんないやつみたいのに乗って、ゴーッと行って、ゴジラが手前にいて、そっからビームとか発射してて、横のほうでグラグラ揺れてるところで手すりを握りながら、「艦長、もう限界です」とばっかり言ってるんですね。
で、この「艦長、もう限界です」って言ってる日本映画の中の典型的なダメ演技をやっている國村隼と、今回のめちゃくちゃ上手い國村隼は同一人物なんですよ。
で、國村隼の演技が下手なんじゃないんですね。
そうでなくて、『シン・ゴジラ』の中での國村隼っていうのは、やることが決まってるんですね。普通の映画、邦画の欠点は何かって言うと、役者にやることを考えさせちゃうんですよ。つまり、役者の想像力ではなくて、空想力に頼っちゃうんですね。
例えば、世界連邦大統領ですっていって、『さよならジュピター』の中では森繁久彌が出たんですけど、演技しようがないんですよ。世界連邦大統領っていうのがどんなやつかわかんないんですから、森繁久彌には。だから重厚な演技っていうことで、重厚な演技ってこんなんだろうなっていうふうに役者が空想してやるしかないんですね。
でも、例えばスタンリー・キューブリックっていうのはそういうふうなことを絶対やらないんです。
そうじゃなくて、徹底的にセットとか小道具とかを詰めて、役者にこれは何なのかっていうのを説明して、なんだったら壁の向こうの映らない物も全部セットで作った上で、役者にこれしかないっていうのを与えるんですね。
つまり、役者の空想力を一切働かせないようにして、じゃあどういうふうに表現しようという表現力だけを伸ばすんです。
演技力なんてものはこの世の中にないんですよ。
演技しかない、表現しかないんです。それを演技力と言って、まるでそういうふうなものがあるかのごとく誤解しちゃうから、普通の監督っていうのは役者に演技力を期待しちゃうんですね。自分たちが説明できない。
「えーっと、宇宙船みたいなものに乗って、ビームやるんだけど、ゴジラが攻撃してきて、宇宙船がめっちゃ揺れてるから、ここで『艦長、限界です』って言ってください」ってセリフを言ったら、もう空想しかないわけですよ。そんなシチュエーションに会ったこともないし、「艦長、限界です」って何が限界なのかわかんないから。
でも、少なくとも『シン・ゴジラ』の中でそのセリフを言わせるとしたら、「艦長、限界です」っていうのは何が限界なのかぐらいはちゃんとわかるように作ってるんですね。
この演技力というのは存在しなくて、表現力があるだけっていうのは、舞台との違いなんですよ。
舞台っていうのはですね、同じ2時間ぐらいのものでも、なんでそんなセリフ言うのか、これ何なのか、相手そん時何考えてるのかっていうのを役者全員がディスカッションして、1ヶ月とか2ヶ月お互い演技とは何かっていうのを散々議論した上でやるもんだから、役者の中で納得してるキャラの完成度が違いすぎるんですね。
でも映画の中ではそうではなくて、それっぽいことしか書いてないんですよ。
『ゴジラ FINAL WARS』ではですね、さっき言った轟天号というところからミサイルみたいなものを撃って、ゴジラが氷の中に閉じ込められます。
その瞬間、ブリッジの全員が「あ〜〜」って言います。
特に前列のやつが「おわ〜」って真ん中のやつが言ったら、両側のやつが「うん」「うん」って頷くシーンがあります。
もうこのへんは役者さんがあうんの呼吸で、俺真ん中で「お〜〜」って言うやつで、お前とお前は「うん」両側でこういうふうにやったら俺たちの見せ場増えると思っているのが丸わかりです。
で、こうフレームがあったら、この端っこのやつ、ややそれぞれが中央に寄りながら「やったあ」ってやるんですけども、そんなはずないでしょ(笑)、こんなことをやらせちゃうからダメなんですよ。
つまり役者さんにどういうふうに振舞わなきゃいけないのかっていうのを考えさせちゃうんですね。
そうじゃなくて、もっと徹底的に役者縛らなきゃだめなんです。徹底的にこれしかできないというふうに縛ればどういうふうになるのかって言うと、『ゴジラ』の会議シーン、なんで面白いのかって言うと、役者がみんな無表情だからなんですよね。
日本人の役者っていうか、日本人の会議っていうの無表情で当たり前なんですよ。
官僚の会議っていうのは無表情で当たり前だから、僕達はその無表情から相手の真意を読もうとするんですね。観客が空想力というか想像力を使うのが正しくて、役者は表現力しか使っちゃいけないんですよ。
でも、役者に空想力とか想像力を使わせて、見てる者が受動的にこういうふうに見ればいいんだ、いいんだっていう正解探しばっかりしちゃうから、日本の演技の幅っていうのは、こと映画においてはどんどんどんどんやせ細っていくんですね。
で、その分舞台っていうのが面白くなっちゃうから。
だから良い役者さんっていうのは全部演劇のほうに逃げちゃうわけですね。これですね、『幕が上がる』っていうももいろクローバーZの映画があるんですけど、これが面白いんです。
それはなんでかって言うと、ももいろクローバーZは演技力があるわけじゃないんですよ。
そうじゃなくて、『幕が上がる』という映画の作り方は徹底的にその映画外で、演劇のようにシナリオの読み込みをやって、練習をやって繰り返してるんですね。
なのでももいろクローバーの人たちは全員演技力を使うんではなくて、もうこれをやるしかないっていうキャラクターがわかってた上でそれを表現することだけをやればいいんですね。
つまり、歌で言えばですね、歌の歌詞の意味なんか理解できなくてもいいんですよ。そうではなくて、どんなふうに歌うのかさえわかってれば、一流のアーティストっていうのは表現できるんですよね。それを歌の心がわかってなきゃいけないって言うんだったら、せめて1ヶ月や2ヶ月は練習期間に時間を与えなきゃいけない。
でも、映画は現場に入って3日でやれと言うわりに、それだけの内容度のある準備的なものっていうのを与えないんですね。
そこが無茶してるんですけども。
リアルな背景と抽象的なセリフの「ズレ」で痛くなる
【画像】DMMラウンジのサロンにて 演技力は存在しなくて、表現があるだけっていうのを間違えちゃったのが『ナカイの窓』の声優スペシャルなんですよ。『ナカイの窓』の声優スペシャル、「トランクスの声でこれをお願いします」とかっていうふうに中居くんが言ったら、まあ声優さんが、ちゃんとやってくれるんです。それを見てめちゃくちゃ痛いんですけども。
成立しないんですよ。
なんでかって言うと、声優さんがやってるのは演技じゃないんですよ。表現なんですよ。これをトランクスでやってくれとか、これを悟空でやってくれとか、これをベジータでやってくれとか。
これを例えばフリーザ様でやってくれと言っても、見てる人間はつらいんですよね。
それはなんでかって言うと、なんでアニメのセリフを実写の人間がバラエティの番組でやると痛いのかって言うと簡単で、雑音があるからなんですよ。
表現っていうのは、ある一定で同じ水準でなきゃいけない。アニメっていうのはデフォルメされた絵の世界。背景があって、手前にセルみたいなもの、つまり平面的なキャラクターがあるというデフォルメなので、抽象表現だっていうのが見てる人間にわかるんですね。
これリアルじゃなくて抽象なんだ。そうすると「愛のためだ」とか「お前を殺す」っていう極端なセリフを言っても、抽象表現の上に極端なセリフだからちゃんと乗っかるんですよ。
それを周りにセットがあって、観客もいるようなバラエティ番組のスタジオでセリフだけ一生懸命、演技力で言っても、そのセリフのデフォルメさと周りの背景のリアルさが、全然乗っからないんですね。
だからズレを感じると。
これはいかにクオリティの高いコスプレとはいえ、コミケ会場で写真撮ってるの見たら、僕達が良いなと思うと同時に、ちょっと痛いなというのと同じですよね。コスプレというのも本来、デフォルメされた絵の中で成立してるもんだから、リアルの人間が着るとやや痛いんです。
それを現実の埃だらけというか、周りに空き缶とかも置いてるようなコンクリの上で立ってやってたら、痛くないはずがないんですね。コスプレイヤーの持つ本質的な痛さって俺そこらへんにあると思ってるんですけども。
フィクションレベルっていうのかな、デフォルメレベルは一定にしなきゃいけないんですね。
リアルな人間がやるからにはリアルなセリフだし。
で、デフォルメされたキャラクターがやるからにはややデフォルメされたセリフでないと乗っからないんですけども。そこらへんを考えずに普通のバラエティ番組で声優さん呼んで「なんとかさんのセリフやってください」「おお!」とかって言ってるけど、誰も「おお!」なんて思ってませんよ。
そこは何か痛い空気が発生しちゃうんです。
演技力なんてないんですよ。
表現があるだけ、そしてその表現には表現レベルを徹底するという管理能力がない限りやっちゃだめなんです。
中居くん、二度とあんな番組はやらないでください。お願いします。
元々日本人の演技論っていうのは、能とか狂言とか歌舞伎見てもわかる通り、セリフ叫んだりしないんですよね。
ボディランゲージが豊富な民族ではないし、どちらかって言うと、能面みたいなものを付けて、そして観客に読ませるっていう、大変、どちらかって言うと、仕手側と受け手側の、コミュニケーションとしての演技っていう側面が高いんですね。
それをですね、字を読む能力がない人が見るから映画なんだっていう、大衆文化と、日本の大衆文化の中でもちょっとコミュニケーションが入っているものとをくっつけると、やっぱり不自然になっちゃうんですね。
ほんとに演技させる時っていうのは、めちゃめちゃ役者さんにデータ与えるとか、もしくは練習時間を与えるとか。ってしないかぎりここから先も不自然なんこと続くと思うんですよ。最初に戻りますけど、それも変わってくると思います。『シン・ゴジラ』のおかげで日本の映画プロデューサーはたぶん、『科学忍者隊ガッチャマン』のようなつらいことはしないと思います。ああいう微妙なことはやらなくなっていくんじゃないかな。と思います。
ちょっと疲れたので一瞬休憩させてね。
アニメや映画に出てくる核兵器
今までのところが、一般放送でやるべきところで。ここから先が、限定放送なんですけど。
『水爆大怪獣ゴジラ』ってのが1954年の『ゴジラ』の原題でした。
原爆から水爆の流れって今日しようと思うんですけど。怪獣映画で核兵器が使われたのはタブーなのか、ってよく言われるんですけど。
タブーでもなんでもないです。
さっき言ったように、80年の『ゴジラ』やってますし、『ウルトラセブン』の中でも、超兵器R1号っていうのがあるんですね。これは超兵器R1号っていうのを人類が作って、これがあれば、惑星破壊兵器なんですね。これがあれば地球を侵略する異星人はもういないだろう。なんでかっていうと、地球を侵略しようとするとこのR1号で報復される。じゃあそのために、ギエロン星っていうのを木っ端微塵にしてみよう。調査してみたら、ギエロン星っていうのは、誰も住んでないんだ。だから、R1号を発射しよう。
諸星ダンは反対しますよね。そんなことをしてどうするんですか。そうするとウルトラ警備隊の中でも、なにを言ってるんだと。まず地球がR1号という超兵器をもっている。そして報復力ももっている。ということを宇宙中に知らせないと、こんな兵器持ってる意味がないじゃないか。そんなことをしても、宇宙が戦争に巻き込まれるだけです。なにを言ってるんだ。戦争を終わらせるために、誰も二度と地球を侵略しようという気を起こさせないために、R1号を使うんじゃないかと。といってR1号の発射を強要させるんです。
もうほんとに、こんなのを1960年代にやっていいのか?
先週の北朝鮮の話ですか? みたいな。『ウルトラセブン』の超兵器R1号なんですけど。それもですね、核兵器と言わないようにしてるんですね。
『超時空要塞マクロス』の中でも、第一話で、マクロスがいよいよ発進するとき、ゼントラーディ軍が攻めてきて、それに対してバルキリーって戦闘機が飛んで、空中でパンパンパンって爆発がやったら、反応兵器って言葉を使うんですよ。もうほんとに核兵器って言葉が使えないから、熱核反応ってところから、反応兵器だ、って。えっ、反応兵器を使う野蛮な民族がまだいたなんて、とゼントラーディ軍が驚くというシーンがあるんですけど。
アニメやマンガの中で核兵器が出てくるというのは、そんなに珍しいことじゃないんです。実際に核兵器自体が、怪獣に対して最後の一手として使われたのは、僕が知ってる限り、『クローバーフィールド』と『バタリアン』です。これゾンビ映画なんですけど。最後ゾンビに襲われた街を核兵器で破壊して終わりっていうすごい映画なんですけど。
あとは『エヴァ』の第一話ですか。N2機雷って言ってますけど、あんなものどう考えてもニュークリアのNじゃねえか。放射能がでない設定って書いてるんですけど。いやいやいや。核兵器だよね。
そんなわけで核兵器っていうのは、映画の中で究極の決めもの、っていうのかな、ものとして出てきます。
原爆を落とすべきだったのか、ダウンフォール作戦をとるべきだったのか
【画像】DMMラウンジのサロンにて で、笑いながら言う話で連動していうのは申し訳ないんですけど、1945年の8月6日、広島に世界初の原子爆弾リトルボーイが落とされました。これ関西の番組で、ムルアカさんっていう元鈴木宗男の秘書をやっていた、アフリカの方、コンゴ出身の方に聞いたんですけど、広島と長崎に落ちた、原爆の核物質っていうのは、コンゴから取れたそうです。当時コンゴがフランス領で、フランスから流されたってことらしいんですけど、日本とコンゴの縁は深いということで。そんなところにまで縁があったのかと。
じゃあなんでアメリカは日本に原爆を落としたのか。後半『ゴジラ』につながるので、ちょっとガマンして聞いてください。
僕らは8月6日が近づけば、そのたびごとに哀悼の意を捧げて、こんなことを二度と起こさないと誓って、誰が悪いのかというのを考える。
よく言われるのは、アメリカは戦争に勝ってるのに、原爆を落とした。これは東洋人に対する蔑視があるからだ、という人もいますし、戦争を終わらせたって人もいます。
たしかにアメリカに行くと、原子爆弾に反対するっていうのはちょっと変わり者なんですね。
なんでかっていうと、第二次大戦っていうのは、そのあとのベトナム戦争とか湾岸戦争とかに比べたら、圧倒的に正義の戦争だったっていうのが一般的なアメリカ人の解釈です。
ファシズム政権ですね。世界をファシストから救った良い戦争だった。っていうのがアメリカ人の考え方。なんでそんなことになるのかっていうと、もともとダウンフォール作戦ってのがあったんです。
ダウンフォール作戦っていうのは何かっていうと、日本の本土侵略作戦。アメリカは1943年のカイロ会議ってとこ、その時から覚悟してたんです。これは広島、長崎についで日本本土に、何発も何発も原爆を落として、サリンなどの化学兵器を大量に無条件にばら撒いた上で東京に侵攻しようっていうのがダウンフォール作戦。
第一段階のオリンピック作戦と、第二段階のコロネット作戦でダウンフォール作戦はできてます。
第一段階のオリンピック作戦っていうのは、ほんとうは1945年の11月1日に行われるはずだった南九州への上陸作戦、宮崎と薩摩半島の沖に上陸して、大規模にサリンを撒きながら、日本に上陸する、ということで、アメリカの軍部は25万人のアメリカの死傷者を覚悟しました。
つまり第二次世界大戦の中でも最大級アメリカの兵隊の被害が多いだろうと予想してたんですね。
次のコロネット作戦というのは、翌1946年3月1日にいよいよ東京の本土侵攻を考えていた。なんで最初にオリンピック作戦で九州を侵略するのかっていうと、九州を巨大な滑走路にしたかった。九州を巨大な滑走路にしてそこに1万機のB29をおいて、そっから本土に、大阪東京などを含めた日本全土に対して爆撃しようと考えていた。
なんでそんなことを考えなきゃいけなかったのか。硫黄島とかフィリピンのあたりで、日本軍の抵抗がほんとに厳しくて、これは日本人の粘り強さともいえるんですけど、逆にいえば欧米人、とくにアメリカ人を徹底的に恐怖させたんです。
なので、どれくらいしないと戦争に勝てないのか。どれくらいすると国際的に非難を浴びるのか。ってことで、日本軍は中国の戦線で化学兵器を使った。ならば我々も化学兵器までは使ってもいいだろうということで、サリンをまくことまで決められたそうです。
で、東京の上陸作戦、湘南海岸から、相模原町田ルート、今回のゴジラ第四形態のルートと同じです。っていう上陸ルートと、九十九里浜からわたってくる千葉ルートとか二方向で東京までを十日間で侵略するルートが考えられました。これは100万人を超える兵隊が参加して、27万人、その四分の一以上が死ぬであろうという、計画が立てられました。で、ここまではアメリカの軍部の計画なんです。
ところが日本の軍部はそれを探知してたんです。オリンピック作戦のことも、コロネット作戦のことも。つまり、この全般となってるダウンフォール作戦のことを察知してたので、日本は日本で計画を練ってました。どんな計画を練ってたのかというと、一億玉砕というプロジェクト。これ言葉として聞くんですけど、ほんとに計画としてあったんですね。
それは男子は15歳から60歳。女の子は17歳から40歳。までの国民全員、その時の国民2600万人をすでに陸・海・空軍にいる500万人と合体して、3100万人の軍隊を作ろうとした。こいつらがひとり残らず死ぬまで戦えば、おそらく東京の、いわゆる軍の中心部だけは守れるだろうというのが一億玉砕作戦。アメリカの将兵、いわゆるオリンピック作戦の25万人と、コロネット作戦の27万人、合計52万人の死傷者予想に対して、日本は3100万人くらい、死ぬ覚悟があれば戦えるだろうということで、計画してたんですね。
ピューリッツァー賞をのちに受賞するデビッド・ハルバースタムは、その著書の中で、その時のトルーマン大統領の側近の政治家たちの、25万とか27万っていう損害をまったく信じてなかったそうなんです。おそらく500万くらいのアメリカ人の兵隊が死ぬだろう。500万人のアメリカ人を犠牲にして、1000万人以上の日本人を殺して、戦争をして、そのあと和平だ、降伏だ、といってなんの意味があるのか。ということで、原子爆弾の使用というのが選択肢にあがってきた。
で、どうやって日本を降伏させるのかっていうので、アメリカは三つのプランっていうのを常に用意した。
ひとつ目は何かって言うと、原子爆弾で、日本人の気持ちをくじく、です。
ふたつ目はダウンフォール作戦です。今言った、50万人かもしれないし、500万人かもしれないアメリカ人の兵隊を殺して、日本の本土侵略っていうのをやる作戦。
もうひとつはソ連に対して外交交渉させて、ドイツが降伏をしたら3ヶ月後に間髪入れず、日ソ不可侵条約を破って、日本に参戦してくれって言ってたんですね。
よく日本人は、第二次大戦が終わって、原爆落ちたらすぐソ連が攻めて来たからあれはソ連の裏切りだって考えてるんですけど。
それはまあ半分本当なんですけども、もう半分はトルーマン大統領、その前のルーズベルト大統領から延々と言われてた、とりあえずソ連は国際条約を破ることになっても日本に侵略をかけてくれっていうような依頼だったんですよ。
ところが、原子爆弾の成功ですね。つまり、原子爆弾の元になったトリニティ実験っていうのが1947年の7月16日にあったんですけども、このトリニティ実験でアメリカのロスアラモス研究所が、ネバタ砂漠で人類初の核反応に成功しました。
このニュースを聞いた瞬間にトルーマンは手のひらを返したように、ソ連に対して「いや別にソ連は日本に無理やり攻めこまなくてもいいよ」というふうに言ったんですね。つまり核兵器を手にして、これは日本は降伏するなと思ったので、ダウンフォール作戦必要ないし、ソ連の参戦も必要ないだろうというふうに思って、核兵器の使用に踏み切った。
ところが、核兵器の使用に踏み切ったら、その翌々日ぐらいにソ連が急に攻めて来ちゃったので、戦後日本っていうのは、ちょっと微妙な歴史の闇に挟まれるようになっちゃったんですね。
で、こういうことがあったのでですね、アメリカ人はどうしても、日本っていう国はあの時に普通に原子爆弾を使わなかったら、アメリカ人が何人死んだかわかんないし。そりゃあ広島、長崎でいっぱい死者も出ただろうし、人道的かどうかって言われたら言い返す言葉もないんだけども。
でも、ダウンフォール作戦よりましじゃないかっていう意識が加害者側のアメリカにはどうしてもあるんですよね。
で、それを被害者側の日本っていうのは、どう受けとめていいのかわかんない。だからといって、広島、長崎しかたがない、とは絶対言えないし、言う気にもならないし、悲しいし、腹が立つし、なんですけども。
じゃあオリンピック作戦、ダウンフォール作戦がいいのかっていうと、良いはずがない。
じゃあ、そもそも日本が先制攻撃してきたんだろっていうふうに言われると、もう本当に考えようがないブロックに入っちゃうんですよね。
『シン・ゴジラ』のなかでの核兵器の意味
【画像】DMMラウンジのサロンにて で、『シン・ゴジラ』のクライマックスちょっと前ですね、つまりゴジラを凍結させれるかもわかんない、ヤシオリ作戦の少し前に、赤坂官房長官、主人公の矢口くんの親友の赤坂さんと矢口くんの間の会話があります。
それはヤシオリ作戦があるのはわかるんだけども、もう国連軍、多国籍軍の核攻撃、熱核攻撃を東京にさせるべきだっていう赤坂さんの主張と矢口さんの、いや、そんなことをやらせてはいけないという主張のぶつかり合いですね。
で、赤坂さんが言うのは、ほとんど普段聞けないような話なんですね。
我々日本に今必要なのは何なのかわかってんのかと。もうゴジラが来て、こんだけ首都を破壊したんだぞ。もう日本の株価っていうのはどん底にまで下がってるし、日本の国債だって誰も買う奴はいないし、もうこのまま日本っていうのはデフォルト起こすかもしれない。
デフォルトっていうのは何かって言うと、国家の破産宣言だと。そうなると敗戦よりつらい経済的な終わりが待ってるんです。
もう日本っていうのは終わってんだよ。その日本をもう一回復興させるには国際社会の理解と同情が必要なんだ。そのための核攻撃なんだって言うんです。
この赤坂さんの言い草は何かって言うと、もう一回アメリカに罪悪感を与えようっていうことなんですよ。
つまり、日本に対して戦後、ものすごくアメリカっていうのは優しくしてくれた。それはもちろんアメリカの謀略、戦略っていうのもあるんでしょうけども。何よりも日本に来た進駐軍っていうのもそうですし、日本に対する援助っていうのも、そん時のアメリカ人の優しさっていうのは、ヨーロッパの復興の時の比ではないんですね。
とにかくアメリカ中の色んな食料業者が日本に対して無条件で食料を送ったりしてた。
つい、この間まであんなに忌み嫌っていた日本になんでそんなことをしたのかって言うと、どっかに核攻撃に対する負い目とか罪悪感があるからだ。
そういうふうなものをもう一回利用することを考えること。そういう一般市民だったら絶対に考えられないし、理解できないことを決断するのが政治家の役割じゃないかっていうのを赤坂さん、ガーンと言うわけです。
どこかに核攻撃に対する負い目とか罪悪感があるからだと。
そういうものを、もう一回利用することを考えること。「そういう一般市民だったら考えられないし、理解できないことを決断するのが政治家の役割じゃないか!」というのを、赤坂さんはガーンと言うわけです。
俺もこれを映画館で見たときに「すごいことを言い出したな」と。
つまり、それはよく悪役が「人間なんて、滅びてもしょうがないんだ!」とか「人間なんてクソだ!」なんていうことを言いますよね。
でもそうじゃなくて、正義の味方側の友達が悪魔の囁きをするという、すごいシーンですね。
それは国際支援と国際社会の同情を得るしか、ここまで追い込まれた日本には取れる手段がないという。罪悪感による同情を引くための熱核攻撃の許容ということなんです。
広島と沖縄、『シン・ゴジラ』で語られる思想
さて、それは今の日本の繁栄というのは、広島と長崎の犠牲と、その共犯者意識っていうのは変なんですけども、「広島と長崎にだけ犠牲を強いた、残りすべての日本国民の共犯者意識によってるんじゃないのか?」というのが、クライマックスでの、作者・庵野秀明としての発言だと思うんですね。
それが戦争というのを潜り抜けた世代の中で、身体障害者となってしまったお父さんと、自分との関係。と言うのも変なんですけども。
なんで広島は日本国民から愛されて、なんで沖縄は日本国民からちょっと憎まれるのか? もう誤解を恐れずに言っちゃいますけど。
別に僕たちは、沖縄は好きなんです。そして「沖縄の人は気持ちがいい」って言うんです。
けども「米軍でていけ!」と言っている時の沖縄っていうのは、日本人は正直な話、かなりの抵抗感を持っていると、僕には見えるんですね。
それは何故かというと、広島は罪を一緒にかぶってくれるからなんですね。アメリカがやった酷いことに関して、オバマ大統領が来た時に「謝罪を要求しません。一緒に哀しみましょう」と言ってくれて、日本人の罪悪感を軽くしてくれるんです。
でも沖縄は、かつて沖縄で戦争があったことに関して、日本人と一緒に共犯者になってくれないんですね。
そうじゃなくて、「アメリカに、こんなヒドイことをされた!」「そして今でも沖縄はアメリカに、こんなことをされている!」と、日本人の罪悪感や良心をずーっと突っつき続けるから。
なので、日本人としては、広島の人たちみたいに「ありがとう。そう言ってくれたから、俺たちは日本人として国際社会で胸が張れるよ」となれない。このあたりの面倒くさい感じっていうのを、『シン・ゴジラ』のあのあたりのセリフっていうのは語ってるんですね。
赤坂の主張っていうのは、「国体を維持するのが一番だ」と。つまり「天皇制さえ守れれば、いいや」と。「戦後をもう一回、繰り返そう。その為には核兵器も受け入れよう」と、言っている。別に「天皇陛下を守ろう」と言っているわけじゃないんですよ。
この日本の国というものの、一流国・ちゃんとした国であるという枠組みさえ守られれば、もう一回、日本はやり直せるんだから。「だから核兵器の攻撃なんか、しょうがないじゃないか」という考え方。
あと、その中の庵野秀明の主張というのは、「たとえ政府や天皇家・皇族が失われても、日本人がいる限り大丈夫なんだ」という主張。
なので、『シン・ゴジラ』という映画の中では、皇室の移動という、本来語られるべきイベントが一回も出て来ないんですね。
日本人は何を残すべきかというと、皇室の移動を考えるのではなくて、日本人というのは、誰がいなくなっても大丈夫で、誰かが生きていれば大丈夫だ。
「その“誰がいなくなる”“誰が残る”ということに関して、優劣をつけてはいけない」ということを言ってるんですよ。
かなり過激な主張です。
じゃあその映画のクライマックス。
僕がさっき言った、ソルマックの注入ですね。バッタリ倒れてしまったゴジラの中に薬を飲ませるやつです。第一班が全滅したら、矢口は第二班をすかさず突入させてるんですよ。それも、これまでの怪獣映画では、あんまりなかったですし。本当だったら、福島原発でやるべきだったと庵野が考えていたことなんですね。
そこは民主主義がどうであろうと、人命尊重がどうであろうと、人権がどうであろうと、一国のトップというのは、場合によっては前線の人間に「死ね」と命令させて守るべきものがあるだろう。というのを言っちゃった映画だと思うんですよね。
そこら辺が『シン・ゴジラ』の思想としての凄さだと思うんですよね。
こういう映画を作られると、後で映画を作る人間が、すごくやり難いだろうなと思います(笑)。
まとめとコメント質疑
【画像】DMMラウンジのサロンにて 僕が今回の『シン・ゴジラ』に対して語ったことの、一番大きな枠組みは何かと言うと、まずは『シン・ゴジラ』の正体自体が、牧悟郎博士ではないのかと。
そういう個人の復讐の話を、間接的な戦争と原子爆弾の被害者である庵野秀明という個人が、どのように果たして、そして現に、長崎と広島に原子爆弾を落とされたことによって、日本人や日本経済が繁栄してしまって、その結果、アニメやマンガが生み出されて、その結果、その面白さや喜びの中から「オタクの庵野秀明」という生物が生まれてきたのかというのを、すごく正直に語ってるんですよね。
ひとつの嘘もなく語っているからこそ、ゴジラの設定にしろ、赤坂官房長官の設定にしろ、矢口の設定にしろ、ラストの煮え切らないセリフにしろ、そこまで本音を語る、つまりパンツを脱ぐことが出来たからこそ、次の『ヱヴァンゲリヲン』の最後の作品に、庵野秀明は「こんなに正直なことを語っても、怒られないんだったら」というのは変なんですけど、「OKなんだったら、俺はやりますよ」という宣言が、「政治家は引退することが、やめることが責任の取り方だ。でも俺は今はやめない」と言ったのではないのかなと思います。
時間を少々越えてしまいましたが。
それであっても、映画として65点という俺の評価(笑)あんまり変わらないですよ。本当に怪獣映画としては95点で、庵野秀明映画としてはおそらく1万点なんでしょうね。でも映画としては「お前はもうちょっと、ちゃんと作れるはずだぞ!」と、思いますし(笑)。
「とりあえず、石原さとみがジャマだよな」(コメント)
石原さとみがジャマなのを解消する方法は、先週に言ったから。
心ある人は見ておくように、よろしくお願いします。以上ですね。
「満点は、いくつで?」(コメント)
いや、満点は100点なんですけど、庵野秀明映画としては1万点なんですよ(笑)。
「ジェラシーもあるのでは?」(コメント)
いや、ないない(笑)。
俺もアニメを作ったことがあるから言えるんだけどさ。たぶん、マンガを描く人間とか、映画を作る人間とか、表現者のジェラシーって、そういうのじゃないんです。だから押井さんが宮崎さんの映画とか庵野の映画をボロクソに言うのは、全然ジェラシーじゃないんです。
あれはもう押井守の表現なんですよね。
それで押井守は、もう映画を作るより、あの表現に特化したほうがいいと、俺は本当に心から思ってるんで。別に他の作家の作品を褒めたからどうだ、けなしたからジェラシーというワケではないんですよ。
現に島本和彦先生は、あんなに「『シン・ゴジラ』に負けた!」と言いながらも、その「負けた!」という口調を聞くと、俺は島本先生のジェラシーをちゃんと感じるという。
「島本先生、現役、現役」と思って嬉しいんですけどね。
俺がジェラシーを感じるのは『ゴジラ』を語る人だけなんですよね。そんな人は、自分と同じ戦列だと思ってるから、僕はジェラシーを感じるかもしれないですけども、作る人に対しては、僕のジェラシー感というのはない。
これは普通はどうなんだろうな? 囲碁部の人は、野球部にジェラシーを感じたりするのかな? ワケのわからない例えをするのは、やめましょう(笑)。
「島本先生の公開説教は、しますか?」(コメント)
いやいや。8月14日はアイツは「忙しい」って言って、断ってきやがったからですね(笑)わざわざ助田さんが電話をしたら、「忙しいです」って言われて。よくよく考えたら、コミケの当日の夕方だから。無理かもしれないとは思ってたんですけども、俺の中では「島本和彦は逃げた」と捉えております(笑)。
なんで「逃げたのか」と、考えるのか。
というのは、島本くんの中で「なんで負けたんだけど立っていられるのか?」っていうと、「こんな凄いものを作られたら、負けた」「そして、『負けた』と言える俺は、まだまだいける!」という。
彼がツイッターで言っているとおり、こんな構造なんですけども、そんなことはないよと。「お前もやろうと思ったらやれるけども、最近のお前はやってないだけじゃん!」というのを、俺は言おうと準備してたんですけどね(笑)。
その辺りの呼吸ではないのかなと。本当に俺はキツイなと思いますけどね(笑)。
では次回は8月の14日ですね。
次回は終戦記念日に近いので。ちょっと最近は歴史の話が続いたので、路線変更をするかもしれないんですけど、こういう話をメインで。
後半のほうが、やや複雑な話をするような感じでやっていこうと思います。
今日は本当に面倒くさい長い話に。58歳が『ゴジラ』を汗みどろになりながら熱く語るという会に、最後までお付き合いいただいて、どうもありがとうございました。
それではまた来週日曜日の夜8時にお会いしましょう。
それでは、また。バイバイ!
(本編停止)
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