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「聖母マリア信仰は異端だった!」
だけど、「あれ? 俺、親の農地を継げねえよ。どうしたらいいんだ?」ということで、そんな彼らが、若者がニートやフリーター化して東京に集まるのと同じように、打ち捨てられた古代都市に集まりだしたことが中世の都市の始まりです。
多神教を信じていて、特に森を神様だと思っている、出身地の異なる若者が一つの都市に集まった。
その理由は、僕が考えるに4つあります。
1つ目が「マリア信仰ブーム」。
2つ目が「森への信仰」。
3つ目が「聖書の映像化」。
最初に話した通り、ゴシック教会が誕生したことで、初めて聖書の映像化が成功したんですね。
それまでの「聖書というのは言葉でしか伝えちゃいけない」というタブーを破って、バンバンとグラフィック・ビジュアルにして、音楽もつけて見せちゃったものだから、めちゃくちゃキリスト教が流行ったんですよ。
これのおかげで、ヨーロッパ人は、ほぼ全員キリスト教を信じるようになったんですけども。
そして、4つ目が「聖遺物信仰ブーム」。「キリストの遺品とか聖人の遺品を見る」という大ブームが起こった。十字軍の直接の原因もこれなんですけども。
この門に彫られた彫刻を見ると、キリストが真ん中に座っています。
その両横に、キリストの次に偉い人がいるんですけど、左側にいるのがマリア様です。
キリストを生んだお母さんですね。彼女がキリストに何かをお願いしています。
マリア信仰というのは、実は17世紀になってようやっと正当と認められて、さらに公式に教義となったのが1854年。
実はカソリック教会がマリア信仰を認めたのは19世紀の半ばなんですよ。
それまでは渋々非公認か、どちらかというと弾圧された宗派なんですね。
…もしくは悲しみに死んだとか、いろんな説があるんですけども、まあ、マリア様が天国に行くと、神様とキリストが2人して王冠を授けてくれた。
その様子を描いた絵画です。
「つまり、マリアも実は聖人の1人なんだ! それもキリストに次ぐくらいすごい存在なんだ!」という、こういう伝説があったんですけども。
それくらい、キリスト教というのは男性宗教なんですね。
ユダヤ教の時代から男性神しか認めない宗教でした。
これがね、当時のヨーロッパの農民達の感覚と全然違うんですね。
さっきも言ったように、本心では聖なる森を信仰している農民というのは、とにかく女神さまとかが大好きなんですよ。
泉ごとに女神さまがいたくらいなんですけども。
でも、キリスト教はそういうのを全部否定していたんですね。
だから、マリア信仰が教義認定された直後に、ヨーロッパ中で「聖母マリアが現れた!」みたいな奇跡が報告されるようになりました。
「ルルドの泉」ってあるじゃないですか?
あれは「聖母マリアの泉」という意味なんですけど、そういう奇跡が一斉に報告されたのは、1950年に教義認定されたからなんですね。
実は、中世では、キリスト本人よりも、むしろマリア様の人気が高かったんですね。
日本でのキリシタン弾圧を描いたマーティン・スコセッシの『沈黙』という映画でも、「なんで日本人はマリア様ばっかり拝むんだ!?」と修道士が嘆くシーンがあるんですけども。
いや、別にそれは「日本人だから」じゃないんですよ。世界全体でも、マリア信仰というのはすごく強いんですね。
その理由は、当時のヨーロッパでキリスト教が人気がなかったことと同じで、実は「信仰対象が男性神のみで怖いから」なんですね。
キリストは磔にあっちゃうし、「最後の日が来るから祈れ!」と言うばかり。
「でも、まあ、祈ってたら救われるんだし」と思ってたら、「予め救われる人は決まっています」という予定救済説が出てくる。つまり、キリストに祈っても、何の現世利益もないんですよ。
おまけに、この人は一番偉いキリストに対して超強いコネを持っているわけですよね。
なんせキリストのお母さんで、おまけにキリストに次ぐ聖人なんだから。
なので、みんなマリア様に祈るようになっちゃったんですよね。
マリア様に祈ったら罪を許してくれるから。
キリストはいくら祈っても許してくれないんですよ。
予定救済で、神は予め救う人を決めているから。
でも、マリア様は許してくれるということで、「マリア様に祈ろう!」という信仰がいっぱい生まれたんですね。
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