平成入った頃から公の文章にも「ひきこもり」という単語が使われていて、当時の引きこもりだった10代~20代前半の若者が30年経っても引きこもりから抜け出せていないから40歳以上の引きこもりが増えているってだけの話。 『すでに』も何も、30年前の当時からずっと社会問題として認知されてたんだけど。 ひきこもりの大半は人間関係のトラブルなんかで社会へ出るのが怖くなってしまった人で、ただ怠惰なだけの『個人の責任』と言えるひきこもりなんて今も昔もほとんどいなんだけど。 ただ引きこもってるが故に実態が掴みづらくて、何かしらの支援が必要だけどそのせいで支援しにくくて解決しにくいってのが引きこもり問題の本質であって、人間の相対寿命とか全然関係ねーよ。 「落ち込まなくてもいい」とか「気にしなくてもいい」なんて、うつ病の人に「頑張って」と言うのと同じぐらい引きこもりには逆効果な言葉だし、 何より「もう個人の責任じゃありません」という言い方が、「ちょっと前まで個人の責任だと考えてた」かのようで、めちゃくちゃ気分悪いエントリーだわ。
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岡田斗司夫ゼミ
(ID:5456716)
平成入った頃から公の文章にも「ひきこもり」という単語が使われていて、当時の引きこもりだった10代~20代前半の若者が30年経っても引きこもりから抜け出せていないから40歳以上の引きこもりが増えているってだけの話。
『すでに』も何も、30年前の当時からずっと社会問題として認知されてたんだけど。
ひきこもりの大半は人間関係のトラブルなんかで社会へ出るのが怖くなってしまった人で、ただ怠惰なだけの『個人の責任』と言えるひきこもりなんて今も昔もほとんどいなんだけど。
ただ引きこもってるが故に実態が掴みづらくて、何かしらの支援が必要だけどそのせいで支援しにくくて解決しにくいってのが引きこもり問題の本質であって、人間の相対寿命とか全然関係ねーよ。
「落ち込まなくてもいい」とか「気にしなくてもいい」なんて、うつ病の人に「頑張って」と言うのと同じぐらい引きこもりには逆効果な言葉だし、
何より「もう個人の責任じゃありません」という言い方が、「ちょっと前まで個人の責任だと考えてた」かのようで、めちゃくちゃ気分悪いエントリーだわ。