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岡田斗司夫の毎日ブロマガ 2019/02/28
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今回は、ニコ生ゼミ02月17日(#269)から、ハイライトをお届けいたします。

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 【『ファーストマン』番外編 3 】 下宿のベッドに15人
 
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 ここで、ちょっと話が戻ります。

 カレンが1961年の6月にシアトルの公園で転ぶことになった、その2ヶ月前の4月に、アメリカの歴史を変えるような事件が起きました。

 そのうちの1つは “ガガーリンの地球周回” です。

 これによって、アメリカは「科学力で決定的にソ連に負けている」と思ったんですね。


 それまでのアメリカは「第2次大戦において、科学の力でナチスドイツを破り、日本を破って世界一になった」と、本当に自信を持っていたんです。

 これはもう「油断していた」と言ってもいいくらい自信を持っていたんです。

 そんなアメリカという国にとって、ソ連に、ガガーリンの地球周回という、自分たちに全く出来ないことをやってのけられたというのは、本当にプライドをへし折られたような事件だったんですね。


 おまけに、その3日後、有名な “キューバ危機” が訪れます。

 カリブ海に浮かぶ小島のような国が、「以後、我々はアメリカとは国交せずにソ連と付き合う」と言って、アメリカを見捨てたんです。

 カリブ海といったら、まさに「お膝元」ですよね?

 そんなことが起こってしまったので、発足したばかりのジョン・F・ケネディ政権はパニックになります。

・・・

 その結果、ケネディは、誰彼構わず呼び出して「なんとかアメリカが世界一に見える方法を、誰か考え出せ!」と命令しました。

 そこで出てきたのが副大統領のリンドン・ジョンソンです。

 このリンドン・ジョンソンが提案したのが「締め切りを延ばしましょう」という意外な方法でした。


 これ、どういうことかというと。

 「正直にいってソ連との科学力の差は、どうしようもない」というふうにジョンソンは言いました。

 これが “ミサイル・ギャップ” と言われるものです。


 実はこれについて、1990年から21世紀に入ってきた辺りの研究では「当時のミサイル・ギャップというのは、実はそんなになかった。リンドン・ジョンソンやアメリカの軍部たちが、現実以上にソ連の科学力を大きく見せて、自分たちの勢力を拡大するための手だった」と、今になって言われるようになっているんですけども。

 当時は、そんな事わかりません。

 副大統領のジョンソンはジョン・F・ケネディに「ソ連との科学力の差は、はっきり言って離れ過ぎてしまった。もうどうしようもない。正直言って、この先2年でさらに引き離される。どんどん追いつけなくなっていく。だから、この2,3年でなんとかしようと思うと負けてしまう。だから、そういう短期的な目標は全部やめよう」と言いました。

 「それよりも、長期の目標なら必ず経済力で勝てます。アメリカが本気になって開発・研究を進めれば、必ずや5年後10年後には、圧倒的な経済力でソ連に勝てる。今年1961年にはアメリカはソ連に勝てません。来年1962年も勝てないでしょう。でも、あなたの任期の終わりである1964年には成果を出せます。2期目の大統領選挙となれば、任期は1968年までありますよね? その頃にソ連に逆転勝利できるような目標を立てましょう。それは“月着陸”しかないでしょう」とリンドン・ジョンソンは言いました。

 こんな口車に乗ったケネディ大統領は、「ああ、その手があったか!」と、もうわずか2週間後の5月に両院で演説し、かの有名な「60年代末までにアメリカは人間を月に送って、帰ってくるんだ!」という宣言を行いました。

 ここにアポロ計画というのはスタートしました。

 だから、アポロ計画というのは、「マーキュリー計画が終わって、ジェミニ計画が終わって、アポロ計画が始まった」のではなくて、「1961年の段階でマーキュリー、ジェミニ、アポロというのは同時に始まった」んですね。


 なので、まあ、古い話になるんですけど、『ドリーム』っていう映画が去年公開された時に、もともと付いていた「私達のアポロ計画」という副題が、「あれはアポロ計画じゃない! マーキュリー計画だ!」という、一部の無粋な映画評論家やマニアによって攻撃されて、タイトルが変わっちゃったことがあったんですけど。

 僕はそれを聞いて「まあ、中途半端に物事を知らん人間が、よく言うな」と思ったんですよね。
 
 「あれはアポロ計画だよ。だって、ジョン・グレンが打ち上がった時は、完全にアポロ計画が始まってたんだから。私達のアポロ計画で全然構わねえよ」って思ったんですけど。

 まあ、それは置いときましょう(笑)。

・・・

 さて、ここにアポロ計画をスタートしました。進行中のマーキュリー計画とその次に予定されていたジェミニ計画、アポロ計画を含めて、一続きの大きな計画になったんですね。

 それは「アメリカが10年掛かりでソ連を追い越して月着陸によって勝利する」というシナリオでした。


 ジョンソンの予想通り、1961年はアメリカは負けっぱなしでした。

 ようやっと5月に、アラン・シェパードを乗せたマーキュリーカプセルを打ち上げたんですけど、地球の周りは回れずに弾道飛行で落ちてくるだけ。

 7月のガス・グリソムも同じく弾道飛行でした。

 周回軌道に乗せることが出来る “アトラスロケット” は、まだまだ実験する度に爆発する不安の残るロケットでした。


 ようやっと年が変わって1962年。

 ニールの娘カレンが死んで1ヶ月後の2月20日に、ジョン・グレンはアメリカ人として初めて地球の周りを3周回ることに成功しました。


 この時のアメリカの熱狂はすごかったんですよ。

 もはや伝説で、それまで「歴史上最もすごいアメリカの熱狂やパレードというのは1927年のリンドバーグのパレードだ」と言われていたんですけども、ジョン・グレンというのは、それ以上になったんですね。

 以後、ここまですごい英雄はアメリカの歴史には現れてません。

 実は月着陸したアームストロングのアポロ11号のパレードも、その後、ニューヨークで開かれたどんなパレードも、ジョン・グレンのパレードほどすごくなかったんです。

 あれが、アメリカの歴史で本当に一番すごかったんですね。

 まあ、そんな状態でした。

・・・

 娘が死んで、自分だけがX-15の事故で生き残ってすぐ、ニールはジェミニ計画のパイロットに志願します。

 娘が病気になってからも、毎週毎週、5日間シアトルに通って続けていたX-20ダイナソア計画は、マーキュリー計画が成功しちゃって以降、打ち切りが決まったんですね。

 つまり、「空軍はもう宇宙に行けない」というのが、はっきりわかっちゃったんです。


 もはやジェット・パイロットとしては、これ以上のキャリアアップ・出世は望めない。

 時代は「宇宙飛行士こそ真のヒーロー、真のパイロットだ!」と言い始めていた。

 そして、ジョン・グレンが地球を周ることによって、それが証明されちゃったんですね。


 なので、4月になってニールは、ジェミニ計画の願書募集に応募します。

 この願書の到着は、ちょっと遅れて5月に届いちゃったんですけど、NASAはそれを大目に見て受領してくれました。

 しかし、願書を出しても返事が来ないんですね。

 すると、ある日、いきなり「ニューメキシコに行け」という指示が届きました。


 アルバカーキという、『ブレーキング・バッド』でお馴染みの、ニューメキシコの街に、ラブレースクリニックという病院があります。

 これ、僕も偶然、去年行ってきたんですけど。「そこで検査を受けろ」と言われるんですね。

 「でも、それは極秘だ。誰にも言うな」と。

 「ジェミニ計画に関係があるのか?」と聞いても答えてくれないんです。

 何のことかもわからずに、ラブレースクリニックに行ったニールは、ものすごく精密な身体検査を受けさせられました。

 ここで「あ、これ、ジェミニ計画の一環なんじゃないかな?」と思ったそうなんですけど。


 それが終わったら、またモハーベ砂漠に戻って、今度はF104で何回かテスト飛行をする仕事を受けます。これはまあ、幸運にも事故が全くなかったんですけど。

 その次は「フランスの会議に行け」と言われて、フランスまで行って帰って来たら、今度はまたX-15のテスト飛行です。

 このX-15のテストでは「マッハ7.5にまで持っていけ」と言われます。これはもうX-15の最大速度に近いんですよ。

 このテスト中に操縦席中に煙が溢れ出しました。

 つまり「どこかが燃えてるんだけど、それがどこかはわからない」と(笑)。

 そんな燃え続けているX-15を、なんとか着陸させて、またニールは死にかけたわけですね。


 そしたら、今度は「サン・アントニオというカリフォルニアの街で心理テストを受けろ」というふうに言われたんですよ。

・・・

 この、コックピットが燃える中、ガーッと着陸させてすぐに受けた心理テストというのは、なかなか厳しくて。

 中でも、全員が「これはツラかった」と言っていたのが “隔離テスト” と呼ばれるものなんですね。


 隔離テストというのは、『ライト・スタッフ』の映画でも出てきたんですけど、実際は窓も何にもない鉄の小部屋みたいなところで、音も光もまったくない一切の感覚が途絶されてしまった場所に長時間隔離されるというテストです。

 人間はそこで、自分が立ってるのか座っているのか横になっているのかもわからないし、何分経ったのか、何時間経ったのかすら全くわからないという、ものすごい不安に数分で陥ると言われています。

 そういった完全に途絶された場所に隔離されて「2時間経ったら出て来い」と言われるんですね。


 この2時間というのが全くわからなくて、みんな30分くらいで出てきちゃうんですよ。

 「もう、いくらなんでも2時間経っただろう」と。

 しかし、「いや、俺は丸1日くらい過ごした」と思って出てきたら、「まだ30分とか45分しか経ってない」と言われてビックリするんですけど。


 ニール・アームストロングは、この2時間経ったら自分でドアを開けて出て来るという隔離テストで、きっちり2時間で出て来たんですね。

 「お前、どうやったんだ?」と聞かれたニールは、「いや、“下宿のベッドに男が15人” を歌ってた」と答えたんですよ。


 この下宿のベッドに男が15人というのについて、僕も調べてみてなんとかわかったんですけど、これはアメリカの数え歌の “ボーイスカウトがベッドに10人” という歌の替え歌だそうです。

 「アブラハムには7人の子、1人はのっぽであとはチビ~♪」みたいな数え歌というのがアメリカにはよくあるんですけども。

 その1つに、ボーイスカウトがベッドに10人寝てて「ロールアウト、ロールアウト~♪」というふうに、「1人がちょっと向こうに詰めて、ちょっと向こうに詰めてって言ったら、一番奥で1人で落ちちゃった」みたいな数え歌があったそうなんです。

 これが、どうも当時のアメリカの大学生の間では「下宿のベッドに男が15人寝てると、向こうへ行ってくれ、向こうへ行ってくれ、1人落ちた」という替え歌になってたらしいんですね。


 ニールがこの歌を自分のペースで歌うと、ちょうど3分くらいかに収まったそうなんです。

 で、それをキッチリ何十回か歌ったら、ちゃんと2時間になったので出てきたら、ほぼ2時間ピッタリだったそうなんですけど。


 ニールという男には、こういうふうに自分を見失わないところがあったんですね。

 みんな「どうやって自分が冷静なところを見せようか?」みたいに、自分が感覚途絶テストみたいなのを受けても平気なところを見せようとしていたのに対して、ニールは「要するに2時間ピッタリで出てきたらいいんだな。でも、正確に数を数えようとしてもペースが狂っちゃうから、じゃあ、俺はよく知っている歌を何十回も続けて歌おう」とだけ考えて、2時間で出てきたと。

 この辺のクソ度胸というか、落ち着きっぷりというのが認められて、彼は最終選考に残ります。

・・・

 その後、8月に最終選考があって、その時に32人くらい残ったんですね。

 最初は何百人かいた候補者の内、32人を招いたパーティに参加したんです。


 ニールが応募したこの第2期のアメリカの宇宙飛行士は “ニュー・ナイン” と呼ばれてたんですね。

 つまり、9人なんですよ。

 9人の枠で、まだ32人も候補者は残ってるわけですから、まだ誰が通るかわからないんですけど。

 ニールは、そのパーティに参加した後、またモハーベ砂漠で、毎日毎日テスト飛行に参加していました。


 そして、ついに9月。ニールに「ヒューストンに来てくれ」という電話が掛かってきました。

 これで、やっと結果がわかるわけですね。

 「9月15日までにヒューストンのライスホテルに極秘で来い。その時には、ニール・アームストロングとは名乗るな。ホテルでチェックインする時に、“マックス・ペック” という偽名を使え」と言われるんですよ。


 そのライスホテルでは、何日も前から変なことが起きてたんですね。

 なぜかというと、やたらガタイのいい男が「マックス・ペックです。チェックインをお願いします」と言ってやってくるんです。

 だけど、全く同じ「マックス・ペック」という名前の男は、もうすでに何人もチェックインしてたんですね。

 ちなみに、ニール・アームストロングは、最後に「マックス・ペックです」と言うことになったんですけど。


 当時、ホテルで働いていたアルバイトの男の子が1人「これは何か変だ」と思って、支配人に言ったんですよ。

 「変ですよ! マックス・ペックという同じ名前の男が何人も何人も来てます! ソビエトのスパイじゃないですか!?」って。

 すると、支配人は「うん。このことは誰にも言うな。以後、お前はこういう客の応対はしなくていい」と言って、以後、マックス・ペックは全員、支配人が直に担当することになったので、ホテルの従業員は全員、余計に「何か変だ!」と思うようになってしまったんですけどね(笑)。


 結局、9月15日に、ニール・アームストロングがやって来たことによって、9人のマックス・ペックが揃いました。

 その翌日の9月16日、近くにあったヒューストン大学のライス講堂という場所で記者会見が行われることになります。

 それが、ニュー・ナイン、アメリカの第2期宇宙飛行士の公式のお披露目でした。

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