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これは、日本テレビの同名のドキュメンタリー番組『「もののけ姫」はこうして生まれた。』の内容のまとめみたいな本なんです。このドキュメンタリーはDVDにもなっています。
そのメモの内容が面白いから、ドキュメンタリーの撮影班も、どんどん撮っているんですけど。
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辛苦の過去から抜け出した女性。
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「辛苦」とは、つらく苦しいという意味ですね。
まあ、歴史書によっては「その正体は日本人じゃなくて、日本人のフリをした当時の中国人とか韓国人である」という記述もあるんですけど、そういった倭寇の頭目の妻となるわけです。
その時、当時の中国である「明」から、最新式の武器である石火矢を手に入れ、日本に持ち込んでいる。
これが、エボシの設定です。
つまり、彼女は美人なだけでなくて、かなりの「やり手」なところがあったんでしょう。
そして、どんどんのし上がって行って、ついには頭目を殺してしまい、倭寇の金を盗んで日本に帰り、おまけに中国から最新の武器、石火矢っていう大砲を持って帰ってきちゃったという、とんでもない女性です。
そのために目を付けたのが「シシ神の森」だったんです。
なぜなら、シシ神の森というのは誰の領地でもなかったからですね。
当時、日本中の土地というのは、天皇の土地であったり侍の領地であったり寺の土地であったり、すべて所有権が決まってたんですけど、この森はシシ神に属している。このメモにも「ここを手に入れれば、自分の国が作れる」というふうに書いてあるんですね。
確かに、映画の中でも、売られた女の人を引き取ったり、ハンセン氏病で差別されている人達も優しく介護して仕事を与えるという、すごくいい人に見えるんですけども。
ところが、タタラ場には走り回る子供がいない。
それどころか、母親に抱かれている赤ん坊すらいないんですよね。
これに関して宮崎駿自身は、当時の『もののけ姫』の映画パンフレットの中では「いやあ、そこまで描いてる暇がなかったんですよ」なんて言ってるんですけども。「描いてる暇がない」なんて言い出したら、『ラピュタ』や『ナウシカ』を作っていた時の方が絶対に忙しいはずなんですよ。
描いてないのには、描いてない理由があるんです。
開拓村というのは、18世紀から19世紀のアメリカ開拓時代によくあった、ようやっと村として成立してから10年とか5年くらいの年月しか経っていない村のことです。
まだまだ「常に周囲との戦闘状態を続けている」みたいな村のことですね。
まず、それだけの食料がないし、開拓村ですから、働けない人は養えないんです。
タタラ場の外れには、隔離されているようにハンセン氏病の人たちの暮らす区画というのがあるんですけども、彼らは「石火矢を作れる」という能力があるから、あそこで飼われているのであって、どちらかというと「弱者には厳しい環境」なんですね。
にも関わらず、子供の姿がまったく見えないということは「外の子供を引き取らない」のと同時に、おそらくは、すごく厳しい「産児制限」、つまり「子供を産んじゃいけない」というルールを敷いているんだと思うんですよ。
たぶん、このタタラ場の中に蔓延する、男をバカにして「女の方が強いんだ!」と言うような文化も、同じような目的で、意図的にエボシが作っているんだと思います。
これが、エボシ御前が単なるいい人に見えない、矛盾点の1つ目です。
「え?!それってどういうこと?」「そこのところ、もっと詳しく知りたい!」という人は、どんどん、質問してみて下さい。
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