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「【『トトロ』は24時間テレビ用のアニメだった・1 】 手塚治虫のアニメ地獄」
『となりのトトロ』から遡ること10年くらい前、日本テレビのスペシャル番組として、トトロの企画を提案して、「駄目」って言われてるんです。
それは僕も知ってたもんだから、「ここでそれを持ち出しましょう」ということなんです。
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その10年くらい前の1978年に「日本テレビのスペシャル枠で流すアニメ」といったら、実は “24時間テレビ” 以外にありえないんですね。
1970年代から80年代の終りまで、実は、この番組の中には “2時間のアニメスペシャル枠” というのがあったんです。
毎年毎年、オリジナルのアニメ作品を1つ放送してたんですよ。
「つまり、『トトロ』というのは、もともと、その枠用に提案されたんだ」ということに、ふっと気がついたんです。
ということで、僕、そこからちょっと調べてみました。
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ちなみに、アニメ枠の最後は、1990年の第13回の『みなみの海をすくえ』という、『アンパンマン』のオリジナルのアニメになっています。
まあ、これが『となりのトトロ』とどう繋がるのかは、今は、ちょっと置いておきます。
これはちょうど24時間テレビをオンエアしてた当時の、1978年の『アニメージュ』です。
漫画家としての手塚治虫は、いろんな雑誌に連載していたんですけど、鈴木さんが務めていた徳間書店の雑誌でも、漫画を描いていたんです。
その担当編集もやっていたんですね。
だから、当然、鈴木敏夫と手塚治虫とは、すごく強い関わり合いがありました。
ここは大事なので、覚えておいてくださいね。
「脚本段階から自分で全部やる!」と言っていたんですけど、これが遅れて遅れて仕方がなかったんですね。
それが仕上がったら、次に自分で原画を描いて、それが終わったら、自分で動画を描き始めるという、継ぎ接ぎみたいな作業を延々とやってたんですけど。
それでも終らないんです。
なので、ただでさえメチャクチャ忙しいもんだから、『バンダーブック』の製作というのは、どんどん遅れて行くんです。
そして、ついにオンエアの2ヶ月前、制作デスクが失踪してしまうんですよね。
この人、本当にどこかに行ってしまって、いまだに見つかってないんですよ。
この辺りの詳しい事情については、『ブラックジャック創作秘話』という漫画の「アニメ地獄」というタイトルの話の中に描いてあります。
だけど、それをやっても同じなんですよね。
そもそも、「脚本は全て私が書く! コンテも私が切る!」と言っていたから、こんな困った状況になっているわけなんです。
原因は、手塚先生が「全部、自分がする」ということにこだわっているからなんです。
そんな中、制作が遅れてきたらどうなるのかというと、やっぱり「全部、私がやる!」と言う。
結果、どうなったのかというと、もう本当に、手塚さんは寝る時間もなくなってしまいます。
だから周りも、もう、何も言えなくなっているわけですよ。
というのも、手塚治虫が誰よりも働いてるから、そこでこれ以上手塚さんを責めるわけにはいかないんです。
責めることで時間が5分でも取られるくらいなら、その分、5分でも何かを描いてくれた方が状況がマシになるじゃないですか。
では、別の部屋で何をやっているのかというと、別の連載漫画を描いているわけですね(笑)。
そして、連載漫画が煮詰まって「もうダメだ!」となると、アニメフロアに降りてきて、アニメを作るという、本当に、地獄のような日々を過ごしていたそうです。
ここには「アニメ地獄」って書いてあります。
これは、他の人にとっても地獄なんですけども、一番の地獄の只中にいるのは手塚治虫自身なんですよ。
2時間分のアニメだから、35ミリフィルムにすると、10巻くらいの束になると思うんですけど。
どれくらいギリギリだったかと言うと、「1巻目をロールにかけて映写している時に、まだ最後の巻が納品されてなかった」と伝えられています。
だけど、アニメは作られました。
本当にすごいです。
よく、アニメ界の伝説として「放送当日にギリギリ間に合った」という話があるんですけど、それどころの騒ぎじゃないんですね。
「1巻目を放送している時に、最終巻が出来上がった」んですから、もう日本のアニメ放送史上、空前絶後の事態です。
だから、24時間テレビの中の他の番組も、軒並み視聴率が良かったんですけど。
その中でも、ぶっちぎりの1位を『バンダーブック』が取ってしまったんです。
なので、その後も、延々と手塚治虫のアニメが作られることになってしまいました。
“アニメ地獄” というのが、ずーっと続くことになったんですね。
でも、ギリギリの進行は相変わらずです。
で、本当に全部リテイクしたんですよ。
『バンダーブック』のリテイクって、必要ないんですよ。
だって、日テレの『愛は地球を救う』のために作ったアニメなんだから、その日にしかオンエアする予定はないんですよね。
当時はビデオ化とか、そういう話も全然なかったので、全く無駄なんですよ。
ただ、24時間テレビというのは、日テレ系列で日本全国同時生放送のはずだったんですけども、地方局によっては「この時間はダメだ」というようなものが、いくつかあったんです。
なので、2ヶ月後とか3ヶ月後、地方局でのみ、細々とリテイクされた『バンダーブック』がオンエアされたんですけど。
もちろん、後年、『バンダーブック』というのは、ちゃんとDVDにもなったんですけどね。
手塚治虫の24時間テレビのスペシャルアニメというのは、正直言って、あまりまともな作品がないんですよね。
そもそも、視聴率が良かったのは、当時はアニメブームの頂点みたいな時代だったからなんですよ。
だって、この1978年というのは、『機動戦士ガンダム』のオンエアの前の年なんですよ?
無料のテレビで、それも1時間半もある劇場アニメが見られると言われたら、それはもう、みんな見るに決まってるんですね。
だから視聴率が良かったんであって、「質が良かったからとか、作品が素晴らしかったから、視聴率が良かったわけでは決してない」ということだけは押さえておきましょう(笑)。
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