ぜひ、みんなに読んでもらいたいのが、小説版『天空の城ラピュタ』なんですよ。
小説版ラピュタ
読んでる人、わりと いないんですけども。
でね、この中に書いてあるスラッグ渓谷の描写が凄くてですね。
小説版・天空の城ラピュタっていうのは、ラピュタを作っているときに「『ナウシカ』みたいな原作が無い」って言われたので、あわてて徳間書店の編集者の人が宮崎さんから指示を受けて、生まれて初めて小説を書いたってやつなんですけども(笑)。
ま、小説の上手い、下手と言うよりは、イメージが凄いんですよね。
で、『その日のパズー』っていう章があります。
これは、映画の始まる何日も前から始まっていて。
一番 最初は空からロボット兵が落ちてきて、近所の農民が困るという所から始まって、それのおかげで工業の町が ちょっと大騒ぎになって。
それでパズーは親方に呼び出されてっていう、いろんな状況があって。
その後で、ようやっと空中海賊のドーラが、「ロボットが落ちてきたという事は、あのラピュタの話も本当なんだろう」と。
ドーラは、飛行石を持った女の子を飛行船で運ぶっていう軍の情報は、ずーっと盗聴してたんですよ。
「でも、これは盗賊狩りに違いない」と。
「私らは、これを迂闊(うかつ)に信じたら、えらい事になるぜ」と思ってたんです。
けども「ラピュタのロボットが落ちてきた」という話を聞いて、「あぁ、じゃあ本当だ」と思って、それでドーラはシータ奪回というか、シータを奪いに動き出すというのが書いてあるんですけども。
そこは、わりと どうでもいい。
コメント「なんで落ちちゃったの?」
何で落ちたのかっていうのは、たぶんシータが動いたからですね。
シータが、これまで住んでいた場所から連れ去られて、動いてしまったので。
シータの座標が変わったので、監視役だったロボットが、おそらくラピュタの近くを飛んでいた。
ラピュタの近くで、もう壊れていたけども、監視能力だけは持っていたと。
それが観察に行こうとしたら、もうすでに飛べない体になっていたのに行っちゃったから、落ちちゃったかと。
たぶん、それぐらいの設定だと思っています。
ある日、ラピュタのロボットは落ちてきたのではなくて、明らかにシータが動かされたから、それに連れて、すべての物事が動いていくわけですね。
その中で、この小説の第四章か五章ぐらいになって、やっとパズーが出てくるんですけども、『「その日」のパズー』ってタイトルです。
それは、空から落ちてきたシータを受け取る日。
それが「その日」なんですけども。
「その日」のパズーっていうのが、前の夜から書いてある。
前の夜、とりあえず もう本当に疲れ果てて、家に帰ってきて、鍋の底に残っていたジャガイモの煮たのの残りをスプーンで2,3回すくうと。
これを立ったまま口に運ぶと。
これだけで、晩御飯は終わってしまった。
これだけで晩御飯は終わってしまって、もう家には暖房も無いんで冷え切ってるんだけども、気力を振り絞って地下室に行くと。
地下室に行くと、作りかけた羽ばたき飛行機が置いてあるわけですね。
この部品の一つだけでも、木から削りだして作ろうと思うんですけども、一瞬でも早く寝たくて しょうがないと。
こういうのが毎日毎日 続いてるわけですね。
こういう毎日 生きていくだけでも必死の生活の中で、「何のために、俺はこんな飛行機を、それも飛べっこないような飛行機を作っているんだ」と。
「何で、ここまで親父が言った事に こだわっているんだ」というような事を思いながら、「とりあえず、そんな事を考えるより、手を動かそう」と思って、手を動かしてやっていると。
で、何とか部品を一個だけ作って、ベッドの中に倒れて、朝 起きたら「今日は汽笛より先に起きられなかった」と。
いつもは近くを通る鉄道の汽笛の音の前に起きて、起きてから汽笛を聞くんだけど、今日は汽笛の音で目が覚めたと。
ほんの一分か二分の違いかも分からないけども、パズーにとっては一大事なので、ばーっと働いている所へ走っていくと。
何で一大事なのかっていうと、パズーは本当にムダな時間が一秒も無いから。
まず職場に行ったら、床掃除をしなければいけない。
床掃除をしてたら、さっきまで冷えて体がバキバキだったのが、体から湯気が出るぐらい汗が出てくると。
それぐらい辛い労働なんです。
それで、汲んであった水をバルブに入れて、蒸気を炊き出す。
石炭をガーッと掻いていると、そこでもドンドンドンドン熱くなる。
極端に寒いか、極端に熱いしかない。
それで「今日は、そういえばラッパが吹けなかった」と。
「毎朝毎朝、ラッパを吹く事を習慣にしようと思ってるんだけども、今日はその時間も無かったなぁ」ってふうに考えながら、蒸気圧をこういうふうに上げているというシーンがあるんですけども。
こういうふうに
なんかね、凄いんですよ。
パズーの生活のリアリティが。
僕らは、パズーって、あそこで周りの大人たちに恵まれて気楽に暮らしてるって考えてるんですけども、そうじゃなくて。
元々、宮崎駿は、「イギリスの田舎の炭鉱で働く少年が、どういうものか?」っていうのを、本気で書ききろうとしてるんですね。
で、「その中で、自分の夢を追う」っていうふうに気軽に言うんだけども、それは何かっていうと、ただでさえ少ない睡眠時間を削って、狭くて寒いところで部品を一個でも作って という事の繰り返しの毎日で。
この先が どういうふうになるのか、ぜんぜん分からないんですね。
じゃあ、親方たちが良い暮らしをしているのかっていうと、パズーと話しているときに出てくるんですけども、親方たちは その日、半日かけて抗議のデモに行っていると。
で、何かっていうと、わざわざ奥さんにお弁当を作ってもらって、親方たちはお弁当を持って、鉱山の本社へ。
「鉱山が、もうすぐ閉山される」ってウワサが流れてるから。
最近は、銀も出てなければ錫も出ていない。
石炭なんか、とうの昔に掘り尽くしてしまったと。
「もう、この鉱山は閉鎖するしかない」って言ったら、親方たちは「そんな事を言って、それまで散々 儲けてたんだから、もうちょっと閉山は待ってくれ」というのを抗議をする為だけに、歩いて半日かかる本社までデモに行って、弁当箱を持って帰って来たところだと。
そこで、ちょっとでも気持ちを明るくさせようとして「そう言えばパズー、面白い話を聞いたぞ」と。
「空からロボットみたいなのが落ちてきたそうだ」というような話をするところから、このパズーの一日っていうのが始まりだすんですね。
疲れ果てた親方。
今日も仕事が無くて、山から金属が何も出なくて、酒を飲んだくれて。
もう何もかもイヤになって「どこかへ逃げたい」と言い出した親方を見て、パズーは、ポム爺さんが言った言葉を思い出すんですよ。
ポム爺さんは、「地面の下へ連れて行かれた馬は、二度と戻ってこない」って話をするんですね。
どういう意味かっていうと、地面の下には、無限に鉱山の坑道が走ってるんですよ。
僕は この間、軍艦島に行って、端島の石炭の坑道を見たんですけども、僕らが考えているより遥かに ものすごい坑道が、何キロも何キロも地面の中を通ってるんですよ。
そういう所を、馬が労働力としてトロッコを引っ張って、働かされているわけですよ。
一度、地面の中に連れて行かれて、働かされた馬は、二度と太陽を見る事も無く、その中で働き疲れて死んでいくって話を、ポム爺さんが するんですね。
それで、ポム爺さんにその話をされてからパズーは、ずーっと親方とか自分が、その馬に思えて仕方が無いんですね。
で、「こんな事をずーっとやっていて、自分は夢があるフリをしているんだけども、それは ただ単に、鉱山の中の馬みたいに、意味も無く働かされて死んでいく自分を見たい為にしてるんじゃないか?」という事を考えながら、親方が飲んだくれて荒れて行くのを待つ。
で、「逃げたい」って言ってるけど、「家族が。帰らなきゃいけないか。」っていうふうに親方がボソッて呟くと、「そうですね。親方には奥さんも子供も いますからね」ってパズーが何の気も無しに、ふっと言うと。
すると親方が「あぁ、嫁さんと子供な」と言った瞬間に、すっと立ち上がって、黙って帰るんですね。
だから、ここも宮崎駿の“引き受ける”ってテーマが出てくる。
どんなに辛い状況があっても、何で、そこで親方が黙って立って立ち去るのかっていうと、「自分には子供がいるし、嫁さんがいるから」っていう立場を引き受けているからなんですね。
こういう、すさまじいパズーの設定にしてるんですよ。
それは、なんでこれを書いてるのかっていうと、実はこのラピュタにおいて、パズーとムスカっていうのは同一人物だからなんですね。
一人の人間の、11歳のときと、35歳のところを描いているから、だけなんですよ。
ムスカっていう人間の若い頃を想像したら、「ムスカは子供の頃からエリートで」なんてハズは無いんですよ。
あのムスカの孤立無援ぶりを見てください。
あれは何で孤立無援かというと、“有能だ”しか無いからです。
“頭が切れる”しか無くて、親戚もいなければ、自分を贔屓にしてくれる上役もいなくて、自分の実力だけで上がってきたから、ムスカは あんなに孤独なんですね。
それは何でかっていうと、子供の頃のパズーと同じだからです。
おそらく貧乏な暮らしで、親方に認められたくて、一生懸命 努力して。
パズーのように、もう周りから「無茶だ」と言われる夢を一つずつ積み上げて来て、あの位置にいるんですね。
だからシータと出会わなかったら、パズーはムスカになっているんですね。
ドーラに攫(さら)われなかったら、ひょっとしたらドーラの愛人の神父も、ムスカみたいになってたかもしれない。
宮崎駿は自分自身としては「ムスカが一番 好きだ」と言ってるんですね。
ついつい共感してしまうから、絶対にムスカに正義を語らせないようにしてる。
富野由悠季さんみたいに、シャアが言ってる事が一番 説得力があるみたいなのって、それは宮崎さんは大嫌いなんですよ。
西崎義展みたいに、デスラーが言ってる事がカッコイイっていうのも、大嫌いなんですよ。
「悪役なんだろう? 感情移入させるなよ!」と。
「悪役に、監督なりプロデューサーが自分の気持ちを乗っけるのは当たり前じゃないか!」
「でも、それを見ている人に悟られてはいけないし、インタビューで自分で言うなんて、もっての他!」っていうですね。
「そんな事をすると、手塚治虫になってしまいます!」っていう(笑)。
面白いでしょ?
宮崎駿、カッコイイの。
カッコイイんだよ、あの爺さんは。
なので、“ムスカ”っていうのが、まず宮崎駿の中にある中心軸なんですね。
それは、ラピュタのシナリオを最初に書いたときから、そうなんですよ。
じゃあ、これを主役にするわけにはいかないから、どうするのかというと、一応 考えたのがドーラの愛人と、あとパズーですね。
パズーは、どこで道が切り替わったのかというと、“守るべき存在”ってういうのが生まれて、“自分の立場”っていうのが生まれたから、ムスカにならずに済んだんですね。
もしシータに出会わなければ、たぶん努力家のパズーは、その後 親方になる というよりも、もっと別の方向へ。
あれだけの努力家だから、上を目指してたハズなんですね。
その先にはムスカがあったかもしれないというのが、天空の城ラピュタ 解説 第3部のキャラクター分析でした。
ではまた次回 。
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