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「『ラピュタ』と『カリ城』は全く同じ構造をしている」
ルパンが救うのか、パズーが救うのかで違いはあるんですけども、とにかく少女を男が救うというのは同じです。
そこで主人公は、一度は お姫様を諦めることになる。
クラリスが薬を飲まされているのを知らずに、ルパンが「しょうがないか」と諦めたり、パズーが「シータが忘れてくれと言ったんだ」と言ってドーラに怒られるようなシーンですね。
こういうふうに、一度は お姫様を諦めるという流れがあります。
でも、その後、お姫様を取り返すために仲間と一緒に戦い、最後は滅んでしまった昔の大都市を発見する。
『カリオストロの城』だったら、水に沈んだローマ帝国の大都市だし、『ラピュタ』だったら、巨大な天空の城を発見しますよね。
実は、こんなふうに、構造的にはメチャクチャ似てるんですよ。
イギリスというのは、児童文学の発祥の地みたいなものなんですけど、この『宝島』というのは、その定番中の定番なんですよ。
宮崎作品というのは、基本的に『宝島』のメインプロットの応用で出来ているんですね。
だから、「じゃあ、この作品における“海賊シルバー”の役割は誰になるんだろうか?」というふうに考えると、宮崎作品がわりと理解しやすくなるんです。
たとえばルパンだったら、天才的な泥棒とか才能があったりしますよね。
さらに、『ガンダム』の主人公のアムロですら批判の対象になるんですよ。
僕らから見ると、アムロっていうのは平凡な少年だったから、それまでのアニメに出てきた、人格高潔、スポーツ万能みたいな主人公たちとは全然 違うように見えるんですけど。
でも、宮崎さんに言わせれば、『機動戦士ガンダム』というのは、「所詮、メカの力を借りて、虎の威を借る狐のごとく、主人公がいいカッコしてやがる作品」ということになるみたいなんですね(笑)。
「もっと普通の少年のことを描きたい」と企画書に書くまではよかったんですけど。
普通の少年を主人公にしたら、話が動かないんですね。
だって敵役になるのは、ムスカという軍を顎でこき使う情報部のすごいキレる大人なんです。
それに対抗するドーラっていうのも、メチャクチャ強い海賊のオバさんなんですよ。
ここに「シータを守るんだ!」というだけの理由でがんばる、12,3歳くらいの子供が入ってきても、勝てるはずがないんですね。
結果、「どうしたらいいんだ?」と、ここから宮﨑駿の苦悩が始まったわけです。
「だったら、最初からそんなことを言わなきゃいいのに」って思いますよね(笑)。
子供の頃から親に聞かされていたラピュタの話というのを信じて、「俺がラピュタ人を再興させるんだ!」と思っていたムスカ。
そのために、一生懸命、ラピュタの王族の血を引いているという女の子を探し出して誘拐したりするんだけど、その女の子にも嫌われる。
そこで女の子の気を引くような事もいっぱい言うんだけど、そんな中、女の子は若い男の子に奪われてしまう。
そうやって、いろんなことがありながらも、なんとか栄光を手にしたと思ったら、最後の最後で女の子に裏切られて、挫折して全てを失ってしまう。
そんな脚本を見せたところ、「一応、パズーっていう男の子は出てきているけれど、これじゃあ“血湧き肉躍る漫画映画”ではなくて、“若きムスカ、栄光と挫折の物語”じゃん。ムスカという人物を描いた映画としては良いと思うけど、これ、どうするの?」って言われたそうなんです。
あそこで二人がやったのは、どう考えても“心中”なんですね。
二人で死ぬことで、この状況をなんとかしようとしたも同じなんです。
それでは『風の谷のナウシカ』の時にもやってしまった、『さらば宇宙戦艦ヤマト』のラストで行われた自殺覚悟の特攻と同じようなパターンになってしまうわけですね。
「え?!それってどういうこと?」「そこのところ、もっと詳しく知りたい!」という人は、どんどん、質問してみて下さい。
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