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「【捨てられないTシャツ・シリーズ】 アポロ打ち上げで「こちらヒューストン」と言ってるわけ」
実はラングレー研究所は、このジョン・グレンの宇宙飛行士あたりを最後に、宇宙飛行の本場ではなくなります。
でも、実際にそれを育て、良くも悪くも大きくしたのはジョンソン大統領。
ケネディが暗殺されてジョンソン副大統領が大統領になってからです。
1969年から大統領になったニクソンが、ベトナム戦争のケツも拭いたし、アポロ計画、アメリカの宇宙計画の最後の栄光もとったと。
日本では、宇宙計画はケネディが「10年以内に人間を……」っていうセリフが有名で、ついついケネディがと思っちゃうんですけどね。
同時に国内の問題、様々な黒人の対立問題などから国民の目をそらすための宇宙計画だったのです。
リンドン・ジョンソン上院議員は、まあ典型的なテキサス親父です。テンガロンハットを被って、押しも強くて結構イヤなやつだったので、国民の人気がないんですね。
だから、アメリカのいいことは全部ケネディ大統領のお蔭になっちゃってるんですけどね。
ケネディが暗殺された時に、ジョンソンは、「よし!俺の手に宇宙計画が戻ってきた」と考えて、テキサス州ヒューストンに宇宙基地を持って来た。
自分の選挙区です。
ジョンソン上院議員というのはテキサス州からの議員だから、もう本当に自分の選挙区に最大の宇宙基地を持って来て、それをジョンソン宇宙センターと、自分の名前で呼ばせたんです。
死んだケネディが始めたものものだから、ケネディ宇宙センター、でもそこは発射するだけの場所です。
なぜヒューストンだったかというと、ジョンソン大統領のおひざ元だったからなんですよ。
もうワシントンの近くで便利だからと、ラングレーでやってるような規模ではなくなっちゃった。
その組織がNASAに変わって、マーキュリー計画の後、ジェミニ計画のころになると、ものすごい勢いで予算が拡大し、それにつれて宇宙開発の規模も拡大していきました。
それを約束してた。
それくらい当時のアメリカはソ連に追いつき追い越したかったんです。
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